20. テロリスト達の襲来

 閻魔屋の会社登記を終え、そろそろバカンスにも飽きて来た頃。

 4人はホテルのレストランで遅めのランチを食べながら、「そろそろニューヨークに戻るか」と言う相談をしていた。

 バカンス・シーズンが終わり、観光客の大半は仕事に復帰して行った。僅かに残るホテルの滞在客はプライベート・ビーチに行ってしまい、レストランは貸し切り状態だった。

 白いスーツで身を固めた男性従業員やエプロンを着けた女性従業員が何人か、手持無沙汰に壁際で控えているだけだった。

 レストランのテラス席には、アウトドア席が何セットも設置されている。丸い木質テーブルの中央の穴に大きなパラソルを立て、傘の影がテーブルを取り囲む椅子に陰を作っている。

 テラスの向こうには青々とした芝生が広がり、地面に埋め込まれたスプリンクラーが散水している。更に向こうには、熱帯の大きな木々が森を成し、木陰を作っている。

 森の木陰に向かって蛇行したレンガ石の小道が伸び、途中のハブ地点からは別々の方向に小道が枝分かれしている。ハブ地点には丸く小さな池が掘られ、噴水が上がっている。4本の柱が小池を囲んで立ち、藤棚みたいに格子状の屋根を載せていた。

 シーフードを食材とした品々を食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいた時。森の方でパンと何かが小さく弾ける音がした。

 パン、パンと乾いた音が続き、安穏とした南国の緩い空気に緊張を走らせる。

 連打される乾いた音に反応して、アーネストが後ろを振り向いた。森の方を凝視する。

 何かを怒鳴っている男達の声。

 こちらに向かって声を荒げているのではない。心で聴くすべを以ってしても、怒声の意味は分からなかった。ただ、緊迫した気配だけが伝わって来る。

「何?」「何なの?」

 瑠衣とキャサリンが2人して右なり左の方に首を巡らし、アーネストと同じ方向を凝視する。

如何どうした? アーネスト」

「分からん。分からんが、銃声の様な気がする」

「銃声?」

「ホテルには警備の人間も居るから、大丈夫だとは思うが・・・・・・」

 バージン諸島には大して産業が無いので、強盗が襲いたくなる様な拠点が無い。しかも、国民の殆どは裕福と言えないが、貧乏でもない。人口も多くはないので、強盗の発生件数自体が少ない。

 数少ない強盗に狙われるとしたら観光客だが、旅行中に現金を持ち歩く観光客も滅多に居ないので、襲撃ターゲットには成り難い。

 そうは言っても、万が一を考えて、富裕層の外国人が宿泊するホテルは何処も警備員に拳銃を携行させていた。勿論、戦闘経験の有る兵士ではない。

「念の為、外からは死角になったテーブルに席を移そう」

「部屋に戻った方が良くはないか?」

「未だ状況が分からないからな。部屋に戻って分散するよりは、4人で固まっていた方が良いと思う。

 多分、単独犯か2人組の強盗だろう。イザとなっても、金目の物を渡せば、満足して立ち去ると思う」

 アーネストの分析は的確であるように思えたし、自分達には地獄の鬼が就いていると言う安心感も有った。

 4人はレストランの給仕達に目配せすると、テラスからは離れた入口近くのテーブルに移った。給仕達も不安そうな顔をしている。

 緊張感を漂わせながらも無防備なままのレストランを目標と定め、小走りに走り寄って来る男達が居た。

 庭師の様な作業着を着用し、連射と単射の切り替えが効くサブマシンガンを右手に握り、黒く大きなボストンバックを左手でつかんでいる。頭を低くし中腰になって移動する姿からは、手練の兵士を思わせた。

 彼らの正体は、パイエスト共和国を襲ったテロリスト集団の構成員だった。

 バージン諸島の浮かぶカリブ海は、長くアメリカとの国交を断絶していたキューバ、麻薬取引が原因でアメリカとの仲がギクシャクしているコロンビア、反米姿勢を明確にしているベネズエラに囲まれている。

