14. アフリカ動乱

 世界中の人々が新年を祝った余韻も冷めやらぬ1月初旬。アーネスト・オブライエンの予言は的中した。

 アフリカ東部に位置するパイエスト共和国。

 フランス語で“東の国”と言う意味の国名が語る通り、パイエスト共和国は第二次世界大戦の直後まではフランスの植民地であった。1960年代にアフリカ各国が相次いで植民地支配から独立したのと期を一にして、パイエスト共和国も独立を勝ち取った。

 議会制を敷いているが、在任期間の長い大統領が権力を握り、実質的に親政を行っていた。

 旧宗主国に倣ってキリスト教徒が支配階級の太宗を占める。反面、国民の殆どはイスラム教徒だった。

 植民地から独立した国家に有り勝ちな事だが、此のパイエスト共和国も産業基盤が弱く、西ヨーロッパに一次産品を細々と輸出して国の経済を支えている。

 ハッキリ言うと、経済的には貧困状態と断じるのが妥当な小国で、国民は困窮に起因する不満の捌け口を異教徒でもある支配階級に求めている。国民の憎悪を向けられた支配階級にしても、此の国で生きて行かねばならないので、往々にして武力弾圧で国民を抑圧する。

 抑圧は更なる憎悪を生み、憎悪は抑圧を強める。其の悪循環だった。

 更に問題を複雑にしていたのが、テロリストの存在。敬虔なイスラム教徒とは言えぬ野蛮な集団であったが、建前上はイスラム教の聖戦を唱え、パイエスト共和国だけでなく隣国まで含めた広い範囲で、武力闘争を繰り広げていた。

 其のテロリスト集団が、サハラ砂漠周辺の勢力圏から姿を現し、パイエスト共和国辺縁部に雪崩れ込んで来たのだ。

 テロリスト達は、虐殺、略奪、誘拐。有りとあらゆる極悪非道な行為を繰り広げた。

 小さなオアシスに形成された寒村を襲っては、土塀に茅葺の前近代的な家屋に住む住民を追い出し、成人男女を銃殺しまくった。そして、押し入った家屋を粗探ししては、目欲しい物を全て略奪した。未成年者は誘拐の的となり、男の子は洗脳して兵士の補充に当て、女の子は奴隷市場で売り捌くのだ。

 今回の襲撃は近年に無く大規模なもので、パイエスト共和国からは大量のイスラム教徒が隣国に避難し、難民となった。パイエスト共和国の政府はテロリスト達の行為を黙認していた。

 キリスト教徒の彼らにすれば、テロリスト達の暴挙は異教徒同士の争いに過ぎず、イスラム教徒の国民の中には反政府運動に身を投じる者も多かったから、避難民を保護する意欲が湧かなかったのだ。

 また、鎮圧目的で国軍を辺縁部に出兵させては、手薄になった首都警護の隙を突かれて反政府勢力がクーデターを起こすかもしれないと、危惧したのだ。危険は冒せない。

 国連難民高等弁務官事務所は直ちに非難声明を発すると共に、主な国連加盟国に根回して財政支援を要請し、並行して隣国にも出向いて難民キャンプの開設を働き掛けた。

 だが、テロリスト達の動きが急で、且つ、難民の数は膨大であった。襲撃初期には統制が取れつつあると楽観した時も有ったが、今は混乱の極みであった。

 瑠衣はUNHCRの一員として、パイエスト共和国に入った。猛もまた特派員として、パイエスト共和国に入った。そして、先に入国していたアーネストと合流する。

 首都の中で外国人が宿泊している唯一のホテル。

 ホテルに投宿した猛と瑠衣は、1階の屋外テラスの喫茶店でアーネストと情報交換をする。

「今、パイエスト共和国は、どんな感じなの?」

「どんな感じも何も・・・・・・。見ての通りさ」

 アーネストは片手をグルリと回し、猛にホテル前の通りを見てみろと言う仕草をした。

 貧乏な国なので、首都とは言え、道路のアスファルトはひび割れ、割れ目から赤味を帯びた砂が浮き出ている。当然ながら交通量は少なく、時代遅れの中古車が疎らに行き交うのみである。時々は荷台を引いた馬車も通る。

