桜ドレス
桜の季節はいつもあっという間で、コートを着ていた次の日には背広のシャツの下が汗ばむ、そんな季節。仕事帰りに恋人の亜梨紗と外食して、明日は土曜だからそのまま家に誘って明日は朝から花見に出かけようと期待していたが、予想通りというかなんというか、結局実家暮らしの彼女を車で送って、コンビニで買った缶コーヒーを手に夜の公園で車をとめ桜を見上げる。綺麗だけれど、どうでもいい気もする。メガネをダッシュボードに置いて近視のぼやけた輪郭がそれでも桜色に染まる。
彼女は大人なのか子どもなのかいまいち分からない。滅多にうちに泊まらないのは節制のある判断なのか単に実家の親に遠慮しているのか。最初はそういう控えめさが余計に燃えて楽しかったが今は少し物足りない。大人しいけど暗い子じゃない、だからきっとそれは真面目っていうくくりで語られる種類のものなんだろう。
学生時代の恋人と別れて以来数年ぶりにできた恋人。当たり前だけどあの頃とは相手も違うし環境も自分の年齢も違う。
でも、たまに思う。どこかに出かけるのが楽しくて、家に誘うのがドキドキして、夜はお互いにギラギラしていた学生時代の恋愛。
ああいう「猛り」みたいな感覚、今はないな。
前二つの窓を開け放った運転席でシートを倒して目を閉じ風の匂いを感じる。春の、この時期の、落ち着かない匂い。そわそわするこの感覚。人間は本来野を駆ける獣なんだって理解できる。
桜はまだほんの少し花びらを散らしているだけで今まさに見頃だ。これから咲き誇りながらも徐々に花を落とし、葉を付け、そして気付いた時には消えている。結局手に入るものは皆、価値が落ちる。
「なんてな」
思わず口に出していて、何となく最近感じていた亜梨紗への不満をかき消すようにシートを戻し、家で少し飲もうと思ってさっき行ったばかりのコンビニにまた車をつける。足元で沸き立つ桜の花弁。なんだかんだで桜を意識している自分は、結構ありがちなやつなんだな、と苦笑いが浮かんだ。
ビール二本とつまみを買って店から出ると、入る時には気付かなかったが学生が結構多い事に気づく。大学生とかじゃなく高校生。制服を着た男女を見ながら「そうか、新学期だもんな」と思う。
いつの間にか「学校」は遠くなっていたし、学生の集団が嫌になっていた。まるでおじさんのような感想。いや、実際そうなんだろう。
駐車場で焼き鳥を咥えてしばらく食べていて、何となく視線を感じて振り返ると遠目にも女子高校生ってかんじの二人組がこっちを見ていた。
イケて見えたのかな、そんな訳もないな、寂しい思いを胸の中で考えていたら、こっちを見ていた二人組が頷き合って、こっちに歩いてくる。
これが世に言うおやじ狩りなのか。身構えていると、近づくにつれて嫌でも目を引く派手な感じの、でも嫌な派手さではないイイ女的な女の子が一人と、どこにでもいそうな、可愛い女の子にくっついて歩くタイプの女の子が目の前に来てお手本通りの上目づかいでこっちを見つめてくる。
ヤバいかなとかどうしようかなとか考える間もなくイイ女の方が口を開く。
「すみません、時間、あります?」
「いや、え、なに?」
「時間あれば、ちょっと車乗せて欲しいんですけど。この辺交通の便悪いし」
聞けば隣町の繁華街まで行きたいとその子は言う。
これは、どう考えればいいんだろう。ただのタクシー代わりが一つ。もしかしたら犯罪的な可能性が一つ。もしかしたらもしかするかもしれない期待が一つ。
けれど男ってバカだから、期待がほんの少し股間を膨張させて万が一の可能性に踊らされて意志とは無関係に即決していた。
「いいよ。ただ道がよく分からないからナビしてくれるなら」
そう言って運転席に乗り込み、焼き鳥の残りをすばやく平らげる。そわそわじりじりしながらヘッドライトを付けて、車体の目の前に彼女たちが座るから慌ててライトを消した。
「乗らないの?」
「もう二人乗せてください。いいですよね?」
コンビニの中に、結構タッパのある男が二人、こっちを見ていた。おやじ狩りコースなのか、焦ったが今更嫌ですとは言えない雰囲気。可愛い方がしきりに男たちに目で合図を送り、内心ヒヤヒヤする。
ところが、その子は男たちにしきりに視線を送るが不穏な空気はない。いつまでたっても男たちは雑誌を読みながら頷いたり指をさして笑っているだけ。よく見ると男の片方は結構イケメンで可愛い方の子と釣り合っている。
もしかしたら。そう思う。彼の気を引きたくて大人の男に誘われる女の子、そんなポジションを演じているだけなんじゃないだろうか。
期待が囁きかけて、でもそれでいいのって優しい気持ちも生まれてくる。
「どうする、乗る?」
逡巡の後、「やっぱりいいです。ありがとうございました」それが聞けて、やっぱり世の中捨てたもんじゃないって思う。
亜梨紗に会いたかった。こんなピュアな気持ちで亜梨紗を見たのはいつ以来だろう。
『会いたいな、今日』
ハンドルを操りながら送ったメール。それは期待で膨らんだ想いと愛しさがごっちゃになって、罪悪感と愛してる、そこから生まれる感情を超えた感情。
ごめんな、亜梨紗。大好きだよ。
好きだって叫びたかった。揺れたなって責められたかった。
けれど今頃お風呂に入っている亜梨紗を心に描いて、無理だなって、優しい気持ちで諦めていた。
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