25. 閻魔様の徴税

 パイエスト共和国に戻ると、アーネストが国際電話を掛けて来た。

「さっき電話したら、瑠衣が「猛はアメリカに居る」って言うからさ。また掛け直してみたんだ。

 ハリケーン・ケイトの件。やっぱり、キング閻魔が絡んでいるんだろう?」

「そうだよ」

「えっ!? 本当なのか? ジーザス、クライスト! 信じられない・・・・・・」

「信じられないって、お前。そうにらんだから、俺に電話して来たんだろう?」

「そりゃあ、そうだけど。でも、水臭いなあ。俺とお前の仲だろう? 何故、俺に教えてくれなかったんだ?」

「だって、思い付いて直ぐに金斗雲に乗っていたしな。

 それに、帰ってから、未だ1時間も経っていないぞ」

「まあ、其れだったら文句は言わないが・・・・・・。それで、お前も現場に居たんだろう?」

「現場って言っても、遠く離れていたよ。俺はフロリダ半島で待機していたし、台風の目まで行ったのは、閻魔大王と旱魃姫の2人だけだ」

「じゃあ、ハリケーンの中心部で何が起きたのか、お前も知らないんだ」

「ああ、知らない。でも、旱魃姫が水抜きをしたんだよ。其れが彼女の能力だから」

「どう言う事?」

「日本の台風もそうだけど、ハリケーンは海上を進んでいる時に成長して、陸地に上陸すると弱くなるだろう?

 つまり、ハリケーンを成長させるエネルギー源は海水、水って事だ。科学的な因果関係は分からないけど。

 だったら、水抜きをすれば、ハリケーンの威力を小さく出来るはずだって、テレビのニュースを見ていた時に瑠衣が思い付いたんだよ」

「瑠衣って、賢いな。お前と違って」

「五月蠅い!」

 アーネストは、猛と交わした短い国際電話の後、閻魔大王の活躍をグローバル・ニューズ社の特ダネとして報道した。

 余談ながら、後で聞いた話では、抜け駆けした特ダネ記事が原因で、キャサリンが激しくアーネストに噛み付いたそうだ。

「共同執筆している仲間を裏切るの? キング閻魔のネタはシェアするのが2人のルールでしょ!」

 そんな顛末が有ったので、特ダネ記事が元で閻魔大王に感謝する世論がアメリカで大きくなり、ウィットモア大統領が閻魔大王を国賓として招待したいと言い出した時には、随行特派員の特権をキャサリンが独占した。

 東部アフリカからアメリカまで旱魃姫を御連れする憑依対象として、キャサリンが瑠衣に次ぐ定位置を占めている事も理由の一つだった。

 アーネストやキャサリンと作戦会議を開いた結果、閻魔税構想を公表するターゲットは、ウィットモア大統領との会談ではなく、9月下旬の国連総会での演説に定めていた。

 ハリケーン・ケイト退治の恩返しとして、国連総会で閻魔大王が演説できるように、ウィットモア大統領には国際社会に対する根回しを強請ねだったのだった。

 国連総会には、アーネストとキャサリンの両名が随行する。報道者としてではなく、閻魔大王のアドバイザーとして。勿論、猛もだ。

 此の3人は雛壇の隅に控えるだけの存在だが、演説時には閻魔大王と共に、もう1人が出席する予定だと、国連事務局には伝えておいた。


 ニューヨークのマンハッタン島の河岸に建つ国際連合本部ビル。

 北極点を中心に正距方位図法で描いた世界地図が国際連合旗のデザインとして採用されている。世界地図をあしらった巨大なモニュメントを正面壇上の後背に掲げ、雛壇をグルリと半円形に取り囲むように議席が配列されている総会議事堂。

 国際連合の年次活動期間が始まる9月第3週の火曜日には、総会議事堂に加盟各国の代表者が集い、活動開始が宣言される。続いて、主だった加盟国や、ホットな議題を抱えた国の代表者が演説を行う。

 其の最後の演説者として、閻魔大王は特別に招待されたのだ。

 ゆっくりとスーツ姿で演説台に向かう閻魔大王。

 演説台の前に立ち、眼前の聴衆を眺めた。身長250㎝の閻魔大王を前にすると、演説マイクのヘッドは胸の高さにしか届かないが、どうせ相手の心に直接話し掛けるのだから別に問題は無い。

