第9話「亭主元気で留守がいい」

 クライドがアリシアの実家を強請っている。半ば想像していたことであったが、彼女の妹の口から涙ながらに聞かされると、それは現実感をまるで伴わずに脳に染み入ってきた。


 ユリアの話はけっこうヘビーで頭にぐわんときた。


 アリシアがルフェ家の御曹司――つまりは僕だ。


 ナイトに嫁ぐことが決まったあと、クライドをかしらとしたグループがアリシアの実家であるコロワ家へと即座に談合を持ちかけてきたらしい。


 ――嫁入り前の話をルフェ家に知られたくなければ、毎月、幾らかの誠意を見せてくれ。


 なんというか。僕からすれば時代劇のなかにしかない陳腐極まりない話だが、こうして現実、目の前にいる少女から苦情に満ちた告白を聞かされれば、胸がばかりが悪くなって仕方なかった。


 見た通りコロワ家は村一番の物持ちで、野盗に毛の生えたような冒険者たちが要求した金銭を用意するのは難しくない。


 現に、彼らがロクな儲け話も転がっていそうにないこのような僻地にいつまでもへばりついているのは、無限に金を錬成する打ち出の小づちを手放したくなかったからだ。


 アリシアの両親が悪党であるクライドのいうことを唯々諾々と聞いているのは、アリシアの嫁入り前の醜聞が喧伝されることを恐れていた。ただそれに尽きる。


 領主であるメルキオールの意思というものは、僕らが想像している以上に領民たちにとっては天の怒りに等しいものだとユリアの反応から悟った。


「姉は、今回の縁談、嫌がりもしなければ特によろこびもありませんでした。それを見計らったように、婚約者と決まったあとあんなふうに都合よく魔獣に襲われたり間一髪のところを絵物語の騎士さながらにクライドが助けに入るなんて、おかしすぎます。けど、今までほとんど男性と接したことのない姉などは、あの百戦錬磨の男にとって転がすことは造作もないことだったのでしょう。自分は散々忠告したのですが、姉はまったく聞き入れずに。あれほど聡明な彼女が自分のこととなると、まったく周りが見えなくなってしまう。実は、姉から何通か手紙を受け取っておりますが、ナイトさまとの仲は悪くないところどころか――もう、夢中みたいです」


「え、え、え! う、嘘でしょ?」


「ええと。なにをそんなに驚いてらっしゃるのですか? まさか、真実は違うと仰られるのですか?」


「い、いいや。ちが、違くて。おふたりは、その、なかなか、仲よくやっておられます」


「でしょう。もうっ。びっくりさせないでくださいまし。ともかく、姉も嫁いだことであのクライドとかいう男のことはすっぱりケリをつけたと思って安堵していたのですが……」


「で、でも。そんなに簡単に忘れられるものなのかな」


「あのですね。女は殿方が思っているほど清純ではありませんよ。そりゃ、ありえないことですが、姉とクライドが――そのう、そういう仲になっていれば、忘れることなんてできないでしょうが、姉たちはおかしなことに清いままだったのです。そうですね、私が注意していたこともありましたけれど、潔白です。そもそも、乙女でなければ嫁いだ次の日にルフェ家を叩き出されていたことでしょうし。そのあたりは、あなたのほうがお詳しいのではなくって?」


「た、確かに。貴族は処女性を異様に重んじる。処女厨乙。ふひひ」


「? とにかく、私はもうこのあたりで不毛な連鎖を断ち切りたいと思って。先ほど、ご使者さまが不作法にも覗き見されていた部分は、私が無頼の使いと口論になってしまって」


「て、手切れ金の額で?」


「そうです。だから、あのあと口をふさがれて連れていかれたときは、本当に心の臓が止まるかと思いましたっ。もう、あのようにお庭で粗相するのはやめてくださいねっ。約束ですから――はぁ。どこまで話しましたっけ」


