21. テロ撲滅作戦
国務省、国防総省に加えて、司法省傘下のFBI、大統領直属のCIAが参加して、テロリスト対策の特別チームは編成された。
FBIからは、マーティン・ワグナーと、エドワード・ルースの2人。CIAからも、ジェームズ・ワッツと、ジョンソン・ハートランドの2人だった。此れに、海軍特殊部隊、通称SEALSの小隊が実働部隊として加わった。SEALSの小隊は、ゲルノット・ワイツマン少尉が率いている。
一方の閻魔大王は、学鬼を地獄に戻し、亡者となった元テロリストを何人か、現世に召喚する事にした。FBIから提供された情報に基づき、幹部クラスのテロリストの内、数年以内に死亡した者をリストアップした。
身長、性別、姓名、人相。そんな情報を暗記した学鬼は、メンバーの見ている前で姿を消した。現実主義の権化と言える捜査機関、諜報機関、軍人達でさえ、最初は感嘆と驚愕の声を上げる。
そして、1分後には邪鬼達を引き連れて、学鬼が戻って来た。
再度、驚嘆の声が上がる。だが、邪鬼達が幾つもの死体を床に転がすと、
或る死体は上半身と下半身の二つに分断されたいる。酷い火傷を負った状態の死体、全身に無数の穴が開いた死体。細切れの肉片を山盛りに集めた単なる肉塊も有る。
地獄見学ツアーを経験したアーネストとキャサリンにとってさえも、リアルな現実世界の一片として間近に見れば、無造作に転がる死体から迫り来る凄惨さは半端ない。
キャサリンは即座に卒倒した。アーネストは倒れたキャサリンを介抱し、死体に背を向けた。一方で、2人の様子を眺める怠鬼は頗る機嫌が良い。
次に閻魔大王が瞬きをすると、6人の亡者達が身体の傷を癒やし、立ち上がった。
復活した亡者達は、既に
「死人に口無しって言う格言は、嘘だな」
「全くだ。矛盾するようだが、口封じするには生かしておく必要が有るな」
プライベートでは陽気なアメリカ人が、冗談とも本気とも取れる神妙な口調で呟き合った。
学鬼の再出現と時を同じくして、黒鬼の率いる5千鬼余りの邪鬼達が金斗雲に乗り、日本の竜神湖に現れた。そして、太平洋を渡り、一路アメリカを目指す。
今回は2回目に比べて規模が小さい事と、視聴者が見慣れてしまいニュース・バリューを減殺している事から、日本のニュース番組でも天気予報コーナーで短く報道されたのみである。日本以外の国々ではテレビ報道される事無く、オカルト・ウォッチャーを中心にインターネットの世界で情報が流れたのみであった。
邪鬼5千鬼余りの大半はアメリカ全土の空港及び港湾施設に配置され、入国審査業務を支援させる目論見だった。支援と言いつつも、サブではなくメインの役回りだった。
入国審査窓口に並んだ人々の一人一人に邪鬼が憑依し、邪な思惑を抱いているか否かをチェックするのだ。邪鬼が判断するのは、邪な思惑の有無に過ぎない。つまり、テロリスト以外にも、密輸や不法入国を図ろうとした犯罪予備群が官憲に捕縛される事になった。
信仰やプライバシーの観点から邪鬼の憑依を拒絶する者も、当然ながら発生する。それでも、入国審査スタッフは、憑依拒否者を重点的に取り調べれば済むので、全体としての水際業務の効率性は格段に上がった。
邪鬼投入の効果には全世界が注目し、アメリカのみならず、EU加盟国、中国、日本などで引く手
閻魔大王は追加で5千鬼の邪鬼達を招集し、大人気の警備保障サービスの請負賃は英領バージン諸島に設立した閻魔屋に入金された。
西南アジアの一国。
温帯気候ならば冬に突入しようかと言う時期であったが、此処は北緯30度前後の乾燥地帯である。
赤茶けて乾燥した大地が砂塵を巻き上げている。夕暮れと
清掃員が思い出したように散水する公共施設の周辺を除くと、市街地に植えられた街路樹の大半は葉を落としていた。
広葉樹の落葉時期に差し掛かった風ではない。相対的には弱くなった日光を使って光合成し続けるよりも、葉の裏からの水分蒸発を抑制する事に懸命なのだろうと感じる。
道路の殆どは舗装されておらず、数少ない中古車の群れが地面を踏み固めるのみ。生活物資の大半は山羊や驢馬などの家畜が運搬している。
