第3話

 中学校の入学式の日、俺は一目で月島さんに気付いた。背も随分高くなって、髪もとても伸びていたけど、優しい雰囲気はちっとも変わってなかったから。

 同い年だったことを知らなかった俺の心は、柄にもなく、運命なんじゃないかと舞い上がったほどだった。


 二年のときは同じクラスにもなって、本当は凄く嬉しかった。

 直接話してみれば、昔の気質をそのまま残した彼女の人柄に、俺の想いは益々募るばかり。

 でももうその頃は、俺もお年頃と呼ばれる、ちょっとした捻くれ時に差し掛かっていて、あのときのことを持ち出して話しかけるなんてこと、友達の目がある中で、ダサい、かっこ悪い、そんな思いが先立ってしまって絶対に無理だった。


 学外研修、あれは願ってもないチャンスだったんだけど、月島さんがフェルメールの絵を見つめるその瞳があまりにも輝いていて、これは絵画で攻めた方が良いかもしれない、打算的な俺はそうやって、大人しい彼女を良いことに勝手に手を取り、一方的にまるでデートのような時間を楽しんだ。凄く幸せで、洗いざらいぶちまけてしまおうかとも思ったけど、それにはあの美術館は狭すぎた。

 それに、俺はちょっと浮かれて、良い気になっていたんだ。こうやって楽しい時間を過ごせたのならば、また近いうちにきっとチャンスはおとずれる、慌てることはない、と。

 だけどそれは、甘い考えだったと後悔することになる。中学を卒業するそのときまで、楽観視していたチャンスは、ついぞ巡ってくることはなかったのだ。


 でも俺はまだ諦めちゃいなかった。

 そう、月島さんが俺と同じ西紅に受験校を変えたという噂を耳にしたのだ。それは彼女と受験校についてのやりとりをした直後のことで、自惚れかも知れないけれども、もしかしたら――そんな淡い期待が胸に湧いた。


 けど現実はなかなか上手くいかなくて、同じ高校に進学できたものの、彼女とは同じクラスになれず、委員会も別、部活動でも接点が一切ない。頼みの綱だったラインも、今では送られてくることもなくなって、俺が抱いた期待は、勘違いだったのかもしれないと思い始めていた。

 もしかしたら最近流れ始めた、俺の好みの女の子の噂、それを気にして連絡を絶ったんじゃないだろうか、諦めも悪く、またしても自惚れにも似たそんな考えが浮かんだりもした。下手な伝言ゲームじゃあるまいし、何故そうも事実と異なった噂に変換されていったんだろう。

 俺の好みは今も昔も変わらない。健気で頑張り屋さんの、優しい彼女だ。


 だったら俺から連絡をすれば良いのかもしれない。とりあえず話題は何だって良い。最近顔すらまともに見られていないのだから、元気? でも、調子どう? でも特に変には思われないだろう。要は話の糸口を掴めればそれで良いのだ。最近会わない友達がどうしてるのかを心配する、そんなスタンスで。

 何度も書きかけてはいた。でもどうしても送信ができない。

 俺ってこんなに臆病だったか? 自分でも呆れるくらい最後の一歩が踏み出せなかった。


 唯一相談している養護教諭の影森先生には、もたもたしてると他の奴に横からかっさらわれるぞ、と脅されている。そんなの言われなくても分かってる。でも、嫌われてるかもしれないと思ってしまうと、最後の一歩が、取り返しのつかないほど大量の火薬と鉄球を秘めた地雷なんじゃないか、そう思えてきて、尚更俺は前に進めなくなってしまうんだ。


「はぁ…………」


 ため息と同じくらいすんなりと、彼女への想いが口から出ればいいのに。

 俺は、ガラス窓に映る自分を見つめた。

 車内は暖房が効き過ぎているからか、少々蒸し暑い。半分曇ったそこには、情けない顔をした自分がこちらを見つめ返していて、寄っていた眉間の皺を慌てて手で擦った。

 彼女に会いに行く口実ができたというのに、こんな顔じゃ最初から不幸を呼び込みそうだ。笑顔の練習でもしておいた方が良いかもしれない、そう思って口角を上げていると、ほどなくしてバスが停止した。


『八坂神社前ー、八坂神社前ー、お降りのお客様は……』


 焦点を外へとずらせば、そこは月島さんの家まであと半分という停留所。何気なく目を向けたベンチ。

 だけどそこには予想だにしない人物が座っていて、俺は危うく声を上げそうになった。具合の悪い彼女がこんな所にいるはずなんてないのに、何度瞬きしても、懸命に目を凝らしても、益々それは彼女以外の何者でもないことがはっきりするばかりで。

 必死に作っていた笑顔は、とっくに驚きに取って変わられていた。


 普段なら絶対に見過ごしていたと思う。そこは薄暗くてちょっとだけ気味が悪いと噂される停留所で、俺がこのバスを利用するようになったときには、もう既に待合所に設置された蛍光灯は用を成していなかった。

 それが何故か、今日は点いていたのだ。


「乗りますか?」


 運転手が、恐らくは月島さんにだろう、そう問いかけていて、もう既に降りる人がいなくなっていたことを知る。

 俺は慌てて清算を済ませ、ステップを降りた。

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