 毎年、各国の演説プログラムに入ると、無関係な国の代表者はトットと帰国してしまい、総会議事堂はスカスカになってしまう。空席の目立つ議席に向かい、演説者は演説メモを読み上げる事になる。総会議事堂の聴衆相手と言うよりは、マスメディアの向こうに居る一般市民を相手に演説するのだ。

 だが、此の日の総会議事堂は満員だった。

 それだけ、閻魔大王の演説は注目されていたのだ。それと、テレビカメラを通じた映像では獅子の遠吠えにしか聞こえない閻魔大王の発言内容を理解できないと言う弊害も、各国の代表者を帰国させなかった理由であった。

『ワシは閻魔大王である。ワシが演説する場をセットしてくれた者に、まず感謝する。

 さて、ワシが話を始める前に、汝らに紹介したい者がる。うまや菩薩ぼさつだ。まずは、厩の菩薩の話を聴いて欲しい』

 閻魔大王はそう言うが、壇上には閻魔大王1人しか居ない。

 怪訝な顔をした聴衆が目を凝らしていると、虚無の宙空、閻魔大王の横に1人の男の姿が現れた。

 細面で鼻筋の通った顔立ち。閻魔大王に比べると小さく見えるが、男の身長は190㎝程度だろう。

 象牙色をした袖口の広いローブを着ている。腰の高さで紐を結い、素足には雪駄かサンダルの如き物を履いている。中世ヨーロッパの修道院で見られた法衣の如きデザインでもあり、現代イスラム圏で普及しているガンドゥーラの如きデザインでもあった。

『私は厩の菩薩。かつて現世に生まれた時には、イエス・キリストと呼ばれた男だ』

 男の発言に場内は騒然となった。

 彼の話す言葉は古代ヘブライ語であり、聴衆の殆どは理解できない。イスラエルの代表者だけが唯一、断片的に単語を拾える。だが、厩の菩薩もまた、心で会話するすべを使っており、聴衆の心に伝える事が出来た。

 一方、ライブ映像をテレビで観ていた視聴者には、場内が騒然となった理由が分からなかった。

『此の世に私が再び姿を現す事は、既に預言されていたはずだよ。

 期近な処では、百年程前に、ファティマで、私の母マリアが子供達に預言したはずだ。

 あの時の預言は三つ。

 一つ目は、地獄と言う世界が存在する事。

 二つ目は、当時の大戦争が間も無く終わるけれど、悔い改めなければ、新たな争いが発生する事。

 三つ目は、当時の現世の人間達に心の準備が出来ていなかったので、しばらくは秘匿せよと指南したんだが、最近カトリック教会が公にした内容は正確ではないようだね。

 聖母マリアが預言した相手は幼い子供だったし、心で聴いた聖母の預言を子供達が自分の言葉で伝え直すプロセスにおいて、正確さが犠牲になったんだろう。子供達の知識なり思考力では十分に理解できなかったかもしれないしね。

 其れは危惧していた事なんだけれど、当時は純粋な心を持った相手に預言する事を優先したんだ』

 厩の菩薩は、ファティマ第三の預言の事を話し始めた。

『三つ目の預言は、此の閻魔大王の出現だよ。

 人々が悔い改めず、世界から争いが無くならなければ、地獄の閻魔大王が救世主として現世に出現するよ、と言う預言だ』

 厩の菩薩は話す事を止め、場内を見渡した。

 果たして聴衆が理解できているのかを、自ら確認したのだ。

『カトリック教会が、教皇暗殺、或いは教皇に象徴されるカトリック教会が壊滅してしまうと言う風に誤解してしまった背景は、私にも何となく理解できる。

 きっと、私が此の世を去ってから果たして来た、救世主としての役割を全面否定されると、おそれたんだろうね。真の救世主は閻魔大王だったと、人々が思い込む事態を畏れたんだろう。

 此の場にカトリック教会の者は居ないみたいだから、改めて教皇の前に出現するけれど、カトリック教会が果たして来た救世主としての歩みは立派な事だし、此の世を善くする為に活動して来た実績には胸を張って良い。