 一見すると長閑な光景だが、3人が座っているテラスからも砂漠色に塗装された2台の装甲車が見える。車体上部の銃座では、ヘルメットを被った鋭い目付きの兵士が機関銃を構えている。他にも、小銃を携えた歩哨が何人もホテル前のロータリーを横切ったり巡廻したりしていた。

「何となく、国軍の統制が取れているように見えるけど?」

「首都だけは、な・・・・・・。だが、奥地に行くと、悲惨な状態らしい。

 俺は明日から、テロリスト達がイナゴの群れみたいに略奪し回った後の現場を見て回ろうと思う」

「じゃあ、俺も連れて行ってくれよ」

 猛の隣に座っていた瑠衣が目を剥く。

「馬鹿言うなよ。ペーペーのお前には未だ嗅覚が働かないだろう?

 略奪が終わったと言っても、伏兵が居るかもしれないし、迷い兵がうろついているかもしれない。そいつらと遭遇したら、直ぐに撃ち殺されるぞ。危ない現場は俺に任せておけ」

 瑠衣はホっと胸を撫で下ろした。

「それよりも、そろそろ難民キャンプを立ち上げるんだろう? 奥さんに便宜を図って貰って、そっちを取材しろ。

 ところで、難民キャンプの方は、どんな感じなんだい?」

 アーネストは瑠衣に情報提供を求めた。

「未だ未だ更地状態みたい。フェンスも張っていないから、迷える羊達が砂漠の真ん中で群れを作っているだけって言う状態。

 一応、難民達の周囲を各国のPKO部隊が警護しているけれど、続々と難民が押し寄せているから、テロリストが難民に紛れて近寄って来たら大混乱に陥るでしょうね」

「まあ、急な動きだったからなあ。各国の足並みが揃うのだって時間が掛かっちまうだろうし、仕方ねえなあ」

(ところで、猛よ)

(何? 閻魔さん)

(ワシは人間共の遣る事を粒さに見てみたいのだが、話を聴いていると、お前は奥地に行かぬのだろう?)

(うん。今、経験不足だってアドバイスされた)

(物は相談だがなあ。此の男にワシの憑依を頼んでは貰えぬか?)

 猛は黙り込んだ。アーネストは、どう反応するだろう?

 何分間も無言でアーネストの顔を凝視していると、アーネストが居心地の悪さを訴えた。

「おいおい、猛! お前、ホモに鞍替えしたんじゃないだろうな?

 俺の顔より奥さんを見詰めていろよ。何だか気色悪い奴だなあ」

 ズボラな性格に見えて、こう言う感覚は鋭い。

 アーネストの指摘を受けて「いやあ~」と視線を外したが、其の様子を見ていた瑠衣と視線を合わせて、無言で頷く。

 瑠衣も直ぐに猛が何かをしたがっている事に気付き、少し緊張した表情を浮かべた。

「なあ。アーネスト」

「何だ?」

「お前、スワヒリ語を話せるのか?」

「いいや。話せるわけがないだろう」

「スワヒリ語を話せるようになりたいと思わないか? 今、直ぐに。取材には重宝するぜ」

 猛の話の持って行き方を聞いて、瑠衣は直ぐに猛の意図を察した。

――きっと、閻魔さんに頼まれたんだ。

「そんな夢みたいな事が出来るわけがないだろう? 揶揄からかっているのか、俺を?」

「騙されたと思って、俺達の部屋まで来ないか?」

「そうね。アーネストさん。私達の部屋に行きましょう。

 こっちも秘密の話が有るから、此処では話し難いわ」

 部屋まで案内されたアーネストは、立ち並ぶ猛と瑠衣の後背から白い煙の塊が2体、ユラユラと湧き出て来る様を目撃する。アーネストは「ジーザス!」と声を上げるも、特派員記者の習性からカメラを構えようとする。

