First memory 54
= memory 54 =
金曜日、SHINさんの7時からのステージに間に合うように〈Noon〉に行った。
田中さんがカウンターに案内してくれる。
そこにはJ さんもいた。今日は出かけなくていいのかな?
「こんばんは。」
挨拶をするとJ さんが少し驚いて振り返った。
『cherry、どうしたん?』
「SHINさんのステージ、観に来ました。J さんはお出かけは?」
『SHINにどうしても聴きにきてくれって言われたんや。』
J さんは珈琲を飲んでいた。このあと運転するのかな。
『cherry は、まだ何回かしか立ってへんのに、余裕持って歌えるようになったなあ。やっばりデビューの日が強烈すぎたんが、ええほうに転んだみたいやなぁ。』
そう言われてうれしくなる。
『なんか歌いたい歌あったら、ピックしときや。』
ありがとうございます。何よりも贅沢なのは、私の歌いたい歌をJ さんがすべて私のkeyにしてくれること。さすが天才。
カウンターでJ さんとそんな話をしていたら、7時になった。
相変わらず客席は女性だらけ。今日はreserve席はすべて女性だった。
〈Noon〉では基本的に立ち見はとらないので、満席になると入れない。金曜日と土曜日は7時のステージが始まる前に、9時のに入りたい人がもう外に並んでいる。
SHINさんは大人気だ。
SHINさんが出てきた。あの日と同じ黒いシャツだった。
『ようこそ、Noonへ。今日はspecialなステージをお楽しみください。』
specialなんだ。
演奏が始まった。
(canon)
もちろん思い出す。あの日のことを鮮明に。
カウンターからは月は見えないけど。
隣にJ さんがいることも忘れて、数日前の二人きりの時間が巡る。
体の中心が熱くなる。
私はこれから、どこで誰の奏でる(canon)を聴いても、必ずあの日のあの瞬間を思い出すだろう。
拍手が起こった。
数えられないため息と羨望の眼差しを含んで。
(これは私と彼の曲なんだから)
そんなことを思ってしまった。
SHINさんは立ち上がってお辞儀をしてまた椅子に座った。
そしてマイクをセットする。
『歌うんか!?』
隣でJ さんが呟いた。
(Honesty )
ちょっとゆっくりめ?
『・・この歌の意味、知ってるか?』
SHINさんを見つめていた私の背中にJ さんが言った。
「はい。」
SHINさんを見つめていたいけど、J さんを振り返った。
『SHINは9歳から、一人で生きてきたようなもんやねん。』
J さんは私の顔は見ずに、SHINさんを見つめながら言った。
『ネグレクトってわかるか?SHINの母親はシングルマザーやったけど、SHINが9歳のときにあいつをほったらかしにしたんや。男のとこ行って何日も家には帰らなかった。何日かに一回帰ってきて、食べるもんを置いてまた出て行くんや。給食費は払われてたから、あいつは学校の給食だけで生きてた。ちょっとしたきっかけでオーナーに会うまではな。』
ショッキングな話だった。
そんなお母さんがいるなんて信じられない。
『ここで歌うことになって何回か(Honesty )を勧めたけど、あいつは絶対歌わなかった。本当に信じられる人の前でしか歌わん言いはってな。多分、今聴かせたいんは、わしとあんたにやろ。今日の客とこの間の客はラッキーやな。』
Jさんは、煙草を出して火を点けた。
『この間、あいつはあんたを自分のステージに誘ったんやろ?ほんで歌ったって聞いたから、ほんまもんやと思ったんや。写真撮った日からなんかちごたしな。おそらく、あんたが知ってる当たり前のことをあいつは知らんし、あんたがまったく理解できひんことがSHINにはあるやろ。でも、側にいといたってくれたらうれしいなあ。』
Jさんはそう言って少し笑った。
まだ長い煙草を灰皿で消して私の方を見ずに続ける。
『この話を聞いて、あかん思うたらここで帰り。ほんで週の後半は、ここには来んとき。』
SHINさんの (Honesty)が終わった。
言葉がでない。
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