15. 鼠小僧、夜空を駆ける

 十年じゅうねん一日いちじつが如し。此処は竜神大吊橋。

 冬の冷気が顔の肌を刺す。山間部特有の寒さを厭わず、スリルを味わう為に集う者は多かった。今日も、バンジーロープを両脚に固定し、橋桁のジャンプスペースから絶叫を上げて飛び降りる若者達が列を為していた。

 釣り餌のミミズの様にバンジーロープの先端に固定された若者が、青黒く広がった竜神湖の湖面を見ながら、上下方向の揺れが収まるのを放心の態で待っていた。

 5mほど目の前の空間がグニャリと歪んだ様な気がした。気の所為せいかと目を凝らす。

 すると、歪んだ視界の一点から、ニュウっと落鬼の頭が現れた。放射状に伸びた金髪がハリネズミの様だ。金髪の口髭・顎鬚あごひげを生やし、真ん中には異様に長い鼻が突き出た白人男性の顔。

 胸まで姿を現すと、山伏の格好をした天狗だと判明する。ユッサユッサと背中で羽搏はばたいている大白鳥の翼も徐々に姿を現す。

 ゆっくりと近付く落鬼の姿に慌てた若者は、無意味と分かっていても、バンジーロープの先端で両手をバタバタさせた。両脚は括られているので、腰を曲げ、尺取り虫の様に足掻く。

 逆さ姿勢でジタバタと慌てふためく様子を珍しく感じた落鬼が、自分の顔を若者の顔に近付ける。

 半狂乱になった若者が大声を上げて助けを求めた。

 バンジー施設のスタッフやら次なる順番を待っていた若者達が、ジャンプスペースから湖面を覗き込むが、距離が有るので詳細は分からない。何やら大きな鳥が近付いていると言う事だけが、遠目にも分かった。

 落鬼は取り乱す若者から視線を外し、橋桁を見上げると、徐々に浮上した。

 落鬼が近付くに連れ、橋桁でも騒ぎが大きくなる。

 今や、橋桁下段のジャンプスペース付近だけでなく、橋桁上段の遊歩道に居た観光客達もが落鬼を注視していた。高所から眼下を見降ろす恐怖心を忘れ、欄干に身を預けて、上昇して来る落鬼を覗き込んでいる。

「おい! あれは天狗じゃないか!」

「ああ、確かに天狗じゃ!」

「天狗を見る事が出来るなんぞ、冥途の土産に丁度良い。今回の慰安旅行は凄いなあ」

 老人会の団体旅行だと思われる一群の中から、そんな声が異口同音に湧き上がる。

 バサリ、バサリと両翼を羽搏はばたかせて、落鬼は尚も上昇する。観光客を見降ろす高さまで上昇すると、竜神湖を囲む山々を震わさんばかりの大音量で、左手に持つ法螺貝を吹き鳴らした。

 ボワァー。ボワ、ボワ、ボワァー。

 異形いぎょうの存在を目にした観光客達は逃げ惑う事もせず、放心状態で落鬼に見入っている。無防備と言えば、無防備である。

 法螺貝の合図に応じて、落鬼の出現した空間から、今度は黒い人影が出現する。猛スピードで浮上し、竜神大吊橋の支柱トップの更に上空まで飛び上がった。あまりの飛翔速度に、誰もが黒い人影の正体を視認できなかった。