 其れは、私が太鼓判を押す。

 これからだって、カトリック教会の存在意義が薄れる事は有り得ない。人々を先導する善きしもべの拠点として、其の地位が揺らぐ事は無い。断言するよ。

 でもね、現世の人間が自ら性根しょうねを正す手段としては、悔い改め、祈るしかない。

 残念ながら、懺悔に依る性根の矯正では間に合わない位に、現世の仕組みは複雑になってしまったんだな。

 だから、性根を矯正する威力の強い閻魔大王が登場したんだよ。閻魔大王の登場は、神様も望んでいる事なんだ。

 もっとも、君達自身の自助努力で此の世が善き世界に戻る事を望んでいたんだが、もし失敗すれば、閻魔大王を遣わす。其れが神様の御意志だ。

 私は黄帝様を通じて神様からのミッションを受けた。だから、仙女として私に仕える聖母マリアを、ファティマに出現させたんだ。

 以上が、私の伝えるべき話だ』

 雛壇の脇では、猛の右側に立っていたアーネストが、猛の耳元でささやいた。

「お前、イエス・キリストの出現を知っていたのか?」

「いいや、全然」

 続いて、猛の左側に立っていたキャサリンが、猛の耳元でささやいた。

「閻魔大王って、救世主として神様に遣わされたの?」

「俺が知っているわけ無いだろう?」

 もしそうであるならば、自分達はイエス・キリストの十二使徒並みに重要な役回りを演じて来た事になる。

 そんな意識は全く無かったので、足下の床が抜け、奈落の底に落ちそうな程、畏れ多くて不安を感じてしまう。ただ、奈落の底とは地獄であり、地獄を既に見聞している身として、奈落の底に落ちる事自体には大して不安を感じない。

『それでは、閻魔大王。後を、宜しくお願いします』

 厩の菩薩は頭を下げ、閻魔大王に一礼する。

『ウム』

 閻魔大王に対してニッコリと微笑むと、厩の菩薩はユラユラと姿を消して行った。

『自分が先に話したいと言うから、厩の菩薩に順番を譲ってったが、とんでもない事を言い始めたな』

 いつもよりは小声での呟きだったが、心で会話するので、みんなに伝わる。

 閻魔大王自身も初耳の、衝撃の事実だった事を、総会議事堂に居た全員が理解する。

 閻魔大王は軽く咳払いをして、演説を仕切り直す。

『厩の菩薩の話はき。此の場でワシから汝らに宣言する事が有る』

 閻魔大王は胴間声を張り上げた。多少は動揺している様で、いつもの調子の獅子の咆哮が少し乱れている。

 総会議事堂に座った要人達は、イエス・キリストから救世主だと紹介された存在が何を言い出すのかと、緊張の面持ちで耳を澄ます。しわぶき一つ聞こえない。

『ワシは地獄を統べる者。ワシは亡者を相手にする者。其の閻魔大王が亡者に対して閻魔税を課す事にする』

 死者に課税するとは、生者には全く理解できないアイデアだった。

――何を言っているんだろう? 死後の世界でも、金銭が通用するのか?

 誰もが眉をひそめ、訝んだ。

『亡者は生前に蓄えた資産の半分を、自らの属した国家或いは閻魔屋に納めよ。

 汝らの言葉で相続税と呼ぶ税金と同じだと思えば良い。

 閻魔税は貧しき者、弱き者に再分配し、此の世から貧困を失くすのだ。

 実際に閻魔屋に納める者は、亡者を見取った家族とする』

 全世界を見渡すと、相続税を徴収している国は少ない。

 日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ程度しか存在しない。

 大国の中国、インド、ロシアを始め、殆どの国では相続税が無い。

 カナダやオーストラリアは1970年代に、ニュージーランドは1990年代に、高福祉で有名なスウェーデンは2000年代に相続税を廃止した。

 だから、閻魔税と称して相続税を導入すると言う宣言に、大半の出席者が戸惑った。

『考えてもみよ。裕福な者は、所有資産の範囲ではあるが、寿命が尽きるまで贅沢な暮しを満喫できる。

 だが一方で、貧乏な境遇に生まれた者は、自分の寿命を全う出来るかですら、危うい。

 此れは明らかに不公平だ。

 不公平が相互不信を生み、疑心暗鬼が争いを招く。其の結果、憎しみの連鎖を紡ぎ出してしまう。

 此の悪循環を絶つべきだと、ワシは思う』

 総会議事堂に座っている者は皆、母国の中では裕福な者達である。閻魔大王の理想論には賛同するものの、理想に近づく第一歩が今まで聞いた事も無い税金を自分達に課税する事だと理解すると、ザワ付いた混乱の声が広がった。