「待って!」

 猛がアーネストの動きを制止した。

「今は待って。時期が来れば、公開する事が有るかもしれない。

 でも、今はアーネストの胸だけに仕舞っておいて欲しいんだ」

 アーネストは人間として物分かりの良い方だ。猛の言葉に頷き、カメラを下げた。

 其の間に、閻魔大王と旱魃姫の幽体離脱が完了した。

「こいつらは何者なんだ?」

「キング閻魔とプリンセス旱魃。2人とも死後の世界から遣って来た」

「ジーザス、クライスト! 悪魔って事か!?」

「悪魔じゃない! 俺達に害を成す存在でもない」

「だって、死後の世界から来たんだろ! 悪魔か天使に決まっている」

「それじゃあ、悪魔に見えるか?」

「いや。大男の方は見た事も無い格好だが、女の方は、どちらかと言うと、天使だな」

「此の2人は東洋の神様なんだよ」

『猛。其れは違うぞ。ワシは神様ではない。神様は別にいらっしゃる』

 猛と瑠衣の話す言葉は英語だが、幽体離脱した閻魔大王の話す言葉は、それまでアーネストが耳にしたどんな言語とも違っていた。だが、其の事実に気付かなかった。

 閻魔大王とは意思が通じるし、それよりも此の幽体離脱とか憑依とか言う怪現象に圧倒されていたのだ。

「えっ!? じゃあ、此の大男は神様の遣いか? だが、悪魔だって最初は神様の遣いだったわけだからな・・・・・・」

 どうしても悪魔と言う連想を断ち切れないアーネストだった。

「だからあ、悪魔じゃないって言っただろう。お前も憑依して貰えば、直ぐに分かる」

「憑依? 俺の身体に取り憑かせるって事か? そんな気色の悪い事は絶対に断る!」

「じゃあ、スワヒリ語を話せないままだぞ。良いのか?