 上空に留まる黒い人影に注意を奪われた人々は、橋桁上段の遊歩道に棒立ちの状態で顎を上げ、かざした右手のひさしの陰から目を凝らした。

 黒い人影は腕組みをして仁王立ちをしている。背中にはマントが揺れている。強い風が上空で吹いているはずだが、不思議とマントの揺れ方は穏やかだった。

「あれも天狗か?」

「なんだか格好が天狗とは違うようじゃが・・・・・・」

 戸惑う老人会のメンバーとは別に、橋桁下段のバンジー台の周辺でも黒い人影を詮議する意見交換が始まる。

「あれって、バットマンじゃないか?」

「いやあ、バットマンは上空に留まれないだろう? 空を飛べるのはスーパーマンだ!」

「でも、逆光だから分からないけど、着ている服は青と赤じゃなさそうだぞ。真っ黒みたいだ」

「それじゃあ、バットマンかなあ。でも、何で日本に出現するんだ?」

 若者らしい意見である。

 現場に居た全ての者には知るよしも無かったが、人影の正体は黒鬼であった。

 黒鬼が落鬼に頷くと、またもや落鬼が法螺貝を吹き鳴らした。

 ボワ、ボワ、ボワァー。

 谷間に響き渡る重低音を合図に、乗用車ほどの大きさの巨大な綿菓子が、落鬼・黒鬼の出現した空間から弾き出て来る。黒鬼を目指して垂直に、猛スピードで飛翔する。

 1体だけではない。何体も何体も、次から次に。無音だが、機関銃を掃射するが如く、1秒間に何体もの綿菓子が湧いて出て来た。

 綿菓子の正体は、金斗雲である。

 飛翔して来た金斗雲の群れは、黒鬼の足下に集合した。

 金斗雲には邪鬼が乗っていたのだが、現世に現れた瞬間は金斗雲の中に潜み、黒鬼の足下で止まった時は金斗雲の上に姿を現すので、竜神大吊橋に立ち並ぶ人々の目に触れる事は無かった。

 怪現象は数時間にも及び、黒鬼を中心に上空をビッシリと覆った金斗雲の駐留範囲は半径1㎞程度にまで広がった。竜神湖周辺の山々が雲海に浮かんだ様になる。

 竜神大吊橋を立ち去る者は居らず、新たに押し寄せた観光客が加わり、吊橋の遊歩道はさながら通勤電車の様相であった。

 観光施設で働く竜神村職員もまた、職場から屋外に出て来た。湖面上空から次々に新たな雲が噴出し、上空の雲が確実に広がって行く異変に見入っていた。

 金斗雲の湧出が終わると、落鬼が3回、法螺貝を吹き鳴らした。

 ボワァー、ボワァー、ボワァー。

 上空を眺めていた観光客の視線が、思い出したように落鬼に戻る。吹き終わった落鬼は、空中でクルリと蜻蛉とんぼ返りして頭を下にすると、大きな両翼の動きに似つかわしく悠然と下降し始めた。そして、出現した空間にゆっくりと消えて行った。

 落鬼が姿を消した後、上空の金斗雲の群れが動き始めた。

 巨大な円形の一端が棘の如くに突き出る。棘は延々と伸び、東を目指す金斗雲の細い行列となる。飛行機雲の様に行列が伸び続けるのに比例して、湖上に浮かんだ雲の塊は縮小する。

 完全に円形部分が解消し、一直線の飛行機雲状態になった時、竜神村の空は夕暮れ時を迎えていた。

 何時間にも及んだ怪現象は観光客らのスマホで動画撮影され、数多くの動画がインターネット上に拡散した。

 動画の一部は夕刻から夜に掛けてのニュース番組でも取り上げられた。

 数万を数える邪鬼達を従えた黒鬼が、閻魔大王を助太刀する為に一路、東を目指して移動を始めたのだったが、得意顔でニュース番組に登場するコメンテーターの誰もが無責任に不正確な事を口にするだけだった。

 レーダーの類で金斗雲の行列を捕捉する事は不可能だった。地獄の万物がレーダー波を吸収する事は無いが、反射もしない。表層に当たった波が消滅する感じだろうか。

 ただ、解脱状態で現世を訪れた場合は視認可能なので、気象衛星の光学カメラは金斗雲の飛行機雲をしっかり捉えていた。

 だから、気象ニュースの時間は、翌日の天気予報はそっち退けで、

「1時間前の気象衛星ひまわりの画像では、謎の飛行機雲は太平洋上をアメリカに向かって東進しております。

 飛翔速度は、ちょうど飛行機と同じ位のスピードです」

 と、気象予報士が連呼する羽目になった。

 番組の珍現象は深夜になるほど顕著になり、1時間毎に更新される気象衛星の画像を見ながら、夜更かしする日本人が相次いだ。

 一方、飛行機雲が接近中のアメリカの方では、防衛上の警戒レベルが引き上げられた。就寝中の国防総省関係者が何人も、叩き起こされては緊急招集されていた。時差の関係で、日本で夕刻の時間はアメリカ東海岸では深夜未明である。アメリカ西海岸であれば、就寝時間であった。


 落鬼が最初の法螺貝を吹き鳴らしていた頃。

 地球の裏側近く、アフリカ東部では、難民キャンプのテントの中で閻魔大王が姿を現した。閻魔大王が「加勢を連れて参る」と言って姿を消してから、未だ1時間も経ってはいない。

 閻魔大王の再出現に最も驚いたのは、アーネストである。

「何だ、キング閻魔!? もう戻って来たのか?