『勿論、資産の全てを徴収するのではない。半分は自らの子供に遺せば良い。

 半分も有れば、富裕なる者の子供も十分に豊かな暮らしを送れるであろう。

 もし、不安ならば、富裕なる者が生きている間に、子供の教育に金銭を費やし、逞しく生き延びるすべを身に着けさせるのだ。

 万が一、富裕なる者の子供が貧困に陥っても、閻魔屋が徴収した閻魔税にて路頭に迷わす事はしない。

 どうだ?』

 自分達の子供が路頭に迷う事は無いと言われても、「はい、そうですか」と直ぐには納得できない。

 総会議事堂内のザワ付きは中々止まなかった。今や外交関係者が隣の席に座る者と交している会話は、国家間の相談事ではなく、個人としての相談事であった。

『汝らの反応は予想しておった事でもある。だから、閻魔税を払わぬ者には制裁を課すつもりだ』

 “制裁”の一言に総会議事堂は静まり返る。

 そして、壇上の閻魔大王の姿を凝視する。聴き逃すわけには行かない。

『閻魔税を滞納した富裕なる者の子供は、更に自分の子供を産めなくする。汝らの言葉で言う孫を産めなくする。そうすれば、資産の相続先は無くなり、結果的に全ての資産が閻魔屋に納められる事になる。

 閻魔税の替りに、其の者が所属する国家に納税する事になるやもしれぬが、其れでも構わぬ。国家が自国の貧しき者を救済するならば、ワシは文句を言わぬ』

 ファティマで三番目に聖母マリアが預言した閻魔大王の登場は、カトリック教会の危機ではなく、全世界の富裕者にとっての衝撃だったのだ。

 世界を引っ繰り返す程、インパクトの有る閻魔大王の宣言であった。


 閻魔大王の宣言について、其の日の夜から、全世界のマスコミが侃々諤々かんかんがくがく喧々囂々けんけんごうごうの議論を始めた。

 閻魔大王の構想は、平たく言えば、高福祉政策である。政策実現の財源を消費税ではなく、相続税に求めただけだ。

 消費税を増税すれば、買い控えに因る消費の落ち込みを懸念する必要が有るが、相続税であれば、其の心配は無い。どうせ本人は死んでいるので、今さら消費も何も無いからだ。

 もし、閻魔税を嫌った富裕層が死ぬ前に豪遊して散財したら、其れは其れで消費を押し上げる。高い経済浮揚効果を期待できるので、良い政策であると言う論調が多かった。

「閻魔構想は私有財産制を否定している。資本主義の根幹を揺るがす悪魔の思想だ」と言うネガティブ・キャンペーンも散見されたが、資本主義の国々でも税金を前提とした政治体制が組まれているので、正当性の有る反論とは言い難い。

 それに、閻魔大王が課税すると決めれば、現世の人間達には逆らい様が無い。相手は人智を超えた存在なのだ。

 だから、マスコミの論点は次第に「脱税した子供が孫を生めなくする具体的手法は何か?」と言うテーマに移って行った。

 子孫根絶の実効性が疑問視されれば、閻魔大王の構想は画餅に帰す。


 地獄に戻った厩の菩薩は、奉行所の社で亡者の列に投げ掛ける質問の数を、三つから四つに増やした。

 四番目の質問とは、

 お前は、お前を見取った家族に対して、ちゃんと閻魔税を納めるように頼んで来たか?

 四番目の質問に口籠った亡者については、生前に所有した資産額の多い者から順に、鬼子母神きしもじん十羅刹女じゅうらせつにょが遺族にまとわり憑く事になる。

 十羅刹女じゅうらせつにょの1人目、藍婆らんば、皇城では上行菩薩じょうぎょうぼさつに仕える。

 彼女は、太古の昔には衆生を束縛し殺害し回っていたのであるが、今回の役割は殺生ではない。妻に対する夫の束縛欲を異常なまでに高め、妻をウンザリさせ、夫婦仲を冷やしてしまう役回りであった。女性の権利意識が高いアメリカやヨーロッパで活躍した。