 の国で武器を仕入れたのかは事件後も判明しなかったが、閻魔大王の襲撃を目的に、海からヒルトラ島に上陸して来たのだった。襲撃犯の人数は総勢で10人強。

 配下の鬼達を地獄に戻し少人数となった今ならば、閻魔大王達を殺害できると判断した。彼らにとって、閻魔大王の殺害は弱体化した組織の立て直しの為に必要なデモンストレーションだったのだ。

 そんな事情を知るよしも無い猛達4人は、レストランの片隅で身を隠していた。

 ホテルの建物に近付いたテロリスト達は2人ずつに分かれ、或るチームはフロントへ乱入した。或るチームはエレベーターを昇り、或るチームは非常階段を昇った。

 そして、一組のチームがテラスに現れた。

 銃を構えているが、作業着を着た2人組の姿を見て、アーネストは自分の予想が当たったと思った。

 此の時点までの行動からは単なる地元の強盗の仕業だと思われたし、アーネスト以外の3人もテロリスト集団の襲撃を露程にも予想しなかった。強盗に差し出す為に、腕時計とネックレスを外し始める。

 猛達4人の姿を認めた2人組は通信機を口に当て、スワヒリ語で仲間に報告した。

『ターゲットを見付けた』と言うスワヒリ語に、4人は不気味な違和感を覚える。

 報告を終えた2人組はサブマシンガンを連射モードに切り替え、ダダダダッと撃って来た。

(まずい!)

 閻魔大王は猛の身体を突き動かしてテーブルを引っ繰り返す。即座に解脱し、おのれの巨体を実体化させた。テーブルに押し倒されたアーネストから、学鬼も一瞬だけ遅れて解脱して来る。そして、怠鬼も続いた。

 巨漢の閻魔大王と学鬼が両手を広げ、銃弾に対する盾となって4人の前に立ち塞がった。怠鬼は懸垂の要領で閻魔大王の片腕にブラ下がった。怠鬼の身体が閻魔大王と学鬼の2人の身体の間隙を埋める事になる。

『金斗雲!』

 閻魔大王が大声で叫ぶと、数秒後には四つの金斗雲が猛スピードで青空から舞い降りた。レストラン室内とテラスの境界に位置する柱を圧し折って、4人を取り囲んだ。

 此れで一安心と思われた時。

 猛の右に倒れ込んでいた瑠衣から、旱魃姫が解脱して来た。

『許さぬ、許さぬぞ! 身の程知らずに、我が分身に仇為あだなやからめぃ。

 己の身を滅ぼす覚悟は・・・・・・出来ているのだろうな?』

 ドスの効いた低い声音こわねで旱魃姫が唸る。

 つぶらな黒い双眸が今は金色に輝いている。旱魃姫の髪を結っていた櫛は弾け飛び、長い髪の毛は黒から淡い金色に変化し、旱魃姫の内身から噴き出た嵐に吹き上げられている。

 ゆっくりと立ち上がる旱魃姫。

 ネグリジェ衣装も激しく旗めいている。羽衣は後ろに大きく膨らんだままであった。

 旱魃姫の足下に横たわる瑠衣を、必死の形相で猛はかかえる。

 瑠衣の右肩は出血し、ブラウスの襟元を赤く染めていた。猛は床に落ちていたテーブルナプキンを拾うと、其れを瑠衣の肩に押し当てた。

「瑠衣! 瑠衣! 大丈夫か!」

 気を失っている瑠衣。

 一方の旱魃姫は、正気を失っている。

 金斗雲の壁の掻き分け、テロリスト達の前に進み出る。

 サブマシンガンの2条の射線は旱魃姫に集中するが、銃弾が旱魃姫の身体を傷付ける事は無い。交響楽団の指揮者が構えるように、旱魃姫は両手をゆっくりと上げると、左右2本の人差指をテロリストの2人に向けた。