 何処に援軍は居るんだ? キング閻魔独りか? それじゃあ、役に立たないぜ」

 立て続けに閻魔大王に向かって質問を浴びせる。色々と質問したがるのはマスコミ関係者のさがである。

 そんな事とは知らず、少しウンザリした表情を浮かべて、閻魔大王がアーネストを軽くなす。

『アーネスト。汝は煩い男だのう。チャンと加勢は連れて来ているわ。心配するな』

 閻魔大王の返答を聴いて、急いでテントの外を覗きに行った猛だが、別に変った様子は無い。

 閻魔大王の処に戻ると、「他には誰も見えないけど?」と、不安気に説明を求めた。

『今、猛が地獄に落ちて来た場所に、黒鬼が邪鬼共を集結させておる最中だ』

「えっ!? 日本に現れるの? 何故? 何故、此処に直接来ないの?」

『食糧を運ぶ為に金斗雲を使いたいと考えたからだ』

「金斗雲と何の関係が有るの?」

 現世に来ると、もっぱら恋愛関係で猛に教えて貰う事が多かった閻魔大王は、少し茶目っ気を出して猛に講釈する。

『猛。如何どうやって汝は現世に戻って来た?』

「閻魔さんに憑依された状態で、黄泉よみを潜ってだよ」

『そうだ。地獄から現世に来るには黄泉を潜らねばならない。だが、金斗雲は其の黄泉を潜れないのだ』

「えっ、何故?」

『同じ水の如き組成だからな。黄泉の中で金斗雲は解けてしまうんだよ』

「へえ。意外と不便なんだねえ。だから、日本?」

『そうだ。猛の落ちて来た時空の穴を通って、金斗雲を現世に持ち込むのだ』

 猛と閻魔大王の遣り取りをイライラしながら聴いていたアーネストが会話に割り込む。

「何だか、俺にはサッパリ分からないぜ。其の金斗雲って言うのは何なんだ?」

「アーネスト。百聞は一見にかずだよ。現物を見てみれば一目瞭然だから。我慢して待っていろ」

 猛が気の毒そうにアーネストをなだめる。宥められても、取材魂は中々収まらない。

「分かった。金斗雲の事は質問を控えよう。

 だが、キング閻魔が姿を消して、また現れるのに1時間も経っちゃいない。此れを、どう説明するんだ?」

「だって、地獄には時間が無いんだもの」

「時間が無い?」

「地獄って永久に続く世界なんだぞ。此の閻魔さんだって永遠に生きるんだぞ。そんな世界に時間と言う概念が有るわけが無いだろう?」

「だが、時間と言う概念が無いだけで、時間そのものは有るだろう?」

「お前って理屈っぽい人間だなあ。兎に角、地獄に戻った閻魔さんは現世の好きな時間に戻れるの。閻魔さんが消えてから、また現れるまでの1時間は、誤差みたいなものなの!」

「好きな時間に戻れるって言う事は、昨日に戻る事も出来たって言う事か?」

 そんな事は考えた事も無い。答えに窮した猛は閻魔大王の顔を見る。

『昨日は無理だ。現世の昨日にはワシが存在したからな。だが、現世の1年前にならば、戻れる』

「じゃあ、現世の1年前に戻ってから、ずっと居続けたら?」

『同時に2人のワシが現世に留まる事は出来ぬから、ワシが現世に来た3週間前になれば、地獄に戻ってしまうだろうな。世界のことわりを混乱させる様な真似を、自ら試してみようと考えた事など無いが・・・・・・』

「なあ、そんな大学の勉強みたいな事は、今度、学鬼さんを紹介してやるから。其の学鬼さんに質問しろよ」

「ゴブリン学鬼?」

「いや、ゴブリンと言う感じじゃない。全然、意地悪くない。逆に、凄く紳士的」

「じゃあ、デビル学鬼と言う呼び名も似合わない?」

「そう。似合わない。ミスター学鬼で良いんじゃない?