 十羅刹女じゅうらせつにょの2人目、無厭足むえんぞく、皇城では文殊師利菩薩もんじゅしりぼさつに仕える。

 彼女も、太古の昔には衆生を殺害し回っていた気性の激しい女である。藍婆らんばと似た手法だが、妻に対して暴力を振るうように夫をそそのかす。

 十羅刹女じゅうらせつにょの3人目、取一切精しゅいっさいしょう、皇城では多宝如来たほうにょらいに仕える。

 彼女は、藍婆らんば無厭足むえんぞくと違うベクトルで、太古の昔には衆生の精気を奪って来た。自分の経験を活かし、夫の性欲を削ぐ働きをした。SEXレスに陥らせるので、夫婦仲を冷やしてしまうだけでなく、孫を生ませないと言う観点では、最も直截的な働きをした。彼女は全世界を飛び回る。

 自ら実体化して夫婦関係を壊すのは十羅刹女じゅうらせつにょの4人目、多髪たはつ、皇城では普賢菩薩ふげんぼさつに仕える。

 生来の艶やかで豊かな美髪を活かして妖艶な女に化け、ターゲットとする夫に言い寄って浮気させるのだ。多髪たはつの魅力に抗える男は居らず、妻は捨てられる事になる。其の後で、多髪たはつは籠絡した夫を捨てるのだ。多髪たはつが去った後でも、復縁できた夫婦は居ない。

 逆に、妻に悪影響を及ぼすのが、十羅刹女じゅうらせつにょの5人目、持瓔珞じようらく、皇城では観世音菩薩かんぜおんぼさつに仕える。

 神社仏閣に陳列される観世音菩薩の仏像を見ると分かる通り、手には瓔珞を持っている。瓔珞とは仏像の天蓋に垂れた飾りで、元々は首飾りや胸飾りとして用いられたインド貴族の装飾品。持瓔珞じようらくに憑依された女性は浪費癖が止まらなくなる。結果、夫が愛想を尽かし、夫婦仲を冷やしてしまう。

 夫婦仲が悪くなる時、大半の場合は、夫だけとか妻だけに原因が有るわけではない。双方に少しずつ原因が有って、性格の不一致となって離婚に至ってしまう。だからこそ、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う諺が伝わるのだけれど、そんなオーソドックスなアプローチをする十羅刹女じゅうらせつにょも居る。

 十羅刹女じゅうらせつにょの6人目、毘藍婆びらんば、皇城では無辺行菩薩むへんぎょうぼさつに仕える。

 彼女は、太古の昔には衆生の和合を離脱せしめんとし、社会不安を煽って来た。毘藍婆びらんばの役回りは、夫と言わず妻と言わず、双方に愛想を尽かさせ、夫婦仲を冷やしてしまう事。アメリカやヨーロッパに限らず、恋愛結婚の多い地域で幅広く活躍した。

 十羅刹女じゅうらせつにょの7人目、曲歯きょくし、皇城では浄行菩薩じょうぎょうぼさつに仕える。

 十羅刹女じゅうらせつにょの8人目、華歯けし、皇城では安立行菩薩あんりゅうぎょうぼさつに仕える。

 彼女達に憑依されると、淫乱に走る気持ちを抑えられなくなり、男女とも次から次にと浮気を重ねてしまう。

 十羅刹女じゅうらせつにょの9人目、黒歯こくし、皇城では釈迦に仕える。

 彼女に憑依されると、嫉妬する気持ちを抑えられなくなり、相手の浮気を疑う余り、絶えず夫婦喧嘩を繰り広げる事になる。

 十羅刹女じゅうらせつにょの10人目、皇諦こうだい、皇城では弥勒菩薩みろくぼさつに仕える。

 彼女は、地獄で働く厩の菩薩や学鬼との連絡係である。制裁対象の人間夫婦を他の十羅刹女じゅうらせつにょに伝え、ミッション成果を作戦指揮官である鬼子母神きしもじんに報告するのだ。

 もし、作戦が失敗し、対象の妻が身籠った場合、鬼子母神きしもじん十羅刹女じゅうらせつにょが仕える菩薩に報告し、報告を受けた菩薩は、対象者の身籠った赤児が輪廻転生に巻き込まれないよう、梵字の短冊の宛名書きから外す。そうすると、流産してしまう。

 こう言う一連の活動、鬼子母神きしもじん十羅刹女じゅうらせつにょの活動を、現世の人間が知る事は無い。

 だから、閻魔税を逃れ、今まで通り、子作りに励もうとする富裕層が大半だった。ところが、時間の経過と共に、脱税すれば不思議と夫婦仲が悪くなると言う風聞は全世界の富裕層に広がって行った。

