第86段 おのがさまざま年の経ぬ

【定家本】

【朱雀院塗籠本】

【真名本】

むかし、いと若き男、若き女をあはむと言へりけり。おのおの親ありければ、つつみていひさしてやみにけり。年ごろ経て、女のもとより、「なほこのこと遂げむ」と言ひければ、壮士おとこ、歌をよみてやれりける、いかがおもひけむ。

 いままでに 忘れぬ人は 世にもあらじ おのがさまざま 年の経ぬれば

と言ひて男、なほあひはなれぬ宮仕へになむいでにける。


【現代語訳】

昔、とても若い男が、やはり同じくらいに若い女と思いを通じ合っていたが、それぞれに親がいるので、包み隠して、そのままになってしまっていた。年頃を経て、女のもとより、「やはり最初のこころざしを遂げよう」と言ったので、男は歌を詠んでやったが、果たしてどう思ったのだろうか。


 それぞれ別々の境遇で年を経てしまったから、すでに忘れてしまわぬ人はいないでしょう。


と詠んで、男はなおも、さほど遠からぬところに宮仕えに出た。


【解説】

宣長に従い、『真名本伊勢物語』に基づいた。


『玉勝間』

「今までに云々、とてやみにけり」といふ詞、上に「心ざしはたさむとや思ひけむ」、といへるに、かなへりとも聞えず。此くだり、『真字本』はよくきこえたり。

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