「君は、ユリアはチマチマした強請に我慢ならなくなって、一気に片をつけようと、思っているんだ」


「そのほうが両家のためになると思っています。ここまでのこと、報告されます?」


「し、しない。ぼ、僕は知らなくてもいいことは、世のなかにたくさんあると思ってる」


「ご使者さまがお話のわかるお方で、ユリアはついていましたわ。カチコチの相手なら、そもそも話が通じませんでしょうし。それに、強請っていて懐はあたたかはずのクライドの様子も気になるのです。なぜか、最近特にいらだっているとか」


 ユリアは唇を突き出してむっと眉間にシワを寄せる。不機嫌なところはアリシアそっくりだった。


 確かに酒場で暴れていたクライドは尋常ではなかった。金が潤沢なら冒険者同士無用な摩擦はさけるだろうに、依頼の横取りなどはまるで子供の癇癪みたいだ。


 もしかして、クライドは本気でアリシアに惚れていたのだろうか。


 ならば、話の筋は立つが、僕はもうすでにあの男に微塵の憐憫も感じていなかった。


 ゆずろうなんてチラッとでも仏心を起こした僕がバカだった。


 あいつは、どう考えてもアリシアをしあわせにできるような男じゃない。


「か、金」

「え?」


「金、渡すんだろ。手切れ金。ぼ、僕にも手伝わせてくれ」


「は――はいっ」


 こうして、奇妙ではあったが正体を明かさぬまま僕と義妹の共同戦線は締結した。


 ユリアと一旦別れて宿に戻り、ノエルにしばらく宿を出ないように告げた。


 ノエルは心配そうな目をしていたが、主の命に背くような教育は受けておらず、黙ってはいとだけ言葉を返す。


 ユリアには、クライドに最後通牒を突きつけるため、夜半、村はずれの水車小屋で会うように手筈を整えさせた。


 こういってはなんだが、金はひきこもっていたときから、父母によってふんだんに与えられていた。


 小遣い銭とはいえ、貴族と平民ではまずケタ自体が違うのだ。この世界で換算すれば屋敷の一軒や二軒平気で贖える量だ。背負った袋に詰まった金貨は冷たくずっしりと重い。金でケリをつけられるのならばこれほど楽なことはない。