 実際、一夫多妻制のアラブ富豪の場合、嫉妬と疑念に苛まれた婦人同士の仲が急速に悪化し、夫が落ち着いて夜の営みを出来なくなったと言う事例が相次いだ。

 アメリカの富豪の場合では、短期間の内に、結婚、離婚、再婚を繰り返すようになり、子作りに励む暇が無くなった。

 インドの富豪の場合、ヨガに勤しみ、肉体的健康に気を使っていたはずなのに、何故か性欲を無くしてしまう男が続出した。

 何れの場合も、其の理由は皆目見当が付かず、だからこそ、此れは閻魔大王の祟りに違いないと言う風聞が広がったのだ。


 こうして徐々にだが、閻魔屋に閻魔税を納める者が増えて行った。先進諸国から発展途上国へと、所得再配分のサイクルが回り始めた。

 もう少しすると、豊かになり始めた発展途上国での出生率が落ち着きを見せるはずである。

 貧困の極みに身を置くと、娯楽と言えば性行為しか無いので、出生率をいたずらに上げてしまう。貧乏人の子沢山と言う奴だ。貧乏な家族に生まれた子供は十分な教育を受ける事もなく、何ら技能を持たない貧乏人として成長する。

 貧困が次なる貧困を招いてしまう悪循環が徐々に解消され、人口増加のペースが落ちれば、極楽の菩薩達の役務も軽くなる。

 時間の問題で、亡者の数も頭打ちとなる。やがては、亡者の数だって減少に転じるだろう。そうなれば、地獄の鬼達の役務も軽くなる。

 現世、地獄、極楽の三界良しであった。

 一方で、先進諸国では相続税を導入しようと言う動きが現れた。

 どうせ閻魔屋に取られる位ならば、自国の財政の足しにした方が良い。徴収される国民にとって、納税先が閻魔屋か国家かは大した問題では無いはずだ。

 そう言う思惑だった。

 ところが、殆どの国家では、国民の資産を正確に把握する社会的仕組みが整備されていなかった。しかも、多額の相続税を期待できる富裕層は、得てして、複数の国家に跨って資産を分散させている。

 だから、指を咥えて見ているしかない国が殆どであった。

 もう一つ、興味深い現象が見られた。

 アメリカの富豪は慈善活動に熱心だし、頻繁に寄付をする。キリスト教の教えが浸透しているからだろう。寄付行為に際しては、自ら設立した財団を経由して行っていたが、閻魔屋を通じて寄付するように変化した。

 閻魔屋に対しては使途を指定できたし、閻魔屋も慈善活動だと認められれば、寄付行為を否定しない。富豪は、閻魔税の生前納税として取り扱われる寄付行為に、一種の節税効果を見出したのだった。

 そう言えば、中国や台湾でも、ちょっとした風習の変化が見られた。

 冥府に旅立つ時に少しでも足しにして欲しいと、葬式の際に、墓前で偽物の紙幣を燃やす風習が有った。葬式だけでなく、其の後も定期的な法要で偽物の紙幣を墓前で焼く家族は多い。

 此の風習はすっかり影を潜める事となった。

 偽物の紙幣を燃やさずとも、閻魔屋に納税するのだから、此れほど確実な死者への手向けは無いと考えたのだ。


 何事に付け、現実的に、合理的且つ打算的に判断して、行動する中華民族であるが、其れは中国共産党も同じである。

 此の当時、中国政府は人口動態的な壁に突き当たっていた。平たく言えば、中進国の罠に嵌り込んでいた。

 国家として裕福となった中国は、低賃金を武器とした製造業の輸出で外貨を稼ぐ経済モデルを、軌道修正しなければならなかった。だが、付加価値の高い産業は、全体として見れば底が浅く、製造業ほどには国富を増やさないし、労働者の雇用数も桁違いに少ない。

