宮崎にて

だふやふ

宮崎にて

 朝、目覚まし時計と母親の怒号で目が覚める。私の朝食が少ないのは、あまり多く食べ過ぎると、学校につく頃に私の貧弱な腸が悲鳴を上げてしまうからである。制服に着替えて家を出ると、車のほとんど通らない静かな県道を自転車で最寄りの泊という駅まで十分ほど走る。これが寝坊したときなどには五分に短縮される。私のいる片田舎に於いては、電車の時間は都会のように融通の利くものではなく、乗り過ごしたら次は一時間後、などということはいくらでもあり、電車の時間は我々の生活の中でとても重大な要素となっている。電車に揺られること小一時間で、今度は学校の最寄り駅に着く。最寄りと言っても、その駅を出て二十分も歩かなければならない。それほどかかるのであれば自転車を使えば良いのではと思うかも知れないが、それは自転車置き場などの都合により、電車通学者の自転車の利用は学校により禁じられている。電車の中では、ボックス席の椅子に座り膝の上に教材を広げ、あたかも勉強しているかのように整えた上で二度寝を極め込むのが常であるので、ちょうど日も本調子に照り始めた午前八時にこの二十分間の散歩となると、眠気を覚ますのにはもってこいだ。それなのに、授業が始まるとなぜかまた眠気が襲ってくるのは、我々学生にとっては如何ともし難い案件である。

 要するに、私の朝は時間がない。おそらく電車で通学をしている生徒の半数は私と同じ状況にあるかと思われる。しかし、私のように遠方から毎朝通っている場合はなおさらである。そのため、と言ってしまっては屁理屈のようだが、私はよく忘れ物をする。教科書やノート、ある時は筆箱を家に置いてくることがあった。電車の定期券を忘れた時などはもはや電車には間に合わないので、仕方なく学校に遅刻の連絡をすることがあった。もちろん、前日に決まって準備をすれば先述の心配も無用であるが、帰宅時間や身体的疲労を考えると、夜に少しでも長く起きて準備をしようという気にはなれない。

 私がよく忘れ物をするのは、単に時間の余裕の少なさのみに因るものでもない。もう一つは我が性の怠慢さだ。私は常日頃から怠惰な生活を送っており、面倒臭いことは後回しにして結局最後までやらずに忘却してしまうことが、これまたよくあることなのだ。自分ではこの自らの欠陥に気が付いてはいるのだが、治そうにもなかなか治し得ないでいる。


 ある日のこと、古文では「宵過ぐるほど」とでも言うような夜も更けた頃だったか、私は手紙を書こうと藍色の便箋を取り出し、ペン立てからボールペンを取り出した。以前から書かなければとは思っていたが、時間の都合や意欲の問題でまだ書いていなかったのだ。しかし、思うように筆が進まず自分が何を書いているのかを見失い、二三行書いたところで便箋を丸めて放り投げた。私は天井を仰ぐようにして電灯に目を移し、腕をのばして大きく息を吐いた。卸したてのカーディガンをかけた背もたれに体重を預けたのが最後、そのまま夜を明かしてしまった。

 私が次に気がついた時には時計の針はもう既に七時半を指していた。今日は土曜日だが、定時に補習を受けるため学校へ行かなければならなかった。私は慌てて腰をあげると学制服に着替え、母の拵えておいてくれた弁当と水筒とを鞄の中に入れ、赤紙に書いてあるごとく教材を揃えて自転車に跨った。この赤紙というのはなにも帝国軍への召集令状ではなく、学校の特別補習に呼ばれた者が教師からもらう紙を私たち生徒がそう呼ぶのである。もっとも、受け取った本人は何も面白いことがないのだが、周りの者は冷やかしたようにこう呼ぶので、呼ばれた方は苦笑いを浮かべるしかない。この紙をもらうのは、大抵考査の成績が振るわなかった者か、提出物を期日迄に出し終えなかった者に限られる。それ以外の理由で呼ばれた者を私は聞いたことがない。おそらく私は後者の理由で呼出が掛かったのだろう。思い当たる節は幾らでもあるが、これもまた私の性格の怠慢さによるのだ。情けないと思ったことはあるが、それが治せないから頭を抱えるしか術がないのだ。

