舞台がある!

深水千世

舞台がある!

 2016年6月のことでした。

 生まれも育ちも生粋の群馬県民の夫が、新聞を見て「あぁ、壊しちゃうんだ」と残念そうに呟きました。


「何を壊すって?」


「前橋ビル。映画のロケ地になったビルだよ」


「なんの映画?」


「クライマーズ・ハイだよ。知らない?」


 映画『クライマーズ・ハイ』とは、横山秀夫の日本航空123便墜落事故を題材にした小説を原作としたものです。

 その日、彼が手にした新聞には、作中に登場したビルが解体されるというニュースが載っていたのでした。


 山形県生まれ、北海道育ちの私が群馬県に引っ越して驚いたことの一つが、ロケ地の多さでした。

 山形県にも北海道にもロケ地になった場所は沢山あります。でも、隣に日本映画マニアの夫がいる今では、街を車で走っているだけで次から次へと「ここは映画『時をかける少女』で使われた公園だよ」だの「この通りは映画『人のセックスを笑うな』で使われたんだよ。この角度で見たらわかるかなぁ。西桐生駅も公園も出てくるんだ」だの、様々な情報が湧いて出てくるのです。


「前橋にある群馬県県庁は『ドクターX』とか『告白』にも使われてるよ」


「この店では『そして父になる』って映画で真木よう子さんがパート役をしていたんだ」


「この駅はNMB48のPVに出てくるよ」


 映画やドラマ、音楽のPVのみならず、『惡の華』や『頭文字D』といった漫画作品もあります。しまいには夫の菩提寺が、あるCMのロケ地になっていました。


 思えば、北海道から群馬県に嫁いでくるとき、友人知人に言われたものです。


「群馬県って何があるの?」


 周囲には群馬県にゆかりのある人は少なく、ほとんどの人がこう尋ねてきました。私もそれほど詳しくなかったので、しどろもどろになって答えました。


「えっと、伊香保温泉とか、草津温泉とか……えっと……」


「温泉ばっかじゃん。どこにあるんだっけ?」


「東京の北の北」


「……あんた、そんなんで嫁いで大丈夫?」


 そんなやりとりしかできないほど、私の群馬県へのイメージは真っ白いキャンバスのようでした。

 

 三年ほど住んで、名産品や名所をあれこれ挙げることもできるようになりましたが、今思えばあのとき感じた群馬県像のなさが、ロケ地に向いている理由の一つかもしれません。


 東京から移動しやすく、ほどよく離れていて、しかも味のある建物や風景が多い。そんな理由の他に、個性のない個性があるのかも、と思うのです。


 京都や北海道のように、街並みだけで土地の個性が見えてしまうと、舞台に地域性が滲んでくると思うのです。もっともそれが持ち味の作品もたくさんありますが。


 群馬県の街並みは普遍的なのかもしれません。どこか懐かしく、なんだか前にも来たことがあるような気さえしてくるほど、親しみやすいのです。はっきり言ってしまえば個性のない個性があるのです。そこが映画やドラマの世界観にすんなり馴染んでしまう秘訣なのかなと思います。


 そう、群馬県には温泉だけではなく舞台がある!

 様々な物語を受け入れてくれる、懐の大きさがある!

 そして、群馬県は北関東だけにではなく、物語の中にもあるのです。


 映画やドラマのロケ地を巡ってみると、その場面を思い出すだけで目の前の光景が万華鏡のように変貌する面白さがあります。しかも群馬県は知らなければ素通りしてしまうけれど、あちこちにそんな面白さが隠れているのです。

 美味しい物もたくさんあるし、面白いスポット、風光明媚な場所も多い群馬県。ガイドブック片手の観光もいいけれど、日常の光景にフィクションの世界を透かした光景を探るという切り口の旅もおすすめです。

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舞台がある! 深水千世 @fukamifromestar

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