 僕は宿を出ると、なるべく人の通らない土手に座ったまま時間が経つのをジッと待った。


 アリシアの恋心が本物であったとしても、クライドという男はどうしようもない屑だったのだ。それが、なぜか悲しい。


 たとえ転生して違う世界に生まれ変わっても、自分の身分がいじめられっ子のひきこもりから特権階級の大貴族に移ったとしても、状況はさほど変わらない。


 どこの世界でだって人間は金に執着するし、他人の弱みにつけ込んでダニのように生き血を啜る悪党は消えた去ったりしないのだ。


 いや、国家としてセーフティネットの概念すらないよう思えるこの世界では、悪党も悪党なりに必死なのであろう。


 冷たいと思われようが、クライドがどれほど自分やほかの誰かから金を収奪しようが、正直な部分どうでもよかった。


 僕にとっては、アリシアがすべてでそのことだけで精一杯なんだ。


 今できるのは、ユリアにつきそって手切れ金を叩きつけ、村から出て行ってもらい、二度と僕らの人生に立ち寄らないと約束してもらえればもういうことはない。


 それでなにごともなく家に帰れる。


 アリシアも、彼女の実家も、もう二度とうしろめたい思いをせず平穏に日々を生きていける。


 彼女もクライドのことは遠い日の思い出として割り切ってもらい、ただ僕のことだけを考えてしあわせに暮らしていって欲しい。


 そうだ、屋敷に戻ったらなにか仕事を探そう。


 旦那が無職でブラブラしていたらアリシアだっていくらなんでも肩身が狭いはずだ。


 努力するんだ。対人恐怖症なんていっていられない。彼女が胸を張って誰にも自慢できる男になれるよう、今度こそ――本当に生まれ変わって見せるんだ。


 どれだけ、愚にもつかないことを考え続けていたんだろうか。気づけば、日が落ちかけていた。


 僕はユリアと約束していた、村の東にある三本杉の前に到着したが、決めていた時間になっても彼女は姿を現わさなかった。


 おかしいなと思ったが、金さえ渡せれば用件はすむと思い直し、ひとりクライドが待っているはずの水車小屋に向かった。


 相手は極めつけの悪党だ。できるならばアリシアの妹をそんな危険な交渉に巻き込みたくないという思いが強くなっていることに驚いている自分がいた。


 現代日本の、どこでも明かりが煌々とついているような都市とは違い、田舎の農村は月でも出ていない限り、本当に暗い。


 おまけにこちらは地理に不案内ときている。僕は、事前にユリアから聞いていた道をたどってなんとか水車小屋がある位置まで移動すると、幾つかのたき火を見つけてホッと息を吐いた。


 粉挽きを行うこの場所は穀物に死を与える場所であり、また娼婦が客を取ったりする場所だった。


 常に陰惨な伝説に彩られ、またすでに廃棄されたとくれば好んで近づく村人もいないだろうと踏んで交渉場所に決めたのだが、闇のなかで響く急流の弾ける音は聞くだけで身の毛もよだつような嫌なものだった。