 テロリストの身体がピクピクと痙攣し始め、顔や腕の皮膚に浮かんだしわの数が増えて行った。老化現象の進展を超高速で早送りした感じの変化だった。

 変化は尚も終わらず、皮膚から骨が浮き出て来る。目玉が収縮し始め、眼窩が窪んだ。鼻柱も落ち窪んでいく。髪の毛がパラパラと落ち始めた。老化現象はミイラ化現象に移行した。

 サブマシンガンの銃口が下がり、持っていられないとばかりにテロリストの2人は床に落した。

 今やテロリストの皮膚は骨を包む包装紙と化しており、膝が崩れ落ちた。

 首から上も黒いコーティングをした骸骨の様になっている。

 膝立ちの状態になった2人は次の瞬間、前の方にカラリと崩れ落ちた。人間の倒れる音ではない。もっと軽い物が崩れ落ちる音だった。

『怠鬼! 瑠衣に憑依するのだ! そうすれば、瑠衣の身体を温存できる!』

 金斗雲の壁の中で、閻魔大王は怠鬼に指示した。

 閻魔大王には、旱魃姫が何をったのか、反撃の現場を見ずとも理解できた。テロリスト達の身体中の水分を蒸発させたのだ。彼らは生きながらにミイラと化したはずだった。

 閻魔大王も金斗雲の壁から抜け出て来た。

 旱魃姫の横に立つ。敵兵は未だ残っている。近付く敵意が伝わって来た。

 建物の外で敵兵と対峙するならば、自分の力で雷を落とす事が可能だが、此の場所では無理だ。旱魃姫と2人して敵兵を倒した方が早道だと、閻魔大王はそう判断した。

『旱魃姫! 敵兵を出迎えて遣りましょうぞ。

 早く敵兵を倒し、瑠衣の身体に戻ってください。怠鬼よりも旱魃姫の方が、保全効果が強い』

 閻魔大王と旱魃姫はガラスの扉を乱暴に押し開け、レストランから走り出ると、ロビーフロアに移動した。

 バタバタと靴音を響かせて、テロリスト達が迫って来る。迫りながら、サブマシンガンを連射する。

 敵兵集団に向かい、閻魔大王は雄牛の様に突進した。

 先頭を走って来る1人を力任せに殴り倒す。殴られた相手は後続の1人を道連れに、後方の壁に弾き飛ばされた。

 残りのテロリスト達が怯み、そして身構えた。だが、旱魃姫からは逃れられない。

 旱魃姫は、大きなハープの弦を弾く奏者の様に両腕を動かし、優雅な仕草と似合わぬ仕打ちをテロリスト達に与えていた。テロリストの全員がミイラ化し、床に崩れ落ちる。

 敵意は消えた。

 戦闘終結を確認すると、大急ぎで瑠衣の元に戻る。怠鬼が解脱する。旱魃姫の髪の色は黒色に戻り、瑠衣の身体に憑依し直した。

 猛が閻魔大王に訴える。

「病院に連れて行かなくちゃ!」

『其の病院とやらは、何処に有る? 直ぐにでも金斗雲で運ぶぞ』

「猛。此の国の医療機関じゃ駄目だ。銃傷患者に対応できるとは思えない。下手をすると、死ぬぞ」

 アーネストの指摘にキャサリンも同意する。

「だけど、アメリカまで連れて行く間に、瑠衣の身体は弱ってしまう。そんな余裕は無いんだ。急ぐんだよ。

 アーネスト。フロントで病院の場所を聞いて来てくれ」

 助けを呼ぼうと、立ち上がるアーネスト。

 戦闘行為には不慣れだが、いつも冷静沈着な学鬼が、猛に助言する。

「猛君。旱魃姫が憑依しているから、瑠衣さんの身体の状態が今以上に悪くなる事は無いよ。

 アーネストさんとキャサリンさんが言うように、回復させる技術に優れた医療機関に運ぶのが賢明な策だ。其れはアメリカなのかい?」

 猛は未だ興奮状態だったが、学鬼の指摘を聴く内に、冷静に考えを巡らせる余裕が戻った。

「ああ。2人の言う通り。銃傷患者に慣れているのは、アメリカの医療機関だ」

『では、アメリカに参ろう』

 閻魔大王が決定した。

 7人は一塊ひとかたまりに大きくまとめた金斗雲に乗って、上空に飛び立った。