老若男女とも全身を白い布で覆った民族衣装を身に着け、軒下に
市街地を抜けると、荒れた荒野が延々と続く。荒野の向こうには、ヒマラヤ山脈の西の終わりが遠くに横たわっている。
地表近くには砂塵が舞うが、深い藍色をした空は静謐そのものである。経済発展とは無縁の此の国の上空では視界を濁す汚染物質も漂わない。
乾燥した大気に雲は無く、もう少し陽が傾けば、蒼黒くなった空には満点の星々が輝き始める事だろう。彼方に浮き上がる山脈のシルエットが漆黒の闇となり、先進国とは明暗の逆転した夜空が広がるはずだ。
日没までの数時間。荒野に点在する住居の上空を、アメリカ海軍の無人偵察機がコンドルの様に舞っていた。遥かに離れたアメリカ大陸の基地に陣取った監視スタッフが、偵察カメラに写る人の出入りを観察していた。
「情報通り、マフムード・ラシルが現れたぞ」
幌を被せた中古トラックの荷台から、自動小銃を肩に掛けた男達が降りて来た。煉瓦作りの平屋に急ぎ足で駆け寄る。明らかに上空の無人偵察機の存在を警戒した動きだったが、太陽を背に忍び寄る無人偵察機の存在に気付く気配は無い。
『
先に到着していたモハマド・ニザルが扉を開け、マフムード・ラシルを労わる。
入口脇の土壁に自動小銃を立て掛けた一行は、部屋の中央で燃える焚火の
彼らの顔を焚火の赤い炎がユラユラと照らす。
『明朝には出発して、山岳地帯に戻らなければならん』
『分かっている。だが、今は休め。戦士にも休息は必要だ』
『それで、必要な物は手に入りそうなのか?』
『見通しは立った。生活物資の類は驢馬の商隊にカモフラージュして運ばせる。数週間後にはアジトに届くだろう』
『武器の補充は?』
厳しい眼付きで確認して来るマフムード・ラシルの追及に、モハマド・ニザルは暗い表情をし、首を横に振った。
『畜生! アメリカの奴らめ。悪魔の様に抜け目無く、俺達を邪魔しやがる』
『アッラーの思し召しが我々を助けてくれるだろう』
“アッラー”の言葉に反応し、マフムード・ラシルは、
『アッラーの神は偉大なり! どうか、我がジハードを支えてください』
と、祈りの声を上げた。
『まあ、今日は休め。ちょうど羊肉のスープが煮立って来た処だ。慈養を付け、体力を温存するんだ』
モハマド・ニザルは、小さな
そして、2杯目を求める。鍋の下で小枝が焚火に爆ぜるパチパチと言う音だけがしている。
暖かい食事に人心地が付いた彼らを目指して、黒鬼達とSEALS小隊が密かに急接近していた。
SEALS小隊の移動手段としては、消音仕様の特殊戦闘ヘリが通例だった。だが、ローターの回転音を完全に消し去るのは不可能であり、テロリスト達からの迎撃を受ける危険性を排除できない。
銃撃戦を展開する事は、閻魔大王の本意ではない。だから、金斗雲に乗って近付いた。
20名前後のSEALS小隊が乗る金斗雲は大きく、1鬼の邪鬼が操っている。SEALS小隊に先立ち、10個の金斗雲に分乗した黒鬼と邪鬼9鬼が、テロリスト達の潜伏する平屋に近付いていた。
急襲する金斗雲の飛翔速度は戦闘機並みである。しかし、風防の類は一切無い。一瞬で後方に消し飛ぶ景色と、自分の顔に当たる
黒鬼達の金斗雲が平屋近くの地面に音も無く着陸する。
遠巻きに包囲する形でSEALS小隊が散開し、岩陰に隠れ、自動小銃を構える。
SEALS小隊の準備が整った事を確認した黒鬼は、邪鬼の1鬼に指示する。指示された邪鬼は、両手で腐臭の
邪鬼は、表面のささくれ立った扉の前まで来ると、何の緊張感も無くノックする。平屋の中で互いに目配せし、自動小銃を手に取って身構えるテロリスト達。
『祖国の為に戦っている戦士達に料理の差し入れです。是非、食べてみてください』
蝶番の一つが緩んだ戸板の隙間から外を除くと、黒いフード付きのケープかポンチョを着た子供が1人、戸口に立っているのが見えた。甕を両手で抱えている。
すっかり陽も落ちた時間帯だったので、子供の衣装が黒いのか白いのかは判然としない。だが恐らく、放牧民の子供が訪ねて来たのだろう。