 松明を持った十ばかりの影が小屋からぞろぞろと這い出て半円を描く。


 胃がきりきりと痛んで激しい吐き気まで覚え、僕は背中に冷たい汗が流れるのを感じ、呼吸がしづらくなった。


「おい」


 不意に背後から声をかけられ、瞬間的に首筋へ嫌な悪寒が走った。


 勢いよく仰け反ると、地面に凄まじい音が鳴って斧が突き立った。


 僕は地べたに腰をつけたまま起き上がれなかった。


 ――殺されかけた! なんの予告もなく。


「へぇ。今のをかわすんなんて、偶然にしては勘のいい野郎だな」


 ざっざっと土を鳴らしながら幾つかの足音が迫ってくる。


 なんとか首を捻って上半身をよじると、そこにはユリアの首筋に剣を突きつけて歩み寄ってくるクライドの姿が見えた。


「ご使者さま」

「ユリア……」


「テメェか。小娘に余計なことを吹き込んだルフェ家の使いっぱしりってやつは」


 クライドだ。酒場で目にした青年は自分の赤い髪と同じように瞳を燃え立たせながら、鼻筋へ猛烈にシワを寄せて不快感を露わにしていた。


「ユリアを放せ」


「嫌だね。だいたい、テメェは今の状況を理解してねえだろ。あ? 少しでも動いてみろ。この雌ガキの喉笛を掻っ切るぜ」


 最悪だ。


 これで僕は、前方に十人。後方に五人の男たちによって囲まれてしまった。


「コロワ家の子女を傷つけて領内から逃げられると思っているのか……」


「は! んなこたぁテメェみてぇな犬野郎に心配してもらう必要はない。おい。金、持ってきたんだろう。ルフェ家の使いなら、さぞかし俺を満足させてくれるんだろうなぁ」


 僕は背負っていた袋を丸ごとクライドに放ってやった。


 がちゃり、と高い金属音が鳴って貯めに貯めてきた金貨が地に転がった。たちまち、クライドの取り巻きたちが猟犬のように袋によって中身を探り出すと歓声を上げた。


「すげぇ! クライドさんっ。こりゃ宝の山だ!」

「こんだけありゃ、当分遊びにゃ困らねぇぜ!」


「……ってことだ。おい、おめーら。客人にあいさつを忘れてるぜ。たっぷりお礼をしてやんなきゃならねえよな?」


 クライドが残忍な笑みを浮かべる。ついで、激しい痛みが僕の全身を襲った。


 男たちが手にした棒で殴りかかってきたのだ。


 さける術はない。魔術を使えば反撃はできるがユリアは依然として敵の手のなかだ。


 僕にできるのは黙ってこの身に降りかかる暴虐の嵐をやり過ごすだけだった。


 身を縮込めて亀のようになって、少しでも痛みを防ごうと努めた。


 男たちの目は異様に熱っぽく口元からはよだれを垂らしたまま思うさま力を使っている。


 筆舌に尽くしがたい時間だった。


 ――しばらく経つと、終わりの指示が出たのか男たちが離れていった。


 同時に、仰向けになった僕の名を誰かが呼んでいることに気づく。ユリアだ。彼女は涙を流しながら僕に寄り添い顔を肩のあたりに埋めている。


 クライドたちがさも楽しそうに笑いながら遠のいていく足音を耳にし、膨れ上がった唇を動かしてなんとかいった。


「これで、終わりだからな」

「あ?」


「二度と――コロワ家と、アリシアに近づくな」


「おい、兄さん。馬鹿なことをいっちゃ困るぜ。こんだけ食いでのあるエサを、このクライドさまがそう簡単に手放すわけがないだろう」


 ゆっくりと立ち上がる。痛みというものを感じない。骨が折れているのだろうか、右腕はぶらんと垂れさがったままだ。ユリアの絶叫が聞こえる。


 腫れて膨らみ切った目蓋のせいで左目はふさがっているが、小憎らしいほどすっきりしたクライドの立ち姿だけはもう片方の目でなんとか見えた。


「アリシアを、愛していたんじゃないのか。だから、腹いせにこんな嫌がらせを――」


 クライドは大きく両眼を見開くと「たまらない」といったふうに、片手で顔を覆って身を折りながら爆笑した。


「この俺があんな小娘を愛しているだって? こりゃあ、笑わせてくれるぜ! そもそも、絵物語じゃあるまいし、あんなふうにタイミングよくピンチに駆けつけることができるとでも思っているのかよ」


「それじゃ」


「そもそもあの魔獣を放ったのも俺たちなら――アリシアを口説いたのも頼まれてやったことだからさ」


「頼まれて、やった?」


「ルフェ家の御曹司の嫁探しは領内ではもちきりだった。なにせ五千人のなかから選び出されたとびきりの美女ってことだ。俺はな、今でこそこうして無頼の暮らしをしているが、親父の代では、ルフェ家当主である王宮魔道士のメルキオールとタメを張るくらいの名門であるトラウゴット公爵に仕えていた騎士だったのさ。トラウゴットさまはメルキオールがやることならなにもかも気に入らないお方でな。そこで、あの小癪なメルキオールの見つけた美女というものなら一目見て難癖つけようと、わざわざこのクソド田舎のコロズムまで脚をお運びなされたのだが、難癖つけようと思っていた小娘に一目ぼれよ。で、なんとかしてアリシアを上手いことかどわかそうと知恵を絞って近づいてみたものの、ルフェ家のガードが意外に硬くてどうにもならねぇ。


 確かに美人にゃ相違ねえが、俺はとってはそんなもんよりも再び公爵さまに仕えて騎士に戻ることのほうがよっぽど重要だったからな。ま、結果は御覧の通りだ。あれよあれよという間にアリシアのやつはルフェ家の馬鹿坊ちゃまに嫁ぎなされた。これじゃ苦労して汗かいた俺たちがバカみてぇじゃねぇか。公爵さまに再仕官する目も消えちまった。腹いせにちっとばかり小遣い銭をねだったって、悪いことなんぞありゃしねぇやな!」