 閻魔大王達を乗せた金斗雲は英領バージン諸島を飛び立つと、プエルトリコ、ドミニカ、ハイチ、キューバの沿岸を飛び、フロリダ半島の上空に接近した。

 目的地はフロリダ半島の付け根、フロリダ州ジャクソンビル。此処に所在するアメリカ海軍のメイポート海軍補給基地には軍港と飛行場の両方が有り、第4艦隊の司令部が置かれている。

 英領バージン諸島からメイポート基地までは直線距離で1500㎞余り。金斗雲に乗れば20分程度で移動できる。

 移動中の時間でアーネストやキャサリンとも相談し、市街地の救急医療病院を探し回るよりは、アメリカ軍基地に駐在する医務官を頼る方が効率的だと言う結論に至っていた。

 2500m滑走路を差配する管制塔の展望窓の外に、突如として現れる金斗雲。レーダーには何の反応も無かったので、管制塔のクルーは色めき立った。

 解脱状態の閻魔大王が大声で管制塔に呼び掛けた。

『基地司令官に、大至急、取次ぎをお願いしたい。

 こちらには銃で撃たれた人間がる。直ぐに助けて遣って欲しい』

 筆頭管制官は直ぐに「基地司令官に連絡せよ」と部下に命じ、救急車を急行させた。日頃から訓練しているアメリカ軍の人道的対応は俊敏であるし、管制官スタッフの誰もが閻魔大王の事を知っていた。モラルが違う。

 連絡を受けた基地司令官も即座に筆頭管制官の指揮を追認し、基地内に駐在する医療スタッフに緊急手術を命じた。

 担架に横たわり、救急車に乗せられる瑠衣。瑠衣の横で付き添う猛。瑠衣は顔面蒼白の容態だが、今は旱魃姫の力を信じるしかない。

 サイレンを鳴らした救急車が基地内の一画に移動して行った。

 一方、解脱状態の閻魔大王、アーネスト、キャサリンの3人は、警備担当の兵士に先導されて、司令官室に出頭した。

 案内された応接室のソファーに座るアーネストとキャサリン。閻魔大王は2人の間、ソファーの後ろで仁王立ちとなる。司令官が姿を現すまで手持無沙汰に時を過ごす3人。

 応接室の窓の外には滑走路が広がり、何機かの戦闘機やヘリコプターが格納庫への移動作業を待っている。窓際には三脚に支えられた星条旗と第4艦隊の隊旗が掲げられていた。ホスト席の背後の壁にはウィットモア大統領の大きな肖像写真が掲げられている。

「お待たせして申し訳ない」

 ドアをノックし、慌ただしく応接室に入って来る基地司令官。

「基地司令官のヘンリー・ギブソン少将です。初めまして」

 ギブソン少将は、まずは閻魔大王に握手の手を差し伸べ、立ち上がったアーネストとキャサリンとも握手する。

 ジェスチャーでソファーを差し示し、3人に着座を薦めた。アーネストとキャサリンだけが着座する。

『ワシは閻魔大王。司令官には急なお願いに対応頂き、大変感謝しております』

 閻魔大王が起立したまま、軽く頭を下げた。一瞬だけキョトンとした表情を浮かべたギブソン少将だが、笑顔を浮かべて閻魔大王に話し掛けた。

「確かにキング閻魔は英語以外の言語を話されていますな。不思議と意味は理解できる。噂通りですな」

『はい。ワシらは心で会話しますから。

 それで、瑠衣の容態は大丈夫ですか?』

「現在、緊急手術中です。ですが、心配は要らんでしょう。

 此の海軍基地に来られたのは正解ですよ。全米でも屈指の医療レベルですから」

『其れを聴いて安心しました』

「それよりも、キング閻魔。貴方も負傷されているのではないですか?」

 平安貴族が着る装束ソックリの衣装には、サブマシンガンの銃痕が幾つも開いている。赤い生地に刺繍された動植物や象形模様の装飾も所々に断裂し、シルクの如き軽い光沢も銃痕の煤で黒ずんでいる。

