第7話 訪問
秘書課の女子社員の退職にあたり、季節外れの送迎会が催された。社として何かをすることはなかったが顔見知りということで是俊も、その会に呼ばれた。
「女の人って、幸せだと本当に綺麗になるよね」
隣り合わせた如が、はにかむ様に微笑む会の主役を見つめながら是俊に囁いた。確か、寿退職だと聞いている。
「ああ……」
是俊も如の言葉に異論はないようだった。辛うじて顔と名前が一致する程度に、是俊は彼女のことを見知っていた。秘書課の中では目立たない存在だが、優しそうな女性だと以前から感じていた。今年で二十八になると聞いたが、目の前の彼女は初々しく、いつもより輝いて見えた。
「……女の人って、いいよね」
「え?」
是俊にだけ聞こえるような小さな声で、如はぽつりと言った。驚いた是俊は如の横顔を見つめたが、如はそれ以上何も言わなかった。
「如ちゃん」
「おめでとう」
グラスを片手に今夜の主役が如のもとへやってくると、如は椅子から立ち上がり、花のような笑みでそう言った。
「結婚式には来てね。それから、またみんなでご飯食べに行こう」
「うん」
如は柔らかな微笑で彼女を見つめ
「
と言った。真紀は目を見開いて顔を赤くしたが
「ありがとう。如ちゃんに言われるとすごい嬉しい」
そう、これ以上ないくらい幸せそうに笑った。確かにこういう時の女性というのはいいものだな、と是俊も思った。真紀は
「三村さんも……お世話になりました」
座ったままの是俊に頭を下げる。
「いえいえ……こちらこそ」
是俊も席を立ち、笑顔でおめでとう、と祝福の言葉を送った。真紀はしばらく如と雑談した後、また、と言い残し、同僚たちの方に戻っていった。
「彼女、是俊くんのファンだったんだよ」
如は横目で是俊を見、楽しそうに打ち明けた。是俊は、へえ、と応じただけで、大した興味は示さなかった。如のファンの多さを知っていたからだった。社内であればわからなくもないが、外には一体どうやって広まっていくのか。打ち合わせの為にやってきた来客から如に会ってみたいと頼まれたことが是俊にも何度かあった。如はその度愛想よく応じ、着実にそのファンを増やしていた。如が嫌な顔をすることなどあるのだろうかと、是俊は常々不思議に思っていた。
「僕は一次会で帰るけど、是俊くんどうする?」
「もう?如さん彼女と仲いいんじゃないの?」
意外だと是俊が如を見た。如は苦笑しながら
「酒の席って、あんまり得意じゃないんだ。人多いの苦手だから」
周りを憚るように小声で言った。その容姿や雰囲気に気を取られがちで普段は見過ごしているが、如にはやや神経質なところがあるらしい。誰にも愛想がよく、人当たりもソフトだが、やはり繊細な面も多分にあるのだろうと是俊は解釈した。
「家で飲みなおす?ここから近いし、明日予定ないなら」
やましい気持ちがないでもなかったが、是俊は気軽に如を誘った。そして誘ったところで如は乗ってこないような気がしていた。
「だって……いいの?」
彼、と如は驚いたように是俊を見つめた。
「全然。あいつも慣れてるから。俺が人呼ぶの」
そう、何気なく言ってみたものの、是俊は如が自分の誘いに乗り気であることが意外でならなかった。
「それじゃあ、お邪魔しようかな」
二次会に行こうと腕を引く女性社員を極上の微笑みで説き伏せて、如は名残惜しそうな真紀たちに小さく手を振る。
あの笑顔で何かを頼まれたら逆らえる気はしないと傍らで是俊は思ったが、同時に如はその効果を把握しているに違いないと確信した。普段からそうやって上手く立ち回っているのかもしれないと、思わず邪推したくなる。
「本当に大丈夫?」
「ああ。俺から誘ったんだし」
微かに首を傾げるような如の仕草に、こういうところは確かにずるいなと是俊は思った。しかし顔には出さず、タクシーを止めて如を先に乗せた。