 それに兎に角、今は難民救済の事を優先して考えよう。なっ!」

 難民救済と言われれば、アーネストも矛を収めざるを得ない。口をモゴモゴさせつつも、大人しくなる。

「ところで、閻魔さん。いつ頃、黒鬼さん達は此処に来るの?」

『黒鬼達は此処には来ぬ』

「えっ!? じゃあ、何処に向かっているの?」

『アメリカに向かわせておる』

「じゃあ、此処に誰が来るの?」

『学鬼だ。あと1時間もしない内に到着するであろう』

「日本から? そんなに速く飛んで来れるの、金斗雲って?」

『ああ。学鬼の存信が接近して来るのを感じる。

 黒鬼達とは違い、こちらに西廻りで直行しているからな。現世の時間で1時間は掛からぬであろう』

「じゃあ、黒鬼さんも数時間でアメリカに到着するの?」

『いや。黒鬼には「ゆっくり参れ」と申し付けておる。3万もの邪鬼を伴っての行軍だからな。

 それに、アメリカのの場所に行けば良いのか、ワシが猛から教えてもらわねばならぬからな』

「そうすると、学鬼さんと合流した俺達は金斗雲でアメリカに行き、黒鬼さん達に合流するんだね?」

『そう言う段取りになる』


 アーネストの横槍で脇道に逸れつつも、猛、瑠衣、閻魔大王、旱魃姫、アーネストの5人で話し合っていると、テントの周辺が騒がしくなった。

 猛と瑠衣、アーネストの3人がテントの外に走り出すと、5m程の高さに4つの金斗雲が浮かんでいた。見た目は雲にソックリだが、明らかに雲とは違って、重量感がある。

「ジーザス、クライスト! あれは何だ? あれが金斗雲か?」

 アーネストの指差す金斗雲の一つが猛のそばまで降りて来た。学鬼が金斗雲の上から猛に「久しぶりだね、猛君!」と声を掛けた。

「ジーザス、クライスト! 何だ、此の悪魔は?」

 アーネストは一々煩い。しかも失礼だ。悪気が無いのは分かっていても、少々ウンザリする。

「口を慎めよ、アーネスト。こちらは学鬼さん。お前が話したがっていた方だよ」

「学鬼です。宜しく」

「アーネストです。えぇっと。あ~、う~」

 握手の手を差し伸べつつ、何と言う冠詞を付けるべきかを悩んで口籠るアーネストだった。

「ミスター学鬼で良いんじゃないか。そんな拘るような事でもないし・・・・・・」

「ああ、猛君。もし、彼が良ければ、ドクター学鬼と呼んで欲しいな」

「ドクター? 医術の心得が有るのか?」

「いいえ。でも、人間達は学者をドクターと呼ぶんでしょ? 私も学究の徒です」

「へえ。何処かの大学で学問を修めたのか?」

「猛君が東京大学で学んでいた時に、東京大学の教授達に憑依して回りましたからね。

 彼らの専門知識なら、私の頭の中に有りますよ」

「そりゃ、凄いな! それなら、ドクター学鬼! 改めて自己紹介するよ。俺はアーネストだ。宜しく」

 ようやく、学鬼とアーネストの2人は握手した。

「学鬼さん。残りの3つの金斗雲には邪鬼さん達が乗っているの?」

「ああ、そうだよ」

「こいつ、俺の同僚なんだ。閻魔さんと旱魃姫には会っているんだけど、他の鬼とは会った事が無くてさ。

 だから、邪鬼さん達の姿をアーネストに拝ませてってくれないかなあ?」

「ああ、良いよ」

 気さくに応じた学鬼は「お~い」と上空の金斗雲を呼び寄せる。金斗雲に乗った邪鬼達を見たアーネストは、また、

「ジーザス、クライスト! 何だ、何だ。こっちはこっちで、別の悪魔にソックリだな」

 と、呟いた。本当に失礼な男である。

 邪鬼の身長は約100㎝と低いが、チンパンジーを獰猛にした感じの顔面で、黒目だけの目が不気味に釣り上がり、両端が釣り上がった口元の上顎から犬歯が覗いている。