 スワヒリ語だけじゃない。世界中のどんな僻地の現地語だって話せるようになるんだぜ。これからの記者生活を考えると、強力な武器になるんじゃないのか?」

 猛が訪問販売員も顔負けの誘い水を繰り出す。理知的打算と生理的嫌悪感がせめぎ合う間、口をつぐむアーネスト。

 猛が「勿体無いなあ」と言って、苦渋の表情を浮かべるアーネストを更に追い込む。実利には勝てぬと納得したアーネストが、迷いを振っ切るように大声で降参した。

「分かった、分かった! 猛の提案に乗るよ。

 だが、俺の身体に取り憑かせるのは女の方だ。プリンセスの方」

「其れは駄目だよ」

「何故?」

「此の2人は夫婦なんだぞ。プリンセス旱魃が閻魔大王以外の男に憑依したら、一種の浮気になってしまう」

「面倒臭いなあ。猛はプリンセスって紹介したじゃないか! プリンセスって言ったら、王様の娘だろう」

「ああ。正確に伝えなかった俺が悪い。言い直す。クィーン旱魃だ。だから、旱魃姫は諦めろ」

「仕方無いなあ。此の大男は俺に害を為さないんだろうなあ?」

 ブツブツと不平不満を言い連ねるも、観念して閻魔大王の憑依を受け入れる。

 閻魔大王の姿を吸い込んだアーネストに向かい、猛が、

「アーネスト。部屋の外に出て、ホテル従業員の誰かと適当に何か話して来いよ。

 そして、相手の話す言語に耳を傾けるんだ。きっと現地語を話し始めるはずだから」

 と言いながら部屋のドアを開け、彼の背中を押して廊下に押し出す。

 渋々と立ち去って行くアーネスト。

「ところで、猛。閻魔さんは何をしたがっているの?」

「最前線を視察したいらしい。俺達、人間の悪行を目に焼き付けたいらしいよ」

「大丈夫?」

「分からない。でも、閻魔さんに隠し事は出来ないだろう? 閻魔さんを信じるしかない」

「其れもそうねえ。ところで、猛は如何どうするの?」

「うん。瑠衣と一緒に難民キャンプに行くよ。

 アーネストにも難民キャンプで合流して貰って、其の時に閻魔さんには俺の身体に乗り移って貰う」

「そうなんですって。旱魃姫」

『分かりました。私は閻魔大王に従います。

 それじゃ、瑠衣の身体に憑依し直すわ。猛、バイバイ』

 旱魃姫の姿が消えた頃、廊下をドタバタと走ってアーネストが戻って来た。荒々しく部屋のドアを開ける。

「猛! スワヒリ語だか何だか知らないが、言葉が通じるぞ!

 凄い、凄いよ! ゴッド、ブレス、ミー!」

 アメリカ人特有のヒョーとかヒェーとか様々な奇声を上げながら、アーネストは猛と瑠衣の周りをグルグルと回る。まるで篝火の周りをダンスするアメリカ原住民の様な行動だ。

「落ち着けよ、アーネスト。此の能力の見返りに、お前には閻魔さんを略奪現場に連れて行って貰いたいんだ」

「任せておけ! どうせ現場には行くんだ。大男の体重を重く感じる事も無いし、別に問題無いよ」


 翌日、チャーターしたバンタイプの車両に乗り込み、アーネストは一路、略奪に遭った村を目指した。

 用心の為、警護役に2人の傭兵を雇う。テロリストだけでなく、サバンナの野獣も警戒する必要が有った。

 1日で辿り着ける距離ではなく、サバンナの度真ん中を宿営地と定め、焚火を焚く。焚火が有れば、野獣の襲撃を予防できる。一方で、付近にテロリストが潜んでいれば、格好の襲撃対象となるのだが、傭兵の現地情報に依れば、此の辺は未だ安全地帯と言う事だった。

 携行した肉を焼き、パンをかじる。湯を沸かし、紅茶を淹れる。

 焚火の灯りが届く範囲だけが明るく、其の一寸先は闇であった。新月の夜空には満点の星空が広がっている。天の川が天空を横切り、此の場所だけを見るならば、平和そのものだった。

(アーネストよ)

「何だ?」

如何どうした?」

「いや、何でもない」

(声に出す必要は無い。頭の中で考えるだけで、ワシとの会話は成立する)

(早く言えよ。御陰で傭兵に馬鹿かと思われちまった)

(済まんのう。ところで、あの兵士が身に着けている物は何だ?)

(あんっ。ああ、武器だよ。俺も武器に詳しくは無いが、そんなに興味が有るなら、説明させようか?)

「おいっ、兵隊さんよ! お前さんが持っている武器について、ちょいと説明して貰えないかなあ。

 どんな武器が有るのか知っておくと、安心して眠れると思うんだよな。お前さん達を信じちゃいるんだけど、まあ、な!」

 アーネストがスワヒリ語を話していると勘違いしている傭兵は、アーネストに親近感を抱いている。

「仕方ねえなあ。プレスの人間って言うのは臆病なんだな」

 そう軽く嫌味を言うも、サブマシンガン、手榴弾、炸裂弾、アーミーナイフ。迷彩服の身に着けている武器を一通り説明してくれた。

(だいたい理解できたか?)

(ああ。感謝する)

(武器を見るのは初めてか?)

(ああ。映画では何度か見たが、こんなに間近で見るのは初めてだ)

(キング閻魔も少しはビビったか?)

(いや、別に恐怖なんぞ感じぬが、それよりも、アーネスト)

(何だ?)

(人間共は、何故なにゆえ、此の様な武器を作ったのだ?

 ワシも、太古の昔に使われた剣や槍、棍棒の類は聴き及んでいるが、此れは強力過ぎるだろう?)

(キング閻魔。此れって、最後の審判前の面接じゃないだろうな?)