 頭に被っていた黒く四角い烏帽子も無くなり、黒い剛毛が逆立ったハリネズミの様だった。木靴も失われ、素足で立っている。

 無理も無い。1時間前までテロリストと乱闘し、彼らに突入した際に烏帽子は落ち、木靴の鼻緒は切れてしまっていた。戦い終えた姿の儘で金斗雲に乗り、海軍基地に飛んで来たのだった。

『いいや。ワシは怪我をしておらぬ。

 現世の武器がワシの身体を傷付ける事は出来ないのだ』

「そうですか。ですが、不思議ですね。

 身体は無事なのに、衣装はダメージを受けるのですね」

『此の衣装は現世で作られた物だからな』

 ギブソン少将が眉を上げる。怪訝に思ったアーネストとキャサリンも同じ表情をした。

『現世の時間で数えると何千年か前の出来事。夏王朝の国王が自分の墳墓に納めさせた副葬品なのだ。

 地獄の判じ場に来るなり、「ワシへの手土産として準備させたのだ」と言っておった。だから、「三途の川の渡河人とは衣装を渡す渡さないで乱闘をした」とも言っておった。彼奴あやつは召し使いも多数、引き連れておったからな』

「年代物の衣装だったのですな。残念ですが、ボロボロになった服装の儘では外を出歩けそうにないですね。

 部下に何か、替わりの衣装を準備させましょう」

 ギブソン少将は横に座る士官に命じた。命じられた士官は閻魔大王の靴のサイズだけを確認すると、応接室を出て行った。

「ところで、大統領には勿論ですが、NASAにもキング閻魔の来訪を報告しました。

 我々軍人よりも科学者がキング閻魔の御相手をすべきだろうと、予め決めておったものですから。

 現在、ケネディー宇宙センターから科学者が1人、此処に急行している最中です。此の会談に同席しても構いませんか?」

 ケネディー宇宙センターの所在するケープ・カナベラルからジャクソンビルまでは直線距離で100㎞強。ヘリが離陸してしまえば、30分弱の飛行時間で移動する事が可能だ。

『突然の来訪者はワシらの方だ。貴殿の言う通りにします』

「其れは良かった。御配慮、感謝します。

 それまでは場繋ばつなぎで私が御相手しますが、軍人として一言、キング閻魔に申し上げたい。オフレコですが・・・・・・」

『何でしょう?』

「東部アフリカ沖の海戦。見事な采配でした。

 軍史に残る事は無いでしょうが、死傷者を1人も出さない勝ち方には、敵を作らないと言う点で感服致しました。

 東大西洋の一件でもそうでしたが、死傷者が1人も出ていないからこそ、突然こうしてキング閻魔の来訪を受けても我々は冷静で居られます。キング閻魔の度量の大きさを感じます」

『お褒め頂くには及びません。ワシは地獄を統べる者。

 現世の人間に危害を加えるつもりは全く有りません』

「ところで、此の基地への接近も我々は一切察知できませんでした。何か特別な事をしているのですか?