「――それが真実でしたか」


 まさか。

 いるはずのない人物の声に心が冷えた。


 声の生まれた方向になんとか顔を向けると、そこにはノエルを従えた旅装姿のアリシアの姿があった。


「ナイトさまっ」


 彼女は、転ぶようにそばまで来ると涙を湛えた瞳で僕の顔をジッと見た。次いでノエルも泣きじゃくりながらその場にぺたんと座り込んでしまう。


「なんで、ここが――」


「工房のお机に村までの地図が出しっ放しでした。しかもご丁寧にルートにラインまで引いてあれば、いかに愚かな人間でも見当がつかないはずございません」


「おい、ちょっと待て。アリシア、まさかその男が」


「クライド。彼が私の夫でルフェ家の次代を担うナイトさまです。ここまでいえば、あとはどうなるかおわかりですよね」


 アリシアは毅然とし態度でいい返すと、クライドの前に立っていい放った。


「冷てぇじゃねえか、アリシア。一度は愛し合った仲なのによう――へっ。その顔は聞く耳持たねえってか? まあ、いいか。手間が省けた」


「なにを――!」


「知れたことよ。こうなりゃ俺も腹が決まったぜ。そのでくの坊をあの世に送って、おまえをトラウゴット公爵さまに送りつけてやるのさ! 死人に口なしってな。そうさせたのは、こんなところにのこのこ出てきたおまえのせいでもあるんだっ」