(何だ、最後の審判と言う奴は?)

(知らんのか?)

(知らぬ)

(じゃあ、忘れてくれ。キング閻魔の質問に戻ると、人間のさがって言う奴かな。敵よりも殺傷力の高い武器を身に着ける事で安心したいって言うさが。敵を凌駕する為に延々と武器の開発を続けているよ)

(敵とは誰の事だ?)

(そりゃ、ケース・バイ・ケースさ。今日の敵が明日の味方になったり、其の逆だって有る)

(だったら、どう言う状況になったら、相手が敵になるんだ?)

(自分に危害を加えようと考え始めたら、そいつは敵になる)

(其の敵は相手に危害を加える事で何をしたいのだ? 相手を殺す事が目的ではあるまい?

 もし、そうであれば、現世は至る処で連日、殺し合いが繰り広げられておるはずだ。だが、そうでもない)

(頭のおかしい奴も居るけど、確かにキング閻魔の言う通り、大半の敵は違うだろうな。

 相手の財産なり特権を奪う事かな?)

(殺される位ならば、財産なり特権を手放せば良い。

 人生を全うするに足る程度の財産が手元にあれば、困りはせんだろうが?)

(其れはそうだが、そんな奴は見た事が無い)

何故なにゆえだ?)

(何故だろう?)

(汝らは殺し合う目的を理解しているのか?)

(う~ん)

(何だか解せぬのう)


 翌日、略奪に遭った村の一つに入った。小さな村で、元々大した数の家屋は無い。

 全ての家屋には放火された痕があり、茅葺の屋根は燃え落ち、土壁には炭で擦った痕が幾条にも残っていた。住民は1人も居ない。土塵の舞う茶色い地面には、赤黒い血糊の染みが幾つも有った。

 溜った血糊には蝿の群れが止まっており、アーネストと傭兵が歩く度に羽音を立てて飛び去った。耳に入る音は砂漠の大地を吹く風の音と蝿の羽音だけである。

 惨劇の痕を何枚かの写真に撮ったアーネストは、

「次の村まで行ってみよう!」

 と、傭兵に指示した。

 次の村も惨状は最初の村と同じだった。

 ただ、年老いた村長が独りで村に残り、銃殺された住民の骸を火葬している最中だった。

 アーネストが質問すると、村長は作業の手を止める事無く、惨劇のあらましを説明し始めた。

 村長の米噛みに銃口を突き付けて騒いでいたテロリスト達は、殺す気が途中で失せたのか、笑いながら村長の顔を銃床で張り倒すだけで済ませた。替りに若い男女を誘拐して行った。成人した者は全て射殺して立ち去った。

 住民の何人かは森の中に身を隠す事に成功したらしいが、そう遣って難を逃れた村人は西の方角に在る難民キャンプを目指して、既に村を発ったそうだ。

 難民キャンプの場所を知っているわけではなく、テロリスト達が東から攻めて来たので、反対方向に逃げたと言うだけだった。だから、無事に難民キャンプに辿り着けるか否か、分からない。

 村長も、火葬が済めば、先に避難した村人の後を追うつもりであった。だが、村人と合流できるか否か、これまた分からなかった。

 死体を放置しておけば、風土病の温床となりかねず、村への帰還を絶望的なものにしてしまう。其の大切な役割を、年老いた村長は独りで粛々と果たそうとしていた。

 アーネストは2人の傭兵に「村長を手伝おう」と提案した。

 契約業務から逸脱するが、傭兵達も嫌がりはしなかった。外国人のアーネストが弔うのに、同国人の自分達が放置するのも筋が通らない。そう考える2人は、国軍引退後に民間軍事会社へと再就職した元兵士だった。

 30歳代半ばと現役の国軍兵士に比べると歳を食ってはいたが、経験が肉体的な衰えを補い、熟達した兵士だと言えた。長年の経験に基づき、多少の時間であれば、此処に留まっても危険は少ないと判断した。