 三角状に一端が尖った黒い頭巾を被り、鮫肌の黒い衣服をまとっている。素足の指先には鷹の如き爪が伸びている。手には刺股を持っている。

 アーネストが悪魔と呼ぶのも無理は無いが、如何いかにも失礼千万であった。

「おい! アーネスト。先入観を捨てろ。外見だけで他人を判断するなよ。性格の良い鬼達なんだから」

 猛は(助太刀に現れてくれた邪鬼達が気分を害さないか?)と気が気でなかった。


 襲撃目標は、五大穀物メジャーの一つであるカーモネギ社の穀物倉庫。

 小麦・トウモロコシ・大豆の世界市場を牛耳る五大穀物メジャーと言う呼称は、アメリカの2社、フランス・オランダ・スイスの会社が1社ずつの計5社を表現する言葉だが、アメリカの2社の内、アメリカン・グレイン社の事業規模はカーモネギ社と比べて4分の1と小さいので、カーモネギ社を狙い撃ちする事にしたのだ。

 カーモネギ社の本社はカナダと国境を接するミネソタ州にあるが、当然ながら、穀物倉庫は穀倉地帯に点在している。トウモロコシであれば、アメリカ中央部。小麦であれば、冬小麦はトウモロコシ穀倉地帯の南西方向、春小麦はアメリカ北部からカナダに跨った地帯と言う風に、点在している。

 目的地は、ミズーリ州からイリノイ州に跨った範囲のトウモロコシ倉庫。そして、カンザス州からオクラホマ州に跨った範囲の冬小麦倉庫とした。

 黒鬼の率いる助太刀部隊との合流地点は、二つの目的地の中間。

 学鬼の到着後、4つの金斗雲は改めてアメリカを目指した。閻魔大王の憑依した猛、学鬼の憑依したアーネスト、そして3鬼の邪鬼が分乗した計4つの金斗雲は、難民キャンプを飛び立った。

 金斗雲の飛翔速度は時速5千㎞を超え、飛翔時間は2時間程度。戦闘機の最大速度が時速3千㎞程度なので、更に速い。

 それでも、金斗雲に乗った猛やアーネストは大した風圧を感じない。現世とは明らかに違う物理の法則が働いていた。アーネストは手始めに、奇妙な現象の解説を憑依した学鬼に問い質した。

 小心者の猛とは違い、冒険心と探究心の旺盛なアーネストは、「こんな機会を見逃す手は無い」と参加を自発的に申し出たのだ。

 だから飛翔中に、アーネストは他にも色々と学鬼に質問していた。教師役に慣れた学鬼も、アーネストの質問に喜んで答えていた。

 一方の猛は頭の中で必死に自己暗示を唱えていた。

(俺は義賊だ。盗賊じゃない。鼠小僧や石川五右衛門と同じだ。大儀は我に有る)

 関心を示した閻魔大王が猛に尋ねる。

(其の鼠小僧とか、石川五右衛門と言う者は何者だ?)

(江戸時代の泥棒。金持ちから盗んだ物を貧乏人に振る舞った泥棒だよ)

(ほう、以前にも、其の様に殊勝な人間がったのだな)

(でも、結局、奉行所に捕まって、処刑されたんだけど。俺は大丈夫かな?)

(心配無用。此の閻魔大王が就いておるのだ。大船に乗ったつもりでおれば良い)

 そう太鼓判を押されても、恐怖心が全く薄まらない猛であった。


 同じ頃。黒鬼の部隊はメキシコの太平洋沖に集結していた。

 飛行機雲は元の半径1㎞程度の円形に戻っていた。

 正確にはメキシコの領空であるが、アメリカの防空識別圏でもある。アメリカ空軍の防空レーダーでは探知できなかったが、気象衛星の画像をトレースしていたアメリカ空軍は、黒鬼部隊の動向を逐一把握していた。

 今は、カリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地を飛び立った第14空軍所属の戦闘機が3機編隊で金斗雲の周りを周回し、更に遠巻きにして沿岸警備隊のヘリコプターが滞空し、警戒活動を展開していた。

