人生の終わりに


 人生の終わりに、彼のことばかり思い出してしまうのは何故だろう。

 あの、春の日の午睡のような一瞬のまどろみの中で、彼は正確に距離を測り、わたしをほんの少し揺らして、悲しそうに、無機質なように、人の心を知らないロボットのように、ただわたしから遠ざかりたがっているように見えた。


 それだけではないという焼き切れそうな感情が、胸の肉を抉りとっていく。

 それもまた事実かも知れない。

 そしてもう、投げやりではなく達観のような気持ちでそれは仕方がなかったと感じている自分がいる。


 加納さん。

 今のわたしよりもはるかに年下だった彼に、未だにさん付けというのもおかしな話だ。

 あの頃、一人きりのマンションに帰って、一人で下の名前を胸で呟いていた、若くて、もうそれはそれでいいかと思う、あの頃のわたし。


 加納さんはそんな事、知りもしなかっただろう。


 でも思い出す。

 生の際で、あの頃の彼の心に想いを寄せるにつれ、私はなんといたらなくただの人間だったんだなと、過去の自分を絶叫で包んで吐き出し、血を纏って撒き散らしたい程だ。


 小指一本でぶら下がっていた肌の熱さ。

 思い出せば、自分と加納さんが、生きていた。


 わたしはもう、死んでいくよ。

 死んでしまうんだよ、加納さん。


 無茶苦茶なブラックジョークも、わたしの愛想笑いに喜んじゃうとこも、愛想笑いに気付いて、大人しくなっちゃうところも。

 愛してた。愛してた。愛してた。


 自由に、ただ自由で無防備なあなたをわたしはきっと知らない。


 でもあの頃、若かったわたしはあなたに恋をして、あなたはきっと私を愛していて。

 そして遠ざけ合っていた。


 とっても。

 悲しい理由で。

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