「放しなさいっ。無礼者! いったい、なんの真似を」


「はっ。こうなりゃ公爵に届ける前に味見してやろうってのよ! おまえも亭主の前でほかの男に抱かれりゃ観念するだろうさ!」


 クライドはアリシアにのしかかると嘲りをたっぷり浮かべた表情でこちらを見やった。


 ユリアとノエルは震えたままその場から動けず固まっている。


 僕はよろけながら、それでもしっかり立つと、アリシアの長い黒髪を掴んでのしかかって尻を見せているクライドをもう一度見据えた。


 四方は十五人の無法者たちに囲まれている。ここが村はずれであろうと、これほどの人数で騒いでいれば、そのうち村人の誰かが気づくだろう。


 おまけに、アリシアとユリアは村の長であるコロワ家の令嬢だ。


 この場合、リスクはクライドたちにも大きかった。よそ者はなぶり殺しにされる。凌辱は速やかに行うべきはずなのに、彼は未だズボンのひもをゆるめてもいなかった。


「クライド。最後にひとつだけおまえに慈悲を与えてやる」


「ああ! なんだって?」


「今すぐアリシアから離れろ。そうすれば、苦しくない方法で楽にしてやる」


「こりゃ驚いた! おまえたち、このお坊ちゃんが俺たちの相手をしてくださるとよ!」


 クライドはアリシアを地べたに突き倒すと立ち上がって髪を手ぐしで撫でつけ、高らかに哄笑する。ほかの無頼どももそれに倣う。


 さあ、笑え。

 それがおまえたち最後の微笑みなのだから。


 カラカラに乾いた喉で詠唱を紡いだ。

 ほぼ同時に、頭上へと幾つもの火球が浮かんだ。

 男たちの笑い声がピタリと止んだ。


 躊躇はない。命を奪うことに微塵も憐れみを感じなかった。


 焼き払う。脳裏でものが燃えるイメージを強烈に浮かべ、オレンジ色の弾を放った。


 人間の身体は鍛えることはできても、やはり鉄の塊より固くすることはできない。


 手加減なしで放った火属性の魔術――フレイムキャノンが男たちの顔面に衝突すると同時に、ぼんと音を立てて焼き払った。


「え――?」


 クライドの隣に立っていた若くて背の低い男が、松明を手にしたまま表情を凍りつかせた。


 無理もない。人間の顔面が、一度に、それも四人も消え去る光景などそうお目にかかれるものではないだろう。


「なにやってやがんだ! テメェら、そいつをぶっ殺せ!」


 さすがにクライドは集団の頭を張る男だけあって命の危機には敏感だった。素早く長剣を腰から引く抜くと、後方に素早く飛び退って身を低くした。


 身のこなしから剣の腕は立つだろうと思っていたが、まだこの世の理をわかっていないみたいだ。


 剣では魔術にかなわない。それを、今からたっぷり身体に刻み込んでやる。


 凄まじく凶暴な気分だった。なにもかもが許せない。頭のなかからは、倫理や痛みや屈辱は消え去って、ただ目の前の男たちをひとり残らず仕留めるという義務感が強かった。


 雄たけびを上げて剣や棒を振りかぶって、五人ほどがいっせいに飛びかかってきた。


 僕は、ユリアやノエルを背にかばうと折れていない左腕を水平に伸ばして、風属性の術を詠唱した。


 ざわざわと草木がなびき、足元から突風が巻き上がった。


 地を蹴って走る男たちが距離を詰めるよりも早く、術は完成した。


 ぴゅんぴゅんと、しなった鞭が打ち鳴らされたような音を残して、空気の鎌を幾つも形成し男たちに襲いかかった。


 空気の刃は男たちの、顔、腕、胴体、脚などに触れた途端、紙切れを指でサーッとさくように、いともたやすく裁断した。


 パッと赤黒い血が霧のようにあたりに舞った。


 強烈な血と臓物の臭気がそこいらじゅうに立ち込め、鼻先をずんと横殴りにした。


 胴体を真っ二つにされた男や、膝から先を割られた男、それに脚をなくして転がった男たちが折り重なって倒れ、苦悶の表情で絶叫する。耳朶を打つ彼の声は狂った猿のように癇に障る忌々しさだ。


 果敢にも仲間を乗り越えて棒を振り上げて向かってくる男がいた。


 焦る必要もなく、ワンアクションで指先を向けると、火炎を放射して男を火達磨にしてやった。


 男はゴーゴーと燃え盛る身体を自分の腕で抱きながら、地面に転がって消火に努めるがすべては無意味で、火は枯草にまで燃え広がってあたりは昼間のように明るくなった。


 ハルバード――槍の穂先に斧をつけた武器を振りかぶって、見上げるような大男がしゃにむに突っかかってくる。


 指先をぱちんと鳴らすと、大男の武器の先端にある斧が飴細工のように炎でとろけてゆく。この程度の技は僕にとって朝飯前なのだが、大男は化け物でも見るような顔でその場に尻もちをつくと「ひい」と喉から女のような甲高い声を出して喚き散らす。


 当然許すわけもない。火術を使って頭からつま先まで丸焼きにしてやった。


「どけ!」


 手下に任せていても埒が明かないと思ったのだろう。クライドは目の前にへっぴり腰で立っていた男たちを突き飛ばすと、アリシアに剣を向けかけるが思い直したようにやめて、一歩前に出た。