 一方で、長く続けた一人っ子政策の弊害が尾を引き、急速に高齢化が進んでいた。

 ところが、長年に渡り公共投資と軍備増強に国家予算を注ぎ込んで来たので、社会福祉に回すべき財政的余裕を失いつつあったのだ。

 親の数に比べて子供の数が圧倒的に少ないので、個人の責任に帰すには余りに負担が大きかった。此の儘では、国全体に姥捨て山状態が蔓延しそうな雰囲気だったのだ。

 数十年も経てば、寿命の尽きた高齢者の数は減り、均整の取れた年齢ピラミッドに復帰するはずである。経済規模に見合った国民の数まで総人口も縮小するだろう。

 問題は、其の数十年間を如何いかにして乗り切るか、である。時間稼ぎの為の資金を捻出する必要に中国政府は迫られていた。

 こう言う背景で、駐パイエスト中国大使のガオ・チンピンが、閻魔屋オフィスの閻魔大王を訪ねて来た。

「キング閻魔。お久しぶりです。キング閻魔の御活躍は目覚ましく、我が国も称賛を惜しみません」

『ガオ大使。貴殿の来た理由は分かっておる。パイエスト共和国を立ち去るのが約束だったからな。

 だが、此れは家庭の事情が原因なのだ。此の鬼頭の妻が出産したばかりで、赤児が幼い。赤児を日本で育てるには、鬼頭の妻の実家が狭くて、如何どうにも仕様が無い。

 乳飲み子が落ち着けば、パイエスト共和国から出て行くので、それまで、どうか見逃してはくれぬか?』

「いえいえ。そんな事は気にしないでください」

『見逃してくれるのか?』

「はい。心置き無く、此のパイエスト共和国に留まって頂いて、結構です。我が中国は異議を唱えません」

『かたじけない。だが、それでは、今日の訪問目的は何だ?』

「折入って、御相談が有ります。閻魔屋の資金調達力は比類無きものと存じます。

 其の資金の一部を、どうか、我が中国に貸し付けては頂けないでしょうか?」

『貸し付ける? 貴殿の国に?』

「はい。我が中国では今後、行き場を失った弱き老人達が国中に溢れ返る可能性が有ります。そうならないように先手を打って行きたいのですが、先立つ資金に余裕が有りません。

 閻魔屋の集めた資金の使い道は、弱き者、貧しき者を救済する事を目的とするはず。そうであるならば、是非、中国国民をも救済して頂けないでしょうか?」

『貴殿の申し入れは分かった。閻魔屋の使用人達とも相談しよう』

 貸付の金利や返済条件を如何どうするか等、閻魔大王や猛の判断できる問題ではない。

「有り難うございます。嬉しい知らせを首を長くして待っております」

 ガオ大使はソファーに座ったまま、深々と頭を下げた。そして、隣に立って控えていた随行員に声を掛ける。

 随行員は、三つ折りにして、一片が1m程の四角い布袋状態になった包みを、うやうやしく閻魔大王に差し出す。赤いシルク生地の布袋の表面には、手の込んだ刺繍が施されている。

『何だ? 此れは』

「はい。以前に拝謁した時、閻魔大王は我が中国の高貴な伝統衣装をお召しでございました。

 ところが、今はもっぱらスーツ姿かイスラムの民族衣装姿。

 聞く処に依れば、中米両特使の求めに応じて英領バージン諸島に赴かれた際、テロリスト共に襲撃され、衣装に穴を開けられたとの事。

 そうなった責任の一端は、我が中国にも有ります故、償いの気持ちと、今回融資の相談に応じて頂いたお礼を兼ねまして、中華の伝統衣装を献上致したく存じます。どうか、ご笑納ください」

『そうか?』

 ソファーから立ち上がり、随行員から衣装袋を受け取る閻魔大王。

 袋の一端を摘まんで持ち上げ、三つ折りを伸ばす。猛も立ち上がり、衣装袋の留め紐をほどく手伝いをする。

 中から出て来た衣装は、以前の様に赤い光沢の有るシルク地に精密で繊細な刺繍を施した装束であった。

『かたじけない。どうもスーツの着心地は窮屈で堪らんと思っておった処だ』

「靴も持参致しました。

 此の時代、流石さすがに木靴では履き難かろうと思いまして、柔らかく丈夫な牛革で作り直してございます。

 スーツではなく、中華の民族衣装に似合うデザインを、中国人デザイナーに特別あつらえさせました」

 随行員が別の紙箱を差し出す。紙箱の蓋を開け、中を覗き込む閻魔大王と猛。

「閻魔さん。良いデザインだよ。やっぱり、閻魔さんには古代中国の皇帝衣装が似合うね」

『ガオ大使。重ね重ねも、かたじけない。此の衣装は晴れの舞台で着用するようにしよう』

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