自分達の事を“兵士”と名指しした事には引っ掛かるが、武器を持っていない子供を警戒するのも大人気無い気がした。
そう油断した見張り役の兵士が、後ろで身構えている仲間に対して、問題無いと言うジェスチャーをした。
『今、扉を開けるから、少し待っていろ』
残る蝶番を支点に少し
腐臭の甕を両手で捧げ、見張り兵に差し上げる邪鬼。自分達を殺害する為に、アメリカ軍が自爆テロの子供を差し向けて来たとも思えなかった。
見張り兵は腐臭の甕を受け取ると、平屋の中に身を翻した。
『小僧、有り難うよ。神の御加護が、お前にも届きますように・・・・・・』
背後の扉を足蹴にして閉めながら、見張り兵は邪鬼に礼を言った。
焚火の前に腰を降ろし、羊肉スープの入った鍋の隣に腐臭の甕を置く。そして、皆が覗き込む中で、甕の蓋を開けた。
駿殺、秒殺であった。
否、正確には死んでいない。ショック状態で痙攣を起こしているだけだ。三途の川の水で相当に薄めてはいるが、性根の曲がった人間には耐えられない程に臭いはずだった。
腐臭の甕を運んだ邪鬼は三和土に佇んだままだった。
黒鬼は大声を出して、SEALS小隊に報告した。
『ワイツマン少尉! 終わったぞ。これから彼らを運び出す』
2鬼1組になった邪鬼達が、テロリストの肩と両脚を持ち上げ、金斗雲に乗せる。総勢5人のテロリスト達。
岩陰から駆け寄ったワイツマン少尉が、黒鬼に向かい、呆気に取られて素直な感想を口にする。
「こんなに簡単に済んでしまうなんて、全く信じられんな。ところで、奴らは死んだのか?」
『いいや、死んではおらぬ』
「これからアメリカ本土に飛ぶのか?」
『そうだ。彼らの性根を矯正せねばならぬ』
「ところで、俺達って、必要だったのかな?」
『勿論だ。貴殿らの協力が無ければ、私らだけでは此処に辿り着けなかった。協力に感謝する』
黒鬼に感謝されても、何となく釈然としないワイツマン少尉であった。
金斗雲で連行されたテロリスト達は、ネバダ州南西部、ロッキー山脈の東側山麓の一画に建設された収容所に運ばれた。
森林の生え茂った国立公園が幾つも、収容所の周囲を取り囲んでいる。外部の人間が此処を訪れる可能性は極めて低い。また、其の可能性はゼロと言っても過言ではないが、テロリストが逃亡したとしても、森に迷うしかなかった。
それでも、国防総省は陸軍第10山岳師団傘下の中隊に収容所を警備させた。
収容所と言っても、敷地の周囲に鉄条網を張り巡らせ、敷地内に幾つも設置した密閉仕様の野戦用テントの中に簡易ベッドを並べただけである。野戦用テントの中ではストーブが焚かれていた。
簡易ベッドの上にはショック状態に陥ったテロリスト達が横たわっている。
ショック状態から回復すれば、改めて腐臭を嗅がせ、再びショック状態に陥らせる。
場違いな点は、テロリスト達の全員が、入院患者が着用する病院着を着用し、成人用オシメをしている事。そして、点滴の針を腕に刺されている事である。
性根を矯正している最中、テロリスト本人は身動きが取れない。昏睡状態だからだ。栄養摂取と排泄行為、そして床擦れ防止の看護をしてやらねば、死んでしまう。だから、軍医と看護師が忙しく働いていた。さながら野戦病院である。
腐臭の素も甕から小瓶に小分けされ、香水を嗅がせる要領で、看護師達が意識を回復しそうなテロリストの鼻元に当てていた。
腐臭の効き目が薄れて来たら、其れは性根を矯正し終わった事を意味する。自分で動けるようになったテロリストが狼藉を働く事は無く、正直に言えば、山岳師団に所属する歩哨は全く無用の長物だった。
捕縛したテロリストの数が増える度に、性根が矯正されるまでのタイムラグは有るものの、情報の質と量が改善され、次なる拠点襲撃の成果を加速して行った。
木造家屋を蝕む白アリの様にテロリスト達の世界の土台を侵食し、最後は多数の邪鬼達を率いた黒鬼が止めを刺す戦略だが、其れは
性根の矯正を終えた者には閻魔屋が生活支援金を支給し、パイエスト共和国に移送した。目覚ましい経済発展の予兆を敏感に嗅ぎ取った国際企業が、相次いでパイエスト共和国に投資し始めており、特に建設業やサービス業において労働力が不足気味であったからだ。