 以前に国軍兵士だったと言う事は、一般的な国民に比べると、教育レベルも少しだけ高い。モラルも高かった。だから、自分達はキリスト教徒であり、此の虐殺された住民はイスラム教徒に違いなかったが、人道的な気持ちから村長の弔い行為を手伝う事にしたのだった。

 地面に横たわった死体を運ぶ作業は、傭兵の2人にとっては何でも無い事であったが、不慣れなアーネストには酷な作業であった。

 銃弾が顔の半分を柘榴状にした死体が有り、肘より先の腕が吹き飛んでいる死体も有った。大半の死体は、腹部に何発もの穴を開けられ、地面をもがきながら逃げ惑おうと試みた形跡を残していた。

 何れの死体も、冷凍技術の未熟な此の国の魚市場に出回る魚の目の様に、濁った目玉を開けたままであった。

 まずは死体の瞼を閉じ、胸の前で十字を切る。血糊の少ない部分を握り、ズルズルと引き摺って、村の中心を貫く未舗装路の一画まで死体を移動する。其の間、鼻呼吸を止め、口で息をする。

 そして、住民の死体を重ねて作ったやぐらにガソリンを巻き、火を点けた。見る見る内にガソリン特有の黒く濃い煙が立ち昇る。

「ミスター! 直ぐに立ち去るぞ。狼煙のろしみたいな物だからな。いつ敵が戻って来るか、分かったものじゃない」

 傭兵の1人がアーネストを促し、一堂はバン車両に乗り込んだ。ついでだからと、村長も同乗させた。

 4人の乗った車両は一路、西の難民キャンプを目指した。

 道中、幾つかの村を通過したが、何処も同じ惨状で、改めて写真を撮る必要も無いと感じたアーネストは、ハンドルを握る傭兵の肩を叩き、

「停まる必要は無いから、先を急いでくれ」

 と、指示した。

 車窓にはサバンナの風景が流れている。野生の世界では肉食動物が草食動物を捕獲し、血を流す光景が毎日の様に繰り広げられている。だが、彼らの場合は生きる為であり、此の惨劇は生きる為ではなかった。

 荒野を疾走する車中では、村長も含め、口を開く者は誰も居なかった。飛び跳ねる車体に揺られ、無表情に車窓を眺めている。

(アーネストよ。汝は地獄を知っておるか?)

(地獄? 悪魔が巣食うヘルの事か? 知らねえけどよ。此処が正に地獄じゃないのかねえ)

(汝もそう感じるか・・・・・・。

 ワシは地獄を統べる者。其のワシが言うのだが、此処は地獄の刑場にソックリだ)

(そうかい。人間って言う奴は、死後にも再び此の地獄を味わうのかい?)

性根しょうねが曲がった者だけだ。性根が曲がっておらぬ者は、地獄の責め苦を負わぬままに輪廻転生する。

 此処で死んだ亡者の性根が曲がっていない事を祈るしかないな)

(祈る!? キング閻魔も祈るのか? やっぱり、キング閻魔は神様の遣いなんだな)

(汝の言う事はく分からんが、別に神様に遣わされたのではない。ワシ自身の意思で現世に赴いておる)

(へえ。神様の遣いじゃないって事は、一体、何の為なんだ?)

(地獄も含め、此の世を良くする為、ワシ自身に何が出来るのか?――を探るのが目的だ)

(何だか、キングって言う感じじゃないなあ。そんなデカい図体をして、まるで思春期の青少年みたいな言い草だ)

(汝の言う通りかもしれぬ。正直、ワシは悩んでいるよ。自分が進むべき道を未だ探しあぐねておる。

 しかし、此の様な現世に輪廻転生した者は不憫よのう)

(其の輪廻転生って言うのは何だ?)

(生れ変わる事だ。

 汝も此の世に生まれて来る前、ワシと対面しておるはずだ。正確に言えば、前世で亡者となった汝だがな。

 輪廻転生で記憶を失うから、汝が憶えているはずも無いがな)

(じゃあ、俺が死ねば、またキング閻魔と対面するのか?)