「いい部屋だね」
如は、皮のソファに体を沈め、幾分リラックスしてくるとそう言って室内を見回した。
そもそも家具自体が少ないというのも要因だろうが、男が二人で生活しているとは思えないほど、室内は整然と片付いていた。しかもソファやローテーブル、ちょっとした調度品の類まで、どれもシンプルだがセンスの良さを感じさせるものばかりだった。如は改めて是俊の才能を感じた。
「何飲む?日本酒でもウィスキーでもワインでも、大体おいてあるけど」
是俊はキッチンからそう声をかけた。如は少しだけ思案し、ここまで来て遠慮するのも何だと開き直った。
「ワインが、いいかな」
「赤も白もあるけど?」
「それじゃ、白で」
「冷えてるのがいい?」
「何でも」
是俊は封を開けたばかりのワインとグラスを二つ器用につかんで如の元へ運ぶと
「氷、入れる?」
そう、思わぬことをきいた。
「ワインに?氷入れるの?」
「ああ。家では割りと」
「家では、ね」
同居人の存在を感じさせる是俊の言葉に、如は微笑んだ。
「俺も初めは邪道だと思ったけどさ、あいつがいつもそうやって飲んでたから……意外といけるんだ。特に安いやつは旨くなる」
是俊はグラスを置き、ワインをそれぞれに注ぐと、再びキッチンへ戻っていった。
「今日は、いないの、彼?」
是俊の背に、如は声をかけた。是俊は、みたいだな、と応じると冷蔵庫を開けた。
「みたいだな、って……」
如はいささか驚いたようだった。本当は、是俊の恋人に会えるかも知れないという期待もあって、ここへ来たのだったから、多少残念でもあった。
「お互いに干渉してないんだ。如さんが来ることも言ってないし、いや、まさか来るとも思ってなかったけど」
是俊は、小さなアイスキューブを自分のグラスに落とし、もう一つを如のグラスに近づけた。いるか、と目できいた是俊に、それじゃ、試しにと、如は頷いて見せた。
二人は、乾杯、とグラスを目の高さに持ち上げた。
揺れるグラスに触れた氷が、軽い音を立てる。よく冷えたワインを一口飲むと、如は
「本当だ。意外と美味しい。よく思いついたよね」
と、目を丸くした。
「まぁ、冷えてないから氷いれるか、っていう発想だろ」
「彼、って、どんな人?」
「彼って……涼か?」
「スズミくんっていうの?」
是俊がチーズの箱を開けながら、ああと応じた。
「夕涼みのスズミ?」
「そう。昔は可愛かったんだけどな……背も伸びたし、態度もでかくなった。身長なんか俺よりあるぜ?」
是俊が笑いながら再びキッチンへ向かうと、ソファに投げ出してあったスマホが鳴り出した。
「電話」
如がスマホを是俊の方へ差し出すと、誰から?と、是俊がきいた。如は着信を確認し、少しだけ微笑んだ。
「涼くん」
まさか出てくれとは言わないだろうが、是俊はなかなかキッチンから戻らない。
「どうするの?」
如が声を張り上げると、是俊はようやく戻ってきた。手にはクラッカーの箱を持っていた。
「もしもし?」
箱とスマホを交換し、是俊は通話ボタンを押した。電話越しの声が傍らの如にも聞こえた。
「今から帰るけど、何かいる?」
「どこにいるんだ?」
「駅前」
是俊はふと如を見、そうだな、と呟いた。
「何かつまみになるもの買ってきて。何がいい?」
後半は目前の如に向けて。電話越しに、是俊?と訝る声がした。
「僕はいいよ。お腹空いてないし」
如が柔らかく辞退すると、誰かいるの、と涼がきいた。
「ああ。会社の人が来てる。お前に会いたいって」
悪戯な瞳で如に笑いかけ是俊が言う。
「会社って……いいの?」
涼は声のトーンを落とした。是俊も言っていたが、涼とのことを知っているのは社内では如だけだ。恐らく涼はそれさえきかされていないのだろう。