それに、無防備な彼らを母国に帰したのでは、現地に残存するテロリスト達に見付かって、裏切り者としてリンチ対象に成り兼ねなかった。アメリカ移住が認められれば話はシンプルなのだが、社会不安を恐れたアメリカ政府が賛同しなかった。
ただ、アメリカ国民は皆、ホワイトハウス報道官の定例記者会見を通じて、閻魔大王とアメリカ政府が共同で展開するテロ撲滅作戦の成果なり進捗を知っており、閻魔大王の名声は高まる一方だった。
テロ撲滅作戦が順調に進み始めた頃。此の作戦について、米中両国が秘密裏に意見交換した事がある。
駐米中国大使のビー・フェイユイが国務長官のフィリップ・モリソンを訪問した。数々の外交上の懸案について意見交換する為だが、会談の場で、次の様な遣り取りも有ったのだ。
「モリソン長官。実は、貴国がキング閻魔と共同戦線を張られているテロ撲滅作戦に、我が中国も参加できないかと、そう考えているのです。
貴国の御立場として
「アメリカ政府としての正式回答は、あくまで貴国から正式の申し入れが為されてからとなります。
ですから、今から申し上げる事は、私の個人的意見に過ぎません。良いですね?」
「承知しております」
「現在遂行中の作戦はアメリカ政府とキング閻魔の共同作戦ですが、正直に言って、キング閻魔の力が無いと意味を成しません。其れはビー大使だって薄々お分かりのはずだ」
無言で頷く中国大使。口を挟んで、国務長官の話を邪魔する野暮な真似はしない。
「ですから、キング閻魔の意向が強く反映されます。分かりますね?」
無言で頷く中国大使は、目顔で先を促すだけだ。
「キング閻魔の意向とは、テロリストを殺さない事。
テロリストを更生させた暁には、社会復帰させる事なのです」
「テロリストの更生とは具体的に、
「其れがねえ。俄かには私も信じられないのですが、人間の身体の中には性根と言う物が有って、性根の曲がりを真っ直ぐに矯正すると言う事らしいですよ。
NASAの科学者達も歯切れが悪く、しどろもどろにしか説明できないのですが、確かにキング閻魔の言う通りだと言い張るのです」
「性根が真っ直ぐになると、どうなるのです?」
「シンプルに言うと、素直になると言う事みたいですな」
「素直になる?」
「其の通りです。キリスト教的な表現を使うならば、
ですがね。貴国は、政治犯や分離主義者も、テロリストとして取り扱っておられるでしょう? 彼らの性根が曲がっているとは限りませんよ。
もし、曲がっていなければ、彼らの主義主張に対して、逆にキング閻魔は御墨付きを与える事になる。果たして、其れが貴国の共産党にとって望ましい事なのか、私には判断が付きません。
アメリカ政府は、貴国が政情不安に陥る事態を望んではいません。
太平洋での覇権を貴国に譲るつもりは毛頭ありませんが、ヨーロッパやロシア、中東などの問題で手一杯と言う事実もまた、アメリカ政府が直面している現実なのです。
だから、テロ撲滅作戦への参加を正式表明なさる前に、貴国の国務院メンバーの間で十分過ぎるほど話し合われた方が良いでしょう」
其の後、テロ撲滅作戦に欧州主要国が参加する事になるが、中国政府が参加する事は無かった。主導権を握り続けたかったアメリカ政府も、中国政府に参加を促す事をしなかった。
同じ頃。閻魔大王は、ワイツマン少尉と黒鬼の指揮する作戦現場に同行したり、ケネディー宇宙センターの医療施設に入院している瑠衣を見舞っては旱魃姫と会ったりしていた。
アーネストとキャサリンは共著で、『キング閻魔』とタイトル決めしたドキュメンタリー書籍を執筆中である。『キング閻魔』は、グローバル・ニューズ社と中央ニューズ・ネットワーク社から近々、共同出版される予定である。
学鬼と怠鬼は、引き続き2人に憑依しており、ニューヨークでの生活を楽しんでいる。時々は解脱して、街中を散歩しているらしい。
安定期に入り