(そうだ。そして、現世の何処かで生れ変わる)

(何処に生まれ変わって来るのか、其れをキング閻魔は決めているのか?)

(いいや。転生先を決めるのは極楽の役務だ。ワシの役務は亡者の性根を正し、浄化された魂を極楽に送るまでだ)

(フ~ン。だが、兎に角。此のアフリカで生れ変わるのは勘弁して貰いたいな)

(ところで、アーネスト。ワシは猛以外の人間に初めて憑依したが、汝も悪い人間ではなさそうだ。まあ、汝の性根を検分したわけではないから、正しくは分からぬが、そう言う気がする)

(そりゃあ、どうも)

(きっと現世には、多くの善良なる人間が生きておるのだろう。

 それなのに、汝ら人間は此処で繰り広げられている争いを止めようとはせんのか?)

(止めようとしている奴はたくさん居る。だがな、力不足なんだよ。

 大国が介入すれば、此の程度の内乱なんてアっと言う間に解決するはずなんだが、色んな思惑を張り巡らせているみたいで、本腰で取り組もうとしない。

 だから、国際世論と言う奴を盛り上げて、大国にプレッシャーを感じさせる為に、俺達ジャーナリストは他人の不幸を写真に撮っているのさ)

(汝も中々立派な事をしているようだな)

(ところが、残念ながら、其れに成功した事は一度も無いけどな・・・・・・。

 自分でも何を遣っているんだろうと、俺だってく悩むよ)


 テロリスト達と遭遇する事も無く難民キャンプに到着したアーネストと閻魔大王だったが、難民キャンプもまた天国ではないと言う事実に直面せざるを得なかった。

 10万人以上の難民が押し寄せ、混沌としていた。無理も無い。キャンプとは名ばかりで、広大な砂漠の荒野に難民が寄り集まっているに過ぎない。

 一方で、逃げ延びた難民達を生き長らえさせる為に必要な、最低限の条件さえ整っていなかった。

 まず、食糧が圧倒的に不足していた。続いて、医薬品。国境無き医師団が現地入りし、野戦病院を開設してはいたが、医薬品不足の為、包帯を巻く程度の治療しか施せずにいた。

 また、各国のPKO軍隊が警護活動の傍ら下水処理設備を整備しようと奮闘していたが、建設資材に加えて、建設重機の数も不足していたので、作業は遅々として進んでいなかった。