「基地本部、基地本部。こちら、アップル1。現在、未確認飛行物体の周囲を旋回している」

「了解。アップル1、未確認飛行物体の状況を知らせよ」

「ラジャー。未確認飛行物体は、まるで雲のよう。ハリケーン雲の様に渦巻いている。

 但し、雲の色は通常の雲よりも少し濃い。黄色がかっているようだ。

 そして、ハリケーン雲の上に何万もの兵士が蟻の様に群がっている」

「アップル1、アップル1。報告内容を聞き損じてしまったが、雲の上に何が群がっていると言ったのか?」

「何万もの兵士だ」

「兵士? 雲の上に?」

「そうだ。信じられないのも無理は無い。俺だって、自分の見ている光景が信じられない。

 だが、何万もの兵士が雲の上に群がっている」

「そのう・・・・・・。下に落ちないのか?」

「落ちていない。だから、普通の雲じゃない」

「分かった。それで、兵士達の武装は?」

「槍の様な物を手にしている」

「槍? 小銃ではなくて?」

「小銃ではない。多分、槍だと思う。だが、槍の先端は尖っておらず、Yの字に別れている」

「Yの字に? 先端から銃弾が出るのか?」

「いや。そんな雰囲気ではない。だから、槍のイメージに近い。兎に角、我々には未知の武器だ」

「・・・・・・了解。・・・・・・今、司令から沿岸警備隊に偵察要請が発せられた。

 ヘリコプターを突入させ、雲を蹴散らせてみる。アップル小隊は、沿岸警備隊のヘリコプターが攻撃を受ける事態に備えよ。攻撃された場合、武器を使用した反撃を許可する」

「ラジャー」

 後ろに控えていた沿岸警備隊のヘリコプターの1機が、バタバタとローター音を響かせ、果敢にも金斗雲に近付き始めた。

 接近するヘリコプターを、刺股を手にした邪鬼達は無造作に眺めていた。逃げようともしない邪鬼達を見ながら、ヘリコプターの搭乗員達は緊張の面持ちである。機体後部を僅かに上げ、仰角の着いた姿勢で接近する。

 ヘリコプターのランディングギアが金斗雲に接触した時、搭乗員の誰もが想定しなかった事故が発生した。

 ランディングギアは、金斗雲を突き抜ける事が出来ず、送電線に引っ掛かった様な動きをした。飛行中の機体に急制動のエネルギーが加わる。テールローターが持ち上がり、機体が前のめりに引っ繰り返る。

 金斗雲が霧状だと思い込んでいた操縦士は、操縦レバーを握り締めたまま、予期せぬ動きに瞠目した。

 機体が完全に転覆する前に、まず回転翼が金斗雲と接触した。まるで地面に叩き着けられた様に、回転翼が次々に折れ、破損した。

 千切れたメインローターが邪鬼達にぶつかる。だが、邪鬼達は軽く前から押された程度に後退あとずさるだけで、平気な顔をしている。衝撃エネルギーの残ったメインローターの破片は金斗雲に当って跳ね返り、別の邪鬼に当っては宙を舞った。そして、金斗雲の上に転がった。

 回転翼の無くなった機体は前転し、操縦席も上下が逆様になった。

 敵地の最中さなかだが、操縦席に括り着けられていても埒が明かない。搭乗員達はシートベルトを外すと、操縦席からズリ落ち、携行した拳銃を手にして機体から頭を出した。

 すると、何鬼かの邪鬼が人体櫓じんたいやぐらを組んだ。どうやら、邪鬼達の背中を踏み台にして降りろと言う意味らしい。

 5人の搭乗員達は「悪魔の背中を足蹴にして大丈夫か?」といぶかしんだが、拳銃も持っている事だしと、意を決して金斗雲の上に降り立った。通常の雲とは別物だとは既に理解していたが、デコボコした蒟蒻こんにゃくの上に立っている様な感触は少し意外だった。