帰国を前に、久しぶりに集まった猛、瑠衣、閻魔大王、旱魃姫の4人。特に猛と瑠衣は、日本への帰国を前にして、少し気分が高じていた。両親に孫を見せると言う嬉しい予定事も、2人の気分を高揚させていた。
『でも、瑠衣。お腹、大きくなって来たね』
フロリダ州で新年を迎え、今は2月。瑠衣は妊娠5カ月となっていた。
未だポッコリとなった程度で、これから更に大きくなって行くのだが、初産の瑠衣も、妊娠と言う現象自体を初めて目にする旱魃姫も、「大きくなった」と言うのが実感だった。
『でもね、でもね。閻魔大王。悪阻って、本当に大変なのよ。凄く気分が悪くなるの』
『気分が悪くなるとは?』
『そうねえ。何と言えば良いかしら・・・・・・。オェッてなるの。
1日の間でも、オェッてなったり、落ち着いたり。波が押し寄せたり、引いたりする感じかしら・・・・・・』
吐き気を経験した事の無い閻魔大王には、旱魃姫の説明が通じない。
『う~ん、どう言ったら、閻魔大王に分かって貰えるかしら? ねえ、瑠衣。どう説明すれば良い?』
「旱魃姫。其れは無理よ。悪阻の苦しさは妊婦じゃないと分からないわ。猛だって分からないと思うわよ」
『仕方無いわねえ。でも、赤ちゃんが此の中で育っているのよねえ。不思議ねえ』
旱魃姫は、頬杖を突いて伏臥した状態で宙空に浮かび、瑠衣のお腹を眺めている。
「ところで、閻魔さん。アメリカ上流階級の社交界からパーティーの招待状が幾つも届いているよ」
『社交界?』
「うん。金持ちも金持ち。アメリカの大金持ちの集まり。一見の価値が有ると思うよ」
『猛は行った事が有るのか?』
「ううん。だって、俺、貧乏人だもの」
『それでは、ワシに同行して行ってみるか?』
「いつもだったら、そうするんだけど・・・・・・。俺、瑠衣に付き添って日本に行きたいんだよね。
瑠衣は妊婦だもの。パーティーには行けないよ。それに、妊婦にはニューヨークは寒過ぎる」
『そうだな。それでは、ワシもパーティーとやらには行かぬ』
「其れは勿体無いよ。アーネストとキャサリンに頼んだら?
旱魃姫もキャサリンに憑依して、参加すれば良いじゃない?」
『えっ!? 瑠衣から出て行くの? 其れは、嫌だなあ。
瑠衣の赤ちゃんと一緒に居たいな。そろそろ、赤ちゃんが瑠衣のお腹を蹴ったりするんでしょ?』
「旱魃姫。気が早いわよ。未だ妊娠5カ月よ。早い人だと妊娠6カ月で胎動が始まるらしいけど、それでも未だ1カ月も先の事よ。
折角の良い機会だもの。閻魔さんと一緒に旱魃姫も行ってらっしゃいよ」
10鬼の邪鬼に守られて、金斗雲に乗った猛と瑠衣は日本に戻った。
フロリダ半島から日本までは約1万㎞の距離だが、3時間弱の飛翔時間で日本に到着する。
実は、飛翔時間と同じ位の時間を出入国手続きに要した。アメリカ出国時にはNASAの計らいで、係官の方が瑠衣の病室まで来てくれたのだが、日本入国時には同様の特例措置を期待できない。
仕方無く、静岡空港に着陸した。
大半の時間帯は寒散としているのだが、偶々中国からの飛行機が着陸したばかりだったので、ちょっとした騒ぎが起きた。
飛行機を降りて、滑走路に面した空港建物の廊下を入国審査窓口に向かう途中。旅行者の1人が壁一面に広がるガラス窓の向こうに、大きな金斗雲が滑走路の片隅にフワリと着陸する様子を認めたのだ。
『何だ!? あれは?』
1人の中国人の叫びは搭乗客の行列全体に広がり、スマホを掲げてガラス窓に釘付けとなった。
慌てた空港職員が先に進むよう促すが、自らも金斗雲の姿を見付けると、其の場に立ち竦んでしまった。フッと我に返って、通信機で上司に状況を報告し、指示を求める。
滑走路周辺で働いていた整備員達も動きを止めて、金斗雲に乗る猛達の挙動に見入っている。
空港保安部の車両がサイレンを鳴らして急行し、金斗雲を包囲する。
茨城県の竜神湖から金斗雲の大群が現れたニュースを見て、知識として存在を知ってはいるが、実物を見た者は皆無だった。おっかなビックリで保安部職員が金斗雲に接近する。
「済みません。お騒がせして。パスポートに入国審査の判子を貰いたいんですが・・・・・・」