 此の儘では風土病の流行に因る二次災害が発生するかも・・・・・・、とキャンプ運営者は懸念していた。

 周囲の混乱に唖然とした閻魔大王は、UNHCRのテントで猛と瑠衣に合流した。

 人払いをした後、閻魔大王がアーネストの身体から抜け出る。解脱した状態で猛と瑠衣、アーネストに話し掛けた。旱魃姫も瑠衣の身体から幽体離脱して来る。

『瑠衣よ。どう始末を着けるつもりだ? 彼らを救ってやれるのは、汝だけなんだろう?』

「其れは分かっているけれど・・・・・・」

 物資の不足は如何どうようも無い。歯切れの悪い瑠衣は下を向いて、項垂うなだれれるしかなかった。

 見かねたアーネストが横から口を挟む。

「まずは食糧だろう。食糧の調達は、如何どうなっているんだい?」

「緊急の事だから、国連の予算が付かないのよ。今、事務局と予算折衝しているけれど・・・・・・」

「難航しているのかい?」

「追加で資金提供する国の出現を待っているって言うのが正直な処」

「それじゃ、見通しは暗いな。こんなアフリカ僻地の災難に同情する声は、中々高まらないだろうからな」

 アーネストも渋い顔をする。

『しかし、人間共は、食事を摂らねば身体を維持できぬのであろう?』

 閻魔大王の質問に、猛と瑠衣、アーネストの3人は無言で頷く。が、其の先を続けるべき言葉が思い浮かばない。

『現世には食糧の潤沢な国だって有るのだろう? チュニスとか言う町では食材が溢れていたではないか?』

 閻魔大王の指摘は真に御尤ごもっともなのだが、猛と瑠衣、アーネストの3人は無言のままである。

『何を悩んでおる! 簡単な事ではないか! 食糧の有る場所から此処へ、食糧を持ち運べば良い!』

「閻魔さん! 事はそう簡単ではないんだよ。食糧だって誰かの財産なんだよ。

 他人の財産を勝手に使ってしまっては、今度は俺達が略奪者になってしまう」

『しかし、其奴そやつらから根扱ぎ奪うわけではないのだぞ。一方で、此処にる奴らは今日にも飢えようとしておる。

 考えるまでも無いだろうが! 汝らは此の惨状を見過ごすのか!』

 砂漠では耳にするはずのない雷鳴が、雲一つ無い空に轟いた。

「閻魔さん。残念ながら、俺達には出来る事と出来ない事がある。其れが現実なんだ」

 閻魔大王は右の拳をギュっと握り締めて苛立ちを沈め、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

 そして、諭す様な優しい口調で猛に話し掛けた。それでも、野太く、獅子の雄叫びの様な声であった。

『猛。汝の性根に従うのだ。性根の曲がった者の末路を、お前は見て来たであろう。

 亡者になって再びワシの前に現れる時、ワシに胸を張って、汝の性根を浄瑠璃鏡じょうるりかがみに映させてみい』

 閻魔大王の言う事には反論できなかった。

 人間として歩むべき道は、閻魔大王の言う通りだったからである。

「でも、チュニスは駄目だ。チュニジアは決して豊かな国ではないし、其処から食糧を奪っては、アフリカの内乱が一層酷い状態に成り兼ねない」

『では、如何どうする? 食糧を奪っても大して困らぬ奴は誰だ? 怒らぬ奴は誰だ?』

「怒らない奴なんて居ないよ」

く考えてみるのだ。現世には金持ちと貧乏人がるのだろう?』

 猛はコクリと頷いた。

『ワシも、余裕の無い貧乏人から奪え――とは、決して言わん。

 だが、金持ちならば、どうだ? 金持ちには余裕が有るのだろう? いきなり困窮する事は有るまい?』

 今度は、猛と瑠衣、アーネストの3人がコクリと頷いた。

『誰だ? 此の現世で、最も金持ちで、食糧を奪われても大して困らぬ奴は誰だ?』

 閻魔大王は大きな双眸をギョロリとさせて、3人の顔を順繰りに眺めた。

「アメリカだ。俺の生まれ育った国が最も金持ちだ」

 アーネストがボソリと呟いた。アメリカ国民ではない猛には言い難い回答だった。

『猛も同じ意見か?』

 猛はコクリと頷いた。

『決心できるか?』

 もう一度、猛はコクリと頷いた。

『では、決まったな。早速、動くとしようか。汝らは、何処から運ぶのか、其の当てを考えておれ。

 ワシは地獄に戻り、加勢を連れて参る』

 今後の執るべき行動を裁定した閻魔大王の姿がユラユラと揺れ始める。どんどん色彩が薄くなる。そして、地獄に戻って行った。アーネストは口をあんぐりと開け、閻魔大王の立っていた場所を呆気に取られて眺めていた。

「閻魔さんって、やっぱり凄い人ねえ。私には出来ない決断だわ・・・・・・」

 ポソリと小声で呟く瑠衣の横で、旱魃姫が自慢気に微笑んでいた。

『閻魔大王は、私の伴侶ですから・・・・・・』

 大変な決断をしてしまったと後悔し、自分が犯罪者に成り兼ねないとおののく猛を、旱魃姫は強く励ました。

『猛、安心しなさい。貴方には閻魔大王が就いているから、絶対に大丈夫よ。

 自信と誇りを持ってちょうだい』

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