第10話

 半分引き摺られるようにしながら、私たちは救護テントに向かう。無言だったけど、彼の一挙手一投足が、私を精一杯気遣ってくれていた。


『騎馬戦に出場する選手は……』


 流れてきたアナウンスで、部活対抗リレーが終わったことを知る。順位はどうなっただろう? 

 そこでふと気付いた。


「あれ? この後、騎馬戦だよ」

「人の心配より、自分の心配して」


 確か出場予定の種目だったはずだと思って声をかけたけど、藤倉君はニコリともせずそう返す。それが何だかちょっとだけ怖かった。

 やっとテントに着いたときには、『騎馬戦を間もなく開始します』そんなアナウンスが流れてきて、私はいよいよ焦ってしまう。


「戻って! まだ間に合うから! ありがとう」

「藤倉、と……月島さん?」


 だけど私が彼の背を押す直前、声がかかってしまった。

 目を向ければ、影森先生が私を見つめていて、驚いたように椅子を勧めた。


「こりゃ派手に転んだね。早く座って」


 とりあえず冷やそう、そう言って靴を脱ぐよう指示すると、冷却材を当ててくれた。


「藤倉、これ押さえてて」

「先生! 藤倉君は次騎馬戦ですよ!」


 隣に立っていた藤倉君を当たり前のように使おうとしていて、私はぎょっとしてしまう。


「良いんだ。代役頼んだ」


 指示された通り冷却材を押さえながら、彼は操作していたスマホをこちらへ向けた。


「代役って?」

「広瀬。ライン送ってオッケー貰った。月島の心配もしてたから、後で顔出しに行けば大丈夫だよ」

「……ごめん」


 リレーばかりか、騎馬戦まで、私は彼の見せ場を奪ってしまった。


「謝んないで」


 見つめる瞳が優しすぎて、やっとのことで堪えていた涙が、また一筋零れた。


「ごめん、足引っ張って」


 頑張りたかった。教えてくれた鞠のためにも、大好きな藤倉君がいるチームに貢献するためにも、どうしても頑張りたかった。なのに…………


「もう一度言う。謝んないで」

「だって、転ばなければ」

「さっきも言ったよ? すげぇ頑張った。心からそう思う」


 いつもなら人の話を遮るなんて絶対にしない藤倉君だから、被せるように言われて驚いた。顔を上げれば、真剣な瞳とぶつかる。


「朝、毎日見てた」

「え?」

「河川敷の所で、白い犬と一緒に走ってる姿」


 ――――え?


 驚いて、思わず涙が引っ込む。


「俺、バスで通ってるんだ。バスケ部の朝練あるから、結構早くあそこ通る」


『これ、月島んちのにそっくり』


 泥で汚れてしまったエプロンの裾を見つめる。

 それで知ってたの?


「毎朝必死で頑張る月島見て、俺も毎日頑張った。人に見せないでさ、そうやってひたむきに努力するの、かっこいいと思う。それに、この足見れば分かる。よく百メートルも走ったな」


 腫れてきた足首を丁寧に包み込む大きな手。涙が、再び滲んだ。

 ――ひたむき。

 ついさっきも、そうやって私を励ましてくれた友人を思い出す。


 過去へと戻る前、努力とはなんと孤独なんだろう、そう思って過ごしていた。でも今は、一生懸命頑張っていれば、その姿は誰かがどこかで見てくれているのかもしれないと考えることができた。


「ぎゃっ」


 それは藤倉君と鞠が応援してくれたから、だからそう言いたかったのに、とてもじゃないけど女の子とは思えない悲鳴が私の口から飛び出してしまった。だって先生が、いきなり消毒液を私の肘に吹きかけたりするんだもの。


「ちょっと先生、女の子なんだから優しくしてよ」


 藤倉君が代わりに抗議の声を上げてくれる。なのに先生はとぼけた顔をしてニヤリとした。


「どうぞ続けて。俺のことは空気だと思ってくれてオッケー」


 そこで気付いた。そう言えば、私は手当てをしてもらいに来ていたのだ。

 今までの会話が全て聞かれていたと思うと、少しだけ恥ずかしくなる。


「独身彼女なしだからって」


 呟く藤倉君。でも何気なく言ったであろうその言葉に、私はドキリとした。だって、仲の良い自分たちに嫉妬したんでしょ? そう取れる発言だったから。特別な意味なんてないのかもしれない。でも……僅かにだけど、期待しても良いのかな?

 先生はそれが聞こえたのか少し拗ねているようで、容赦なく消毒液を噴射する。その度に私は、ぎゃ、だの、ひー、だの言ったけど、何だかそれは少しだけ甘い痛みで。

 それに先生も、私の痛がる姿を見て溜飲を下げてくれたようだった。


「大人気ないよ、先生」


 藤倉君は呆れた顔で先生を見やるけど、でもまた先生はニヤリ。


「良いのかなぁ。俺、ここで口が滑るかもしれない」


 私は意味の分からないその発言に首を傾げる。けど藤倉君は余程焦ったのか、冷却材を押さえる手に思わずといった感じでぐっと力が入った。

 あいたたた……


「相談室は秘密厳守なんじゃないのかよ」

「時と場合による」


 先生はそんな藤倉君の手をポイっとどけると、私の足に湿布を貼りながら、兄弟喧嘩のようにぎゃいのぎゃいの騒いでいる。どうやらこの二人、とても仲が良いみたいだ。


 藤倉君は恐らくお悩み相談室で、何か人に知られたくない秘密を相談しているようだ。それを腹いせにばらしてやろうなんて、先生も随分子供じみたことをするな、と笑ってしまった。

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