 5人は背中合わせに円陣を作り、拳銃を外向きに構えて立った。

 櫓を組んだ邪鬼達も別れ、元の場所に戻る。周囲の邪鬼達は5人を見る事無く、アメリカ大陸の方を向いて無言で立っている。

 平たく言うと、5人の搭乗員は無視されていた。無視されると、其れは其れで疎外感を感じて落ち着かないが、警戒心を解かずに拳銃を構え続ける。

 5分か10分の時間が経った頃。

 周囲の邪鬼達よりも身長の抜きん出た新たな悪魔が、5人の搭乗員の前に現れた。鞘に納めた長剣を腰に下げた黒鬼である。

「オー、ゴッド! バットマンが現れたぞ! 隊長、バットマンです」

 黒鬼の近付いて来る方向を向いていた搭乗員が叫んだ。

 他の4人も振り向く。

『私は黒鬼だ。お初にお目に掛かる』

「ジョンストン軍曹だ」

 隊長のジョンストン軍曹が、身長230㎝程度の黒鬼の顔を見上げて、敬礼した。

『貴様らの挨拶は、こうして手を差し出して、握り合うはずではなかったか?』

 黒鬼の呟きに慌てて、ジョンストン軍曹は握手をし直した。

 黒鬼は他の4人にも右手を差し出す。友好的な仕草に戸惑い、互いに顔を見合す4人であったが、隊長が握手したのだからと、拳銃をホルスターに納め、次々に握手して行った。

『貴様らの乗り物は災難だったな。迎えに来て貰う必要が有るのだろう? 仲間に連絡できるのか?

 連絡できぬなら、邪鬼共に金斗雲で望みの場所まで送らせるが・・・・・・。如何どうする?』

 黒鬼の丁寧な対応に気勢を削がれたジョンストン軍曹は、「如何どうするかな」と呟いた後、通信兵に救援ヘリを要請させた。

 救援ヘリが到着するまでには20分程度の時間を要するだろう。無言で居るのも気詰りなので、何でも良いから情報を仕入れておこうと、ジョンストン軍曹は黒鬼に話し掛けた。

「ミスター黒鬼はバットマンを知っておるか?」

『いいや、知らぬ。其れは何だ?』

「アメリカンヒーローの1人だ。貴殿は其のバットマンにソックリだよ。

 失礼ながら、顔付きはサタンっぽいが・・・・・・。

 アメリカ人に自己紹介する時に「ニックネームがバットマンだ」と言えば、人気が出るぞ」

『そうか。良い話を聴いた。恩に着るぞ』

「ところで、バットマン」

『ウム?』

「バットマンは、何故なにゆえにアメリカを目指しているのだ?」

『遠方まで食糧を運ぶ役務を閻魔様より仰せつかっておる』

「閻魔様って言うのは?」

『貴様らの言葉で言えば、国王だな』

「国王って言うのは随分と古風な言い方だな。もう何百年も前の言葉だぞ。

 それに、此処アメリカには国王が居たためしが無い」

『そうかもしれんな。私が訪れた国は、ブルボン王朝とかグレートブリテン王国とか称していた国々だが、今はもう滅んだのであろうな』

「何だか凄く昔の話をしているようだが、バットマンは一体、何歳なんだ?」

『何歳と問われてもなあ。地獄には時間が無いから、答えようが無い』

「そうかあ。じゃあ、バットマンの任務である食糧運搬は、何処から運び出すんだ?」

『詳細は未だ閻魔様から聴いておらん。今、伝令を待っている処だ』

 ジョンストン軍曹は世間話も交えながら、巧みに情報を仕入れて行った。何ら警戒していない黒鬼も気軽に、ジョンストン軍曹からの質問に答えた。

 そうこうするうちに、救援ヘリが遣って来る。予め金斗雲の性質を連絡していたので、今度は無事に着陸した。

 救援ヘリに搭乗する際、

「バットマン。雲の欠片を土産に貰う事は出来んかなあ?」

 と、さり気なくジョンストン軍曹が頼む。

 黒鬼は、邪鬼の1鬼に金斗雲を千切らせると、掌くらいの大きさの金斗雲を手渡した。全く緊張感の湧かない20分を過ごし、ジョンストン軍曹以下の5人は、飛び上がる救援ヘリの横腹に開いた搭乗口から身を乗り出し、大きく手を振って別れを告げた。

 此の後、5人は国防総省に緊急移送され、CIAだ、FBIだ、NASAだと様々な機関の人間から質問攻めに遭う。ただ、金斗雲の組成は全く解明できなかった。

 また、「奴らは何語を話していたんだ?」と言う質問にも、上手く答えられなかった。

 よって、此のファーストコンタクト以降、アメリカ政府はNASAの陣頭指揮に依り対応する事にした。残念ながら、アメリカ政府の体制作りは、黒鬼部隊の食糧強奪作戦には間に合わなかったのだが・・・・・・。

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