緊迫した雰囲気を他所に、何とも長閑な猛の第一声だった。拍子抜けする保安部職員。
入国審査窓口でも一騒動だった。
金斗雲の搭乗者が現れるはずだ。そう踏んだ旅行客は何だかんだと言って入国審査窓口を潜ろうとしなかった。痺れを切らせた空港職員が、鬼ゴッコの末に旅行者の腕を
ところが、今度はバゲッジ・クレイムから動こうとしない。円形のベルトコンベアの上を、預けた荷物が何周も周回している。
一般人とは別の部屋で猛と瑠衣を特別処理する事で、混乱を回避しようとした空港職員だったが、其の考えを改めた。こうなっては、一般人の目に触れて貰うしか、空港内の混乱は収まりそうになかった。
「構いませんよ。特別待遇してもらおうとは、僕達も思っていませんから」
入国審査窓口に現れた2人と10鬼を、旅行客達は大歓声で迎えた。
保安部職員がグルリと猛一行の周りを取り囲みながら、ゆっくりと前に進む。アイドルスター並みである。
仏頂面をしながらも興味津々の目をした入国審査官が、猛と瑠衣にパスポートの提示を求める。
そして、押印したパスポートを本人に返却しながら、猛に質問した。
「後ろの方々は、かの有名な鬼達ですよね? 彼らはパスポートを持っているのでしょうか?」
入国審査官の職務質問に、猛と瑠衣は顔を見合わせた。
「そんな物、持っていません。地獄の鬼ですから」
「そうですよね。
それとも、渡り鳥と同じだと解釈して構わないんだろうか?」
前例の無い事態に頭を抱える審査官。
「法務省の本局に問い合わせてみても良いですか? ちょっと時間が掛かるかもしれませんけど・・・・・・」
「其れって、姿が見えるから生じる悩みですよね? 彼らの姿が見えなければ、貴方も悩まなくて済みますよね?」
「う~ん。そう面と向かって言われると、「そうです」とは答え難いですが・・・・・・、まあ、そう言う事です」
「それじゃあ、少し目を瞑っていてください」
後ろで群がっている旅行客を振り返り、猛は大声を上げた。
「誰か、此の邪鬼を憑依させてくれる方は居ませんか? 心配要りません。人畜無害です。
其れだけじゃなくて、特典も付きます。憑依されると、旅行中、言葉に不自由しなくなります」
最初はキョトンとしていた中国人達だったが、元来が利に敏い民族なので、直ぐに立候補する者が相次いだ。邪鬼が10鬼しか居ない事に気付き、特典獲得の機会を逃すものかと殺気立つ。我も我もと大声で口喧嘩を始める。
「静かにしてください! 此れも何かの縁ですから。空港の外に出たら、希望者全員に憑依させて貰いますから」
そんな騒動を経て、猛と瑠衣は静岡空港の建物から出て来た。
ハーメルンの笛吹きに導かれた鼠の様に、2人の後を追う中国人旅行者。彼ら以外にも、国内線の旅行客や見送りの者、手の空いた空港職員までもが空港正面の道路に出て来て、金斗雲の飛び立つ様を見送った。
静岡県浜松の瑠衣の実家。
浜名湖周辺には、自動車メーカーや二輪メーカーを始めとする、製造業の工場がたくさん所在する。当然ながら、其れらの工場で勤務する労働者の家族も多く住んでいる。瑠衣の実家は、そんな労働者の住む集合住宅の3階であった。
高度成長期に建設された5階建ての古い鉄筋コンクリート製のアパート群は、日照条件を考慮して建物と建物の間が広くなるように配置されている。広々としたスペースには芝生が植えられ、一画には小さな滑り台と鉄棒、ブランコが備え付けられている。
既に住民の大半は高齢者となってしまい、遊具で遊ぶ子供の姿を今は見掛けない。何人かの老人がベンチに座って日向ぼっこをしているだけだ。
金斗雲が人気の無い芝生の上に着陸する。マスコミも瑠衣の実家の所在地までは付き止めていなかったので、静かな里帰りを実現できた。
瑠衣に手を貸しながら地面に降り立った猛は、邪鬼達には上空で待って貰う事にした。
コンクリートの階段を3階までゆっくりと登る。呼び鈴のブザーを鳴らす。家の中から母親の返事が聞こえた。
「ありゃ! 瑠衣じゃないの。まぁ、猛さんも。
貴女達、「これから帰る」って、今朝メールして来たじゃない?