 昨日は寝過ごしてしまい手紙を書くことができなかったから、電車の中で書き上げようと思い立ち、教材と共に封筒と便箋を持ってきた。私は電車の中で物を書くことがさして好きではない。此処では電車の揺れるのに伴って字も曲がってしまっていけない。だが、前日までに課題を終えられなかった時などは仕方なくノートを手で押さえて書くこともある。しかしながら今度は課題でもなく単に手紙だ。絶対に書かなくてはならない訳でもないのに、無理に電車の中で元来の拙筆をより酷くしてまで書く必要も無いだろう。しかし、しばらく書けなかった手紙を昨日の夜にふと思い立って書き始めたのだから、この機を逃すとまたしばらく放置してしまうだろうという懸念が頭をよぎり、早く投函してしまうのがなお良いだろうという結論に至った。しかし、それでもやはり何を書くかはまだ定まっていなかった。何を書けば良いかを考えることが心なしか面倒なことに思われた。

 さて、ここで不味いことが起きた。便箋と筆箱を取り出そうと鞄のファスナーを開けると、どういうわけか鞄の中が水浸しになりかけていた。私は直ぐに察しがつくと水筒を取り上げまじまじと観察した。すると、筒の口の方から麦茶が溢れ出ていると見えた。私は一度蓋を外してゴムをしかとはめ直してから、再び、今度は強く蓋をした。私は以前まで使っていた水筒を電車に置き忘れてしまい、先日この新しい水筒を買ったのだが、購入した当初から蓋の弛さを案じていた。いつか何かの拍子に外れることがあろうと想定はしていたが、まさか電車の中で───今日は休日なのでさほど客はいないのだが───こと《傍点》が起きてしまうことは想定の範囲外であった。しかし隙間が狭かった事もあり、損害を被ったのは便箋と筆箱の一部のみであった。これを幸ととるか不幸と見なすかは思考の余地があるが、現在の自分の立場から考えると、やはり不幸であったろう。この時点で私は手紙の内容を考えることを放棄した。

 とにかく、これで私は手紙を書く術を失った。私は茶色の染みの付いた便箋を丸めて電車にあった屑籠の中へ放り、ハンカチで鞄と筆箱を拭った。麦茶の侵食を免れた教材を一応取り出してみたが、やはりどれも濡れずに済んでおり、鞄が乾いてから入れ直すことにした。私はそれまでの間、これまた濡れずに助かった文庫本を読む気も起こらず、ただ呆然として席に着いていた。窓に映る普段の景色もどことなく色彩を失っており、時を重ねる毎に灰色を濃くしていく厚すぎる雲からは、今にも雨が降りだしそうであった。だが、気分はそれほど苦でもなかった。


 そうはいってもやはり休日ということもあってか、線路を進むにつれ乗客の数も少しづつ増えていき、程なく列車が終着駅へと到着した頃にはもう既に満席となっていた。乗客がぞろぞろと下車していく様子を暫く眺めながら席を立つ頃合いを伺い、やがてその時は来た。私はやる気を微塵も感じられない寝ぼけた駅員に定期を見せると学校の方向へ歩を進めた。これより先はバスも自転車も使えない。遠回りをしたらライトレールに乗ることもできるのだが、そこまで楽をしたいという気持ちも無く、だいいち料金の問題もある。いつもなら後ろから級友らが声をかけてきて、それから学校までは伴って歩いて往くのだが、今日召喚令が掛かっているのはおそらく私だけなのであろう、背後からの声はなく、ただ一人、木枯らしに吹かれながら学校へと歩んだ。銀杏の並木道もすっかり色を変え、まるで燃え滾るような眩い黄褐色をその体に灯していた。今日の二十分間はとても長く感じられた。

 私が教室へたどり着いたのは補習の始まるほんの五分前ほどであったが、存外出席者は少なかった。それを見た教師の驚く様子から察するに、サボタージュを決行した者も少なからずいると見られる。補習が始まると私たちは例によって与えられたプリントの問題を解き、解き尽くした頃を見計らって教師がその解説を並べ、その後はなぜか担当教諭の一人話へとなっていった。私の高等学校時代の話はどうとか、進学したあとはどうとか、今の私にとっては聞く価値を見出しかねる話をしていたと記憶している。私はその話があまりにも退屈だったので、ずっと窓の外を見ていた。授業が始まって間もない頃に、不測の雨が降り出していた。折りたたみ式は言わずもがな、傘自体、今日は持ち合わせていなかったので、この後の空模様に一抹の不安を抱いていた。まるで雨が、水滴の一粒一粒が、今日の自分を悪しき方向へと導いているような気もした。ただ無機質に落下運動を繰り返す雨粒は私の心をそぞろに騒がせる。

 しかし、教師の取るに足らない長話が終わり補習が終了する頃には、先程までの雨が嘘のようにからりと晴れ渡った。いや、今の説明には誤りがあるかもしれない。あまりにも急に雨が止み雲が散っていく様子を見て教師がまた驚き、ふと我に返って解散を号したのかもしれない。どちらにしろ、雨が降り止んだことで停滞した現状が打破されたことには相違ない。ちょうど先ほどまで煩わしく感じていた雨に対してこのようなことを考える自分も、何か奇妙に思われた。