是俊は、ああ、と応じ、早く帰って来いよと、電話を切った。
「……まずかった、かな?」
如はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべ是俊を見た。
「何が?」
「いや……いろいろ」
微妙な如の表情を是俊は気にした様子もなく、かまわないさ、と笑う。そして、玄関開けてくると如に告げ、いったん姿を消した。
興味本位でここまで来てしまったが、いざ是俊の恋人に会うとなると、如は気まずいような何とも言えない心地になってきた。是俊の才能も手腕も認めていたし、如にとって数少ない同性の友人でもあった。同じ男としても魅力的だと思うし、ある意味、尊敬もしている。
ただ同僚であり友人でもある男の部屋に遊びに来ただけでやましいことは何もない。しかし、涼という恋人のことを考えるとやはり悪かったような気がして仕方ない。
「どうした?」
「ううん……」
是俊はキッチンからグラスをもう一つ持ってくるとテーブルに置いた。これから恋人も交え、三人で飲むつもりなのだろう。
「涼くんって、いくつ?」
如はまだ知らなかったと、是俊を見た。
「今年、で、二十歳、かな」
是俊は如にそう応じ
「頭良かったんだけどな。大学には行かないって言って……今はバイトしてる」
如が聞きたいであろう情報を教えてやった。
「何のバイト?」
「モデル。雑誌とか、たまに載ってるみたいだな」
「モデル?すごいね。かっこいいんだ」
「かっこいいって……まあ、俺の方がかっこいいけど」
是俊が笑いながらそう言うと如も声をあげて笑った。ちょうどその時、玄関が開く音がした。
「帰ってきたみたいだな」
是俊はリビングのドアを振り向き、ワインを飲んだ。
「おかえり」
「お邪魔してます」
「どうも……」
コンビニの袋を手に姿を現したのは、オリエンタルではっきりとした顔立ちの青年だった。切れ長の目元が涼しげで、涼、という名が、ぴったりだと如は思った。
一方の涼は、ソファから腰を浮かせて自分を出迎えた如の美貌に驚いていた。美人だね、と後から如の第一印象を是俊に告げた涼だったが、華やかで女性的な如の顔立ちは、是俊の好みなのだろうとも思っていた。
「お前も飲めよ」
是俊はコンビニの袋を涼から受け取りながら、如の隣を示した。
「俺はいいよ」
如に遠慮したのか、涼は小さな声でそう言ったが、結局二人に押し切られてしまった。涼が渋々とソファに腰掛けると、如が微笑んだ。
「冴島如です。是俊くんにはいつもお世話になってます」
「あ、いいえ……千堂涼です」
涼は戸惑いながらもそう自己紹介し、是俊からグラスを受け取った。
「今氷持ってきてやるよ」
是俊は言い、その場を立った。如は穏やかな微笑で涼を見つめる。
「モデルさんなんだって?」
「バイトですから」
「本格的にやる気はないの?僕、そういうのよくわからないけど……涼くんかっこいいじゃない」
「そんなことないですよ」
社交辞令でも世辞でもなく、如は本心でそう思っているようだった。涼は落ち着かぬ様子で首を振り、是俊が戻ってくると
「着替えてくる」
そう言って部屋に向かった。
「人見知りが激しいんだ」
是俊はため息がちに呟き、涼のグラスに氷を落とした。
「みたいだね。やっぱり悪かったかな」
如は申し訳なさそうに涼が入っていった部屋のドアに視線を投げた。
「あいつも悪気はないから」
「大丈夫だよ、そんなの」
そして如は声を落とし、綺麗な人じゃないと、からかう様な視線を是俊に向けた。
「もうちょっと可愛げがあればな」
是俊は如の言葉を否定はせず、それだけを呟くと、涼が買ってきた乾き物を開けた。
「飯は?」
「食べてきた」
部屋から出てきた涼に声をかけ、是俊は二本目のワインを持ってくるように言った。
「同じの?」