「卑怯者らしく人質を取らないのか」


「うるせえ。この俺にも男の矜持ってもんがあらァ」


 どうやら悪党には悪党の矜持があるらしい。僕は女たちから離れると、戦いやすい川べりの広い場所に移動した。


「行くぜ」


 憤怒の形相をしたクライドが剣を正眼に構えたまま真一文字に突っ込んでくる。


 酒場で見た、疾風を思わせる見事なスピードだった。


 左腕を掲げて炎の壁を形成し放った。


「ナイトさま!」


 アリシアの叫びが闇をつんざいた。クライドが炎の塊を突破し、突っ込んできたのだ。


 鋭い痛みが左腕に走った。


 斬り飛ばされた左腕がくるくると頭上に舞い上がるのが見える。


 後方まで駆け抜けたクライドが歯を剥き出しにして反転した。


 勝利を確信したのか、クライドは長剣を両手持ちにして高々と跳躍する。


 ――そして僕は、切り離された左腕を操作して、無防備になったクライドの背中へとありったけの魔術を込めて氷の槍をしこたま叩き込んだ。


 どすどす


 と。肉を棒で叩くような鈍い音が鳴った。


 クライドの背中を貫いた氷柱が腹を食い破って頭を出し、もの凄い勢いで血潮が噴き出し、地上に赤黒い池ができた。


「やる、じゃねえか」


 クライドはうつ伏せに血だまりへ倒れると、口元に満足そうな笑みをたたえ、それから目を閉じると動かなくなった。


 僕は空中に浮遊している左腕を呼び戻すと切断面に接着させ、その場に倒れ込んだ。


 アリシアたちが血でずぶ濡れになった僕に向かって飛びついて来る。


 意識が次第に遠くなっていく。ああ、魔力を使い過ぎたんだ。遠のいていく景色のなかでアリシアの泣き笑いのような表情だけが、くっきりと輪郭を保っている。


 僕は真っ暗な闇のなかでひたすら光って見せる乏しい星の輝きを見上げながら、長く、長く息を吐き出し身体からゆっくり力を抜いた。






 目を開けるとまったく知らないベッドで横になっていた。切り離された左腕の傷口がなんだか酷く痒く、毛布のなかで身をよじってしまう。


 毛布のなかから包帯の巻かれた左腕を取り出し目の前でグーパーしてみる。誰がほどこしてくれたかは知らないが、治癒魔術はしっかり利いているようだった。この年で義手はいささか困る。


 がたっと扉が開き、なにかが床に落ちた固い音を聞いた。


「アリシア?」


 そこには白いドレスを着たアリシアが口元に手をやって立ちすくんでいた。


「ナイトっ」

「うわっ!」


 彼女は落とした薬湯の瓶を蹴飛ばしながらベッドに駆け寄ると、両手で僕の顔を押し包んで、青い目を潤ませながら覗き込んできた。


「あなたったら――これ以上私を心配させないで」


「う、うう。ごめん」


 怒っているのかな、と思ったらアリシアはそっと顔を寄せて頬ずりしてきた。


 さらさらとした白い肌がすり合わされ、細かな産毛が触れる感触に頭のなかがポッポと煮立った。


「なんで、ここに。私の実家に。――やはり、私がクライドの話をしたから」


「うう、ええと。やはりそれを聞いてしまうか」


 アリシアの表情は硬かった。


 自分が過去の男のことでなんにせよ勘ぐられたのが気分が悪いのだろうか。


 やってしまった。


 できればなにもかも内密にすませたかったのだが、世界というのは誰もが思った通りにならないものだし、そもそも自分が望んだ位置に着地させることは不可能なのだ。


「そのさ。一応はさ、僕は縁あって君の夫になったんだから」


「一応だなんて」


「クライドに会ってみてから、君が本当にしあわせになれる方法を考えてみたかったんだ」


 アリシアはすっと僕ら離れるとうつむいて震え出した。


 ああ、なんというか。


 我ながらストーカー丸出しのセリフでまったくもって自分が嫌になる。


 ついに呆れられたかな、と思いながら上半身を起こすと、アリシアは息をすっと大きく吸って身をかがめて身体を寄せ――僕にキスをした。


「あなたが好きです、ナイト」


 ――え?


 脳みその芯が完全に凍りついた。

 彼女のいっている意味がわからない。


 僕は茫然としたまま、微笑みを浮かべて涙を流しているアリシアに見入っていた。


「いまさらこんなことをいったとしても、すべて嘘のように聞こえるでしょう」


 違う。


「それでも私はあなたに自分の気持ちを伝えたかった」


 なんで。


「ぜんぶぜんぶ伝えた上でいわなきゃならないと思ったの」


「そうじゃなければけじめにならない」


「あなたは私のことをずっと思って行動していてくれたのに」


「私はなんにもわかっていなかった」


「愚かな愚かすぎる女です」


「その上、あなたを私の不始末で傷つけて、もう誰にだって顔向けできない」


「私がナイトを愛していても、それは個人の理由で、とてもルフェ家に相応しい女じゃない」


「お願いします。私を離縁してください」







 こうして僕ことナイト・M・ルフェは、妻であるアリシア・デュ・コロワから三下り半を突きつけられる仕儀となった。


 夢と承知で過ごしてはいたが、それはあまりにも短すぎる蜜月だった。

























































































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