 もし差し障り無ければ、教えてください。今後の対策に活かしますので・・・・・・」

 物腰は柔らかいのだが、ギブソン少将が抜け目なく質問して来たので、学鬼がアーネストから幽体離脱する。ついでに怠鬼もキャサリンから幽体離脱して来る。

 ギブソン少将がソファーの上で少し腰を抜かしそうになる。

「未だ2人も居たのですか?」

「初めまして。私は学鬼と申します。あちらは怠鬼。

 司令官を驚かす様な真似をして申し訳ありません」

「いえいえ。ところで、貴方は英語を話されている?」

「はい。現世で学びました。

 先程の司令官の御質問ですが、私達は何ら特別な事をしておりません」

「そうですか」

「どうも、物理と言いますか、物質と言いますか、現世と地獄では違う法則で動いているようです」

 学鬼の説明をノック音が遮る。NASAの科学者を伴った下士官が、紅茶セットを持参して入室して来た。カジュアルな服装をした科学者が閻魔大王の方に進み出る。

「ジャミル・アンデリーニです。NASAで働く生物学者です」

 閻魔大王と握手をした手を離さず、掌を何度も握ったり緩めたりしている。挨拶ではなく、完全に科学的確認作業だった。閻魔大王も好きに触らせていた。

「やっぱり通常の人間と握手している感じですね。こう遣って握っていると、骨格の様な感触が有りますね」

 閻魔大王との握手に満足すると、学鬼にも握手を求めた。

「残念ながら、此の状態で、貴方と握手する事は出来ません」

 学鬼が申し訳なさそうに、そう説明すると、

「いえいえ、御心配には及びません。どうなるか、まずは試してみましょう」

 ジャミルは学鬼との握手を試みた。だが、ジャミルの手は学鬼の手を素通りする。

 右手を交差する仕草を何度も繰り返し、左手で眼鏡のフレームを動かしながら、前屈みで観察する。フムフムと頻りに頷いている。学鬼との接触に満足すると、怠鬼とも同じ事を繰り返した。

『お前さんは知りたがり屋のようじゃな』

 怠鬼がボソリと感想を言った。

 長い挨拶を終え、ギブソン少将の隣のソファーに腰を降ろしたジャミルは、閻魔大王との話を再開した。少し興奮しており、ギブソン少将の存在を完全に忘れている。ギブソン少将も諦め顔で肩を竦めただけだった。

「キング閻魔。現在、お連れの1人が手術中だと伺っておりますが、彼女の応急処置が済みましたら、ケネディー宇宙センターに移りませんか? あちらの方が、医療設備は整っております」

「アンデリーニ博士。其れって、彼らを動物実験にしたいって事ではないですか?

 キング閻魔はアメリカ合衆国にとって賓客のはず。失礼な事をするのは如何いかがかと思いますが・・・・・・?」

 ジャミルの申し出を、キャサリンがヤンワリと牽制した。

「貴女は?」

 一応キャサリンとも握手したのだが、早速ジャミルの記憶からは抜け落ちている。

 少しムッとした声で、キャサリンが自己紹介を繰り返す。

「キャサリン・ウィーバーです。中央ニューズ・ネットワーク社の記者です。

 現在、キング閻魔を独占取材中です。キング閻魔からはアドバイザーの役も頼まれています」

「そうですか。でも、NASAの医療設備の方が整っているのは事実です。

 まあ、多少の健康診断にはお付き合い願いたいが、所詮は医療の範疇ですよ」

 キャサリンとジャミルの顔を交互に見比べていた閻魔大王は、アーネストに意見を求めた。

「まあ、気にする事は無いと思いますよ。

 アンデリーニ博士の言うように、医療設備の整った場所で療養した方が瑠衣にとって良いのは事実ですしね」

『分かった。では、汝の薦める通り、何処へなりと参りましょう』

 閻魔大王の決断に最も喜んだのは、実は学鬼である。NASAの存在を知ってはいたが、内部に立ち入る事になるなど予想していなかったので、知的好奇心が掻き立てられたのだ。

 瑠衣の緊急手術が終わると、一行はケネディー宇宙センターに移った。アンデリーニ博士はヘリコプターで、残りのメンバーは瑠衣の担架を真ん中にして金斗雲に乗り、ヘリコプターの後に続いた。

