第104段 瞬せ 【恬子】

昔、さしたる理由もなく尼になった女がいた。姿形はやつしたけれども、なんとなく心ひかれる風情があったのだろうか、ある男が、賀茂の祭り見物に出かけた折に、この女に歌を詠んでやった。


 世の中を倦んで尼となった人を見て、めくばせでもしてもらえないかと期待してしまいます。


これは、斎宮が見物に出かけた車に、このように申し上げた者がいたので、見物をとりやめて帰ったという話だそうだ。


【定家本】

昔、ことなることなくて、尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、ものやゆかしかりけむ、加茂の祭見にいでたりけるを、男、歌よみてやる。

 世をうみの あまとし人を 見るからに めくはせよも 頼まるるかな  

これは、斎宮のもの見給ひける車に、かく聞こえたりければ、見さしてかへり給ひけりとなむ。


【朱雀院塗籠本】

昔。ことなる事なくてあまになれる有けり。かたちをやつしたれども。物ゆかしかりけん。かものまつり見に出たるを男 歌を一本よみてやる。

 よを海の 蜑とし人を みるからに めくはせよとも 思ほゆる哉


【真名本】

昔、異なる事無くて尼になれる人ありけり。かたちをやつしたれど、物やゆかしかりけむ、賀茂の祭見に出でたりけるを、男、夫読みて遣る。

 世を海の 泉郎とし人を 見るからに めくばせよとも 手飲まるるかな

是れは、斎宮の物見給ひける車に、是く聞えたりければみさして返り給ひにけりとなむ。


【解説】

これは第102段と同じ話か。斎宮ということは、内親王であろう。

業平の母、伊都内親王は斎宮にはなってないから違う。

恬子内親王ならば、斎宮にもなっているし、母は紀静子、つまり有常の妹の娘なので、話は合う。


「倦み」と「海」、「海女」と「尼」、「見る」と「海松」、目「くはせ」と「食はせ」がかけてある。

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