私ったら、てっきり、此処に来るのは明日かと思っていたわ」
「アメリカからは数時間よ」
「そう。そりゃ凄いわねえ。
ところで、身体は大丈夫なの? こんな所で立ってないで、早く中に入りなさい」
母親は2人を招き入れると、
『あなたぁ! 瑠衣と猛さんが帰って来たわよぉ!』
と、父親に声を掛ける。
瑠衣と猛は家の中に入り、後ろ手に鉄製の重たいドアを閉める。ダイニング・キッチンの小さな食卓に腰を降ろす。
「ところで、今も閻魔大王と、旱魃姫だっけ? 貴女達に憑依しているの?」
「ううん。今は私達だけ。其の内、旱魃姫は私に憑依して来るけど、今はアメリカに滞在中」
「そうなの。じゃあ、地獄の鬼さん達は誰も居ないの?」
「ううん。上で待機して貰っている」
瑠衣は右手の人差指を立て、空を指差した。
「じゃあ、何か持って行った方が良いかしら? お茶と煎餅で良いのかしら? 普段は何を召し上がるの?」
「いやあ、気にしなくて良いんじゃないかなあ。だって、何も食べないよ」
「そうなの? でも、失礼じゃない? だって、貴女、鬼さん達に命を救われたって、言っていたじゃない?」
「まあ、そうだけど・・・・・・。でも、やっぱり、要らないと思うわ」
『そんな事より、瑠衣。お父さんにお腹を触らせておくれ』
女2人の遣り取りを横で黙って聞いていた父親だが、我慢できなくなって介入して来た。瑠衣が椅子を後ろに引き、父親にお腹を見せると、父親は
『男の子か? 女の子か?』
「どっちかは医者から聞いていないの。あっちの産婦人科は、赤ちゃんの性別を教えないらしいわ。
それに、どっちだって良いじゃない」
心で会話する
「ところで、瑠衣。貴女達が帰って来るなんて思わなかったから、晩御飯の買い物、これからなのよね。
何を食べたい? やっぱり、和食よね?」
『母さん。こんな時はステーキだろう。奮発して、肉を買ってこようよ』
「いや、ステーキは、ちょっと・・・・・・。あっちで肉ばっかり食べていたから。アッサリした料理が良いわ」
「そうよ、あなた。妊娠中なのよ。
それに、妊娠中は極力、体重を維持しないといけないのよ」
『そうかあ。でも、猛君。君は、もっと精力の付く食い物の方が良いだろう?』
「いやあ、何でも良いです。本当に何でも良いです」
『仕方無い。それじゃ、買い物は母さんに任せるか・・・・・・。
それまでは、猛君。男同士で酒を飲んでいよう。母さん。テキーラを買って来てくれよ。家に有るボトルは直ぐに空いちゃうから』
「父さん、飲み過ぎないでよ。猛だって長旅で疲れているんだから」
『分かっている、って』
そう言いながら、戸棚からテキーラの瓶とグラスを持って来る。
琥珀色のテキーラを2㎝くらい注ぐと、グラスの一つを猛に手渡した。「孫に乾杯」と言う掛け声で、グラスをカチンと軽く鳴らした。
ダイニング・キッチンはバーに様変わりする。「仕方無いわねえ」と呟きながら、母親が外出の準備を始める。
2DKの間取りのアパートは、瑠衣の両親だけが住むには広いが、猛と瑠衣の2人が同居するには手狭であった。
だから、今夜だけは猛も此のアパートで寝泊まりするが、明日には千葉県市原の自分の実家に移動する。金斗雲で移動すれば、20分程度しか掛からない。
恐らく、明後日には、猛の両親も金斗雲に乗って浜松に
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