 今日は午前中の補習の後は部活動を入れなかったから、私はここに留まるよりはすなわち帰るが良いだろうということで、荷物を片付け駅へと向かった。湿ったアスファルトは往来の足音を吸い取り、信号機が合図を出す音だけが妙に耳についた。空に再び黒が差し込めてきたのを私は感づいていたから、雨雲に捕まえられぬよう心持ち急ぎつつ、窪みに溜まった水を避けるように私はくねくねと旋回しながら歩いた。結果、私は少しも濡れずに駅へと到着することができた。私が乗るべき電車はちょうど最後の横断歩道を渡る頃に発車したはずと考えていたが、どこか高岡あたりであったろうか、雨の影響で計器故障が発生したらしく特急に遅延が生じていた。無論私が乗る電車は普通列車であるが、その列車は西から来る特急を待って発車するものだから、私の列車にも影響が出ているようだ。まだ駅から電車が発車せずにいるという駅員の放送があった。私は次の電車が来るまで待合室で弁当を食べようと考えていたのだが、その放送を聞いて改札をくぐることにした。平生はこのようなことを考えることもないのだが、なぜかその日に限って、早く帰りたいという願望が私をプラットフォームへと向かわせた。 

 すると、電車は土曜の昼だというのに多くの乗客でひしめき合っていた。間もなく電車は動き出したのだが、座ることは愚か、吊革を掴むことさえもままならず、私はデッキの壁に寄りかかりながらとうとう降りだした雨を車窓から眺めていた。レイルの上をただ事務的に走る三両の車体は、秋雨の降る鬱陶しい昼下がりの風をびゅんと切って進み、一面に広がる田野の中で、独りその静寂をかき乱しているようにも思えた。暫くすると魚津駅で乗客の大半が降りていったので、私は寒々としたデッキから退き、やっと先程まで人の座っていた生温い座席に腰を下ろすことができた。


 電車の中では不思議なもので、どれだけ疲れており深い眠りに落ちていたとしても、自分の下車すべき駅に到るほどには目も覚めてしまうものだ。確かに、極度の寝不足においては降り過ごすこともしばしあることを否定しない。私も以前に何度も経験している。さらに、泊で折り返してそのまま黒部まで戻ってしまったこともあり、とんだお笑い種だと失笑を買った。

 結論を言うと私はまたも降り過ごしたのだ。今度は往路の車内で仮眠をとったこともあり別段眠くもなかったのだが、所在のないまま思慮にふけっているうちに眠り込んでいた。車窓を強く打ち付けていた雨の弱くなったことにさえ気付かず、丁度泊駅を発つ頃に目が覚めた。またやってしまったと軽く落胆し、荷物を小奇麗に整理して降りる準備をした。

 私はふと、駅で降り過ごし直江津まで行ってしまった上級生が、さも計画していたかのように土産物を買って帰ったという話を思い出した。改札を通らなければどこまでも行けるのだが、その上級生のような心持ちにはなれなかったから、例の如く私は宮崎で降りることにした。

 無人の改札をくぐった先にある時刻表に目を向けると、次の電車まであと二十分近く時間が残っていた。私は降り過ごして宮崎まで来た時には、時間があれば海を眺めることにしている。宮崎の浜はお世辞にも綺麗とは言えないが、夏には多少、子供たちで賑わう海水浴場である。私も十年くらい前に泳ぎに来たことがあるが、それからはこうして電車を降り過ごすようなことがなければ、めったにその砂浜を歩くようなことはない。

 この海岸では翡翠が取れるなどと町民はよく宣伝しているが、実際見つけられることはそう滅多にないことだ。私はそもそも翡翠を探そうと思って此処に来たことは無いから、俄に信じがたい事実として、知識だけ脳味噌に蓄積されている。

 薄い灰色の雨雲は、降っていることさえも忘れてしまう程の微小な雨粒をぽつりぽつりとひ弱に落とし続けていた。私はがらんどうな待合室に荷物を置き、砂浜のある方へと向かうことにした。

 コンクリートで舗装された堤防の階段を登って行くと次第に水平線が見えるようになり、冷たく吹く風の音以外に波の音も聞こえてきた。階段の頂から海の方へ降りて行くと途中からは砂浜になっており、私は意味もなくそこへ腰掛けた。雨を含んでひんやりとしている砂を学生服越しに感じ、波打ち際を眺めては水平線の遥か彼方遠くに思いを馳せ、そこら辺に落ちていた石塊を投げ入れてみたりした。ぽちゃんと水しぶきを上げて沖に沈んでいった石塊をながめ、時折降ってくる雨粒によって水面にできる円形の波との干渉について考えてみたりもした。今考えて見れば何の意味もないただの時間の浪費であった。