 メイポート基地を出発する際、閻魔大王には特別仕立ての軍服が支給された。

 特別仕立てと言っても、短時間なので既成服の手直ししか出来ない。身長250㎝の閻魔大王の体躯に合う既成服は無く、肥満体型用の歩兵迷彩服をベースに繕い直しただけだ。

 長袖の軍服は七分袖のよう。裾の先にはすねが覗いている。幸い、軍用ブーツだけは最大サイズで閻魔大王の足のサイズに足りた。

 別れ際、閻魔大王はギブソン少将に礼を言い、

『瑠衣の身体が回復したら、アメリカの最高司令官であるウィットモア大統領にも御挨拶に伺う所存です。

 宜しく、お伝えください』

 と、言伝ことづてを頼んだ。


 ケネディー宇宙センターに移って以降、予想された事ではあったが、閻魔大王一行は、しつこい位の健康診断を受けた。

 科学者達を落胆させる事になったが、憑依状態であれば生身の人間と変らなかったし、幽体離脱状態であれば暖簾に腕押し。解脱状態の鬼達には注射針を刺す事も出来ない。レントゲンやMRIに依る非破壊検査が精々である。

 そもそも、人間達の内なる存在である性根しょうねすら、科学的に証明できなかった。

 最初は否定していたNASAの科学者達も、地獄に連れて行かれて性根を見せられると、性根の存在を信じざるを得なかった。科学では証明できないけれど、確かに存在する“物”と言うのは世の中に有るのだ。

 もう一つ。

 旱魃姫の能力を検証する為に、密閉した小部屋の中に水を張った観賞魚用水槽を置き、旱魃姫にも解脱した状態で入って貰ったのだ。

 科学者達の見ている前で、水槽の水はどんどん無くなる。だが、小部屋の湿度は上昇しない。何処に水が消えたのか? 皆目見当が付かなかった。旱魃姫自身も、どうなっているのか、今以って分からないでいた。

 こんな感じで、科学者達にとって何ら新しい発見は無かったのだが、閻魔大王一行には嬉しい知らせが有った。

「どうやら、ミズ鬼頭きとうは妊娠しているようです。未だ胎児の性別を判断できる時期では有りませんが・・・・・・」

 勿論、懐妊の知らせを聞いた猛と瑠衣は大喜びした。

 直ぐにアーネストが「いつ仕込んだんだ? バージン諸島で?」と茶化す。常識人のキャサリンは「おめでとう」と祝辞を述べた。

 学鬼と怠鬼はキョトンとした顔付きをしただけだったが、旱魃姫は大袈裟にはしゃいだ。文字通り、病室内を飛び回って、懐妊の喜びを表現した。閻魔大王も我が事の様に喜んだ。


 猛と旱魃姫の憑依した瑠衣をケネディー宇宙センターの医療施設に残し、解脱した閻魔大王、学鬼の憑依したアーネスト、怠鬼の憑依したキャサリンの3人は、ホワイトハウスを訪問する事にした。瑠衣の治療に関して、謝辞を述べる為である。

 流石さすがに寸足らずの迷彩服では失礼に当たると言う事で、閻魔大王はスーツを新調した。白いワイシャツに赤いネクタイ。

 馬鹿の腰布1枚だった学鬼もスーツを新調し、青いネクタイを絞めた。

 怠鬼も、熊の緩キャラのワンピースがボロボロになっていたので、新たな衣装を手に入れた。

 だが、ドレスではない。身長100㎝の怠鬼がドレスを着用した処で、エレガントな雰囲気を醸し出せるはずが無かった。

 だから、NASAが見学者に配っている子供用トレーナーを着用した。腹部にはロケットをかたどったNASAのトレードマークが大きくプリントされている。怠鬼は絵柄のプリントされた衣装が好きなようで、黄色の生地を縫製したトレーナーを大いに気に入ったのだった。