キッチンから涼が尋ねると、
「何でもいい」
と是俊は応じた。かまわないかと、如を見ると、如も笑って頷く。涼は白と赤を一本ずつ手に戻ってきた。
「どうせ空けると思って」
涼は言いながら悪戯な笑みを浮かべた。如は初めて涼の笑顔を見、年齢相応な表情も可愛いらしいと思った。
「朝まで飲むぞ」
是俊は息巻いて、グラスを空けた。それからたわいもない会話を続け、涼が持ってきたワインボトルが全て空になった頃、
「是俊、部屋で寝れば?是俊?」
一番初めに潰れたのは、朝まで飲むと言い出した本人だった。涼はソファに座っていた自分の膝に背を預け、居眠りを始めた是俊を揺さぶった。如は楽しげに二人の様子を眺めていたが、転がっていた空き瓶を全てテーブルに乗せた。
「運ぶの手伝おうか?」
「すみません」
涼は苦笑し、如の手を借りて是俊を寝室まで運んだ。ベッドに寝かされると、無意識なのか、是俊は涼の体を抱き寄せるように腕を伸ばした。如はそれに気付かないフリをして部屋を出たが、涼は如に見られた恥ずかしさからか、是俊に乱暴に毛布をかぶせた。
「すずみ……」
寝ぼけているのか、是俊が涼の腕を掴んだ。涼は黙ってベッドに腰を下ろすと、是俊の髪を軽く撫でてやってから、その手を外した。是俊はすでに眠っているようだった。
「すみませんでした」
リビングに戻り一人で飲んでいた如に声をかけると、涼はソファには戻らず、是俊が座っていた場所に腰を下ろした。
「強いんですね」
顔色も変えず飲み続ける如を見上げ、涼は本当に驚いているようだった。
「うん。実は、ね」
如は否定せずに笑うと、涼くんもけっこう飲むねと、涼を見返す。
「是俊くんより強いんじゃない?」
「そんなことは……二人で飲むと俺の方が先に潰れますよ」
今日は、と涼は是俊の部屋に視線を向け
「何だか機嫌がよかったみたいですね」
押さえ気味の声でそう言った。
「是俊くん、家だとどういう感じなの?」
酒の勢いもあって如はそんなことを涼に尋ねた。涼もだいぶ酔いが回っていたようで、如との会話に自然に応じることができた。
「どうって言うのは難しいですけど……あんな感じですかね」
涼は笑い、如のグラスに日本酒を注ぎ足した。
「ありがとう。会社では、彼は凄い人だよ。社内で知らない人はいないくらいだし、若いのに社長からも一目置かれてるし」
「そうなんですか?」
「あまり、会社のことは話さない?」
滅多に、と涼は頷いた。そして
「如さんは、いつから知ってるんですか?……是俊と、俺のこと」
初めて自分から問いを口にした。如はしばらく考えてから
「同棲してる恋人が居るって言うのは、わりと有名な話みたいなんだけど、僕が涼くんのことを聞いたのは……たぶん、二ヶ月くらい前だったかな。たまたま……そう、是俊くんがプレゼント持ってて、それできいてみたんだ」
「そうですか……」
涼はなるほど、と頷き、ワイングラスで酒を飲んだ。
「涼くんは、愛されてるんだね」
「え?」
一瞬、如の声には暗いものが過ぎったような気がして……涼は驚いて目を上げた。
如は既に涼にも見慣れた穏やかな表情を浮かべていたが、ふと、悲しげにも見える微笑でゆっくりと口を開いた。
「好きな人の傍にいられるのって、幸せだと思うよ」
「……」
自分なりに言いたいこともあったが、涼は如の言葉に対して何も言わないでおいた。その瞬間、如の静かな眼差しの奥には、行き場のない情熱が潜んでいるのではないかと、涼には思えた。それでも
「それじゃ、朝まで二人で飲もうか」
そう言って笑った如には、何の陰りも、ましてや激しさも感じられなかった。
涼は微笑で頷き、初めて二人で乾杯した。
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