027 盥の影

昔、男が、女のところへ一晩だけ行って、また通わなくなってしまった。女の母が腹を立て、盥の上にかけておいたすのこを取り払うと、泣いている自分の姿が水面に映っていた。それを見て、


 私ほど物思いをする人は他にはいないと思っていたら、水の底にももう一人いたのだった


と詠んだのを、来なくなった男が聞き付けて、


 水面に私が映っていたのだろうか。蛙だって水の底で一斉に鳴いている。


【定家本】

むかしおとこ、女のもとに一夜いきて、又もいかずなりにければ、女の、てあらふところに、ぬきすをうちやりて、たらひのかげにみえけるを、みづから、

 わればかり ものおもふ人は またもあらじと おもへば水の したにも有けり

とよむを、かのこざりけるをとこ、たちぎゝて、

 みなぐちに われやみゆらん かはづさえ(へ) 水のしたにて もろごゑになく


【朱雀院塗籠本】

昔男。人のむすめのもとに一夜ばかりいきて。またもいかずなりにければ。女のおやはらだちて。手あらふ所に。ぬきすをとりてなげすてければ。たらひの水に。なくかげのみえけるを。みづから。

 我はかり 物思ふ人は 又あらしと 思へは水の したに有けり

とよめりけるを。このこざりける おとこきゝて。

 水口に 我やみゆらん 蛙さへ 水の下にて もろこえになく


【真名本】

むかし、男ありけり。女の許に一夜往きて、またも往かずなりにければ、女のはは、腹立ちて、手盥てあら貫簀ぬきすを抛げければ、手洗たらひの水に鳴く影のうつりけるを見て、

 吾ばかり 物思ふ人は またもあらじと 思へば水の 底にもありけり

と読めりければ、彼の来ざりける夫、聞き付けて、

 水口みなぐちに 我や見ゆらむ 蝦蟇津かはづさへ 水の底にて 諸声もろごゑに鳴く


【解説】

これも、他の話とは特に関係なく、唐突に収録された話のように思える。


西行

 我ばかり 物おもふ人や 又もあると もろこしまでも 尋ねてしかな

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