 もうそろそろ駅に戻らなければいけない頃合いであったので、私はもう一つ石塊を投げ入れてから帰ることにした。私は足元に落ちている石塊の中から適当なものを選んでいたのだが、ふとある石に気が付き、それを拾い上げた。私が拾い上げた石は他にはない漆黒の輝きを持っており、写真で見た翡翠よりも何回りも美しいと感じた。その石はまるで"彼女"の瞳のように、艶かしい美しさを、何色にも染まらない真摯で正直な眼差しを私に向けているようだった。

 "彼女"とは、今まさに私が手紙を遣ろうとしている相手である。

 私は彼女を愛している。告白したその日からずっと、そう信じている。しかし、真実はどうだろうか。私が自分勝手な勘違いをしているだけかもしれない。このような不安に駆られることが最近多くなった。男友達と仲良く話す彼女の声は、いたずらに私の鼓膜を震わせ、私の内なる心を締め付ける。それでも、二人だけでいる時は空回りに安心し、何事もなかったかのようなふりをする自分がいた。それでは、彼女の本意はどうなのであろう。それが分からぬまま、私はそれが知りたくて、彼女に気付いて欲しくて、他の女性の話をしてみたりもした。それが結果的に彼女を傷つけ、心を封鎖するものとなっていたのかもしれない。私は彼女の本意が知りたかった。ひょっとしたら彼女もそう思っているかもしれない。

 これ程にも彼女について深く考えたことは無かったであろう。全ては黒きこの石によるものだ。ダイヤモンドのごとき煌きも無ければ、真珠のごとき貴さも無い寡言な漆黒の石は、ただ誠を求める彼女の瞳のように私に語りかけているようだった。この石を持ち帰ることにした私は、ポケットにこれを入れ、電車を待つことにした。雲の切れ間から微かに見える青色が、雨が上がるのもそう遅くないことを告げていた。この頃には彼女への手紙の内容もあらかた心に浮かんでいた。


 昼過ぎの電車には人影もなく、車掌の業務放送のみが意味もなさず響いていた。泊駅に到着し改札をくぐり、朝と同じ道を通って帰宅した。私が帰宅した時にはもう既に雨は上がっており、虹さえも出ていた。私は今日の任務を遂行し終えた心地がして、あれほど寝たのにも関わらず、再び布団に入って午睡を取った。たくさん眠れるのは若い証拠であると私の祖父母はよく言ったものだ。寝ることによって逆に体力を消耗し、日が沈んでからも作業の能率は低いまま上昇しない。これは若い私でもよくあることである。

 今日もそのようであった。山ほど与えられた課題に目もくれず、所在のないあの様子を取り戻した私は、何かに手を付けようとひとまず彼女への手紙の続きを書くことにした。

 内容は海岸で粗方思い付いていたので、案外筆は軽かった。長々と書くのも妙に思われたので、短く簡潔に思いを伝えることにした。読み返すと空虚な言葉ばかりが並べられているようにも感じたが、これが私の本心からの言葉であると割りきってペンを置いた。書き終わってからふとあの石の存在を思い出し、まだポケットに入れたままだったのを取り出してみた。すると、海岸で見た時のような漆黒の美しさは見る影もなく、ただの灰色にくすんだ石ころになっていた。真摯に向けられた瞳を見て、私は手紙を完成させることができた。これは、私の本当の気持を知りたいという彼女の想いでもあったはずなのに、今ではその石は人間の温もりも柔らかさも失っていた。雨に濡れて色を変えていた石が乾いてしまっただけなのだろうが、私には手紙を完成させたという行為すら、なにか意味のないことのようにも思われた。その手紙の中では、書き並べた薄壁の文字の中に夜風が通りぬけ、稚拙な文章をさらにかき回していた。こんな手紙を読んで”彼女”は私の本意を受け止めてくれるだろうか。割り切った虚構が"彼女"へと届くことを私は望むだろうか。

 時間を割いて書き通した手紙をそのまま屑籠へ捨ててしまうのも損な気がしたが、これを出すにはまだ思いが足りなかった。天気予報は明日も雨が降ると伝えていた。何も予定のない私は、空白の一日に何をすべきか、私自身とどう向き合うかを考えていたが、答えが出ないまま、私はとうとうその日を迎えることとなる。

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宮崎にて だふやふ @dafuyafu

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