 柄にもなく、アーネストもスーツを着込んだ。キャサリンも赤くタイトなビジネススーツを着用した。

 正装した格好で金斗雲に乗る。飛行機で移動するよりも早かったからだが、傍目からは何となくチグハグな感じのする光景だった。

 予めNASAが連絡していたので、ホワイトハウス前面の芝生に着陸する金斗雲にシークレット・サービスも発砲しない。客人として遇され、建物の中に通された。

 学鬼と怠鬼が、意味も無く幽体離脱して来て、周囲をキョロキョロと見渡す。

 映画で目にする大統領執務室に通される3人。執務椅子から立ち上がり、手を大袈裟に振り回しながら、ウィットモア大統領が執務机を回って来た。何度も繰り返して堂に入った選挙向けの笑みを浮かべている。

 仏頂面で応接椅子に座っていた国務長官と国防長官の2人も立ち上がり、入室して来た閻魔大王を迎えた。

「アメリカ合衆国のウォルター・ウィットモア大統領です。キング閻魔とは初めてお目に掛かる」

『閻魔大王です。貴殿が現世で最も力を持った権力者なのですな』

「権力者だなんて、とんでもない。アメリカ国民の事を絶えず考えているだけの、しがない公僕ですよ」

 ウィットモア大統領の「座ってください」との誘いに応じて、閻魔大王は着座した。

 閻魔大王の大きな体躯は長椅子を占有してしまい、アーネストとキャサリンは立ったまま、後ろに控える。

 大統領の秘書がコーヒーを運んで来る。

『本日お邪魔したのは、大統領に礼を言う為です。瑠衣を助けて頂き、有り難うございました』

「礼なんて、とんでもない。アメリカ人は人道的な行動には躊躇しません。当然の事をしたまでです。

 それにしても、英領バージン諸島では災難に遭われましたね。我々もテロリストの事を苦々しく思っています」

『大統領。其のテロリストの事ですがね。大統領とは相談したい儀が有ります』

 閻魔大王の一言に、国務長官と国防長官の顔付きが険しくなった、ウィットモア大統領だけが笑顔を浮かべ続けているが、閻魔大王に向けた目付きは鋭い。

『ワシはテロリスト共を炙り出そうと考えています』

「炙り出す?」

然様さよう彼奴あやつらは隠れておるから、善良なる人間共と見分けが付かぬ。

 だが、此の儘で放置していては、これからも残虐行為を重ねるでしょう。そうであるならば、先手を打って、彼奴あやつらを炙り出そうと考えておるのです。

 とは言え、ワシらは現世での土地勘が薄い。ですから、大統領に助太刀をお願いしたい』

「テロ対策で共同戦線を張ろうと、おっしゃる? それは、我々にとって願ってもない御提案です」

『但し、条件が有る』

「何ですかな?」

『殺生はしない。殺生すれば、憎しみの連鎖が生まれてしまう』

「テロリストを殺さずに、如何どうするのです?」

『性根を正します。生きたままで』

「性根?」

然様さよう。性根です。大統領は未だ地獄を見聞された事が無いのですね?』

「ええ。此れでも国を導くと言うのは忙しいのです。時間に余裕が出来れば、あの有名なツアーにも参加したいのですがね」

『貴殿が希望するなら、ワシ自らが案内します。

 現世の時間は気にする必要がござらぬ。出立しゅったつと同じ時を目指して、地獄から戻って来れば良いのですから』

 時間の概念が違うと言う報告をウィットモア大統領は部下から受けていた。単に地獄に行くのが嫌だっただけである。

 居心地悪そうに椅子に座り直すウィットモア大統領。

「其の内に是非、地獄を案内して貰うとしましょう。

 だが、喫緊の課題は、どうテロリストに対処するか?――です。如何どうするのですか?」

『アフリカでも試しましたが、彼奴あやつらに腐臭の刑を施します。咎人とがにん達を悶絶させる腐臭は現世においても効果を発揮するようです』

 ウィットモア大統領は、パイエスト共和国での顛末についても報告を受けていた。

「分かりました。アメリカ合衆国はキング閻魔と共同戦線を張りましょう。

 生憎、私には次の予定が有るが、別室にて、国務長官と国防長官の2人と詳細を話し合って貰えませんか?」

 ウィットモア大統領は握手の手を差し伸べた。会見時間の終わりを告げる合図だった。

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