彼の間隔


「あ、ねえ、このあと映画行かない」

 藤堂くんの「あ、ねえ」とか「ん、ああ」とかは間を取る彼の癖だ。そのあいだに頭の中で言葉を組み立てて、それが一言の相槌でも長い論理的な会話でも、必ずそういう隙間を空ける。でもそれは一瞬で、どんなに難解なディスカッションをする時でも数拍の間さえとればよどみなく喋る事が出来る。私はそれにいつも腹を立てている。

「いいけど、例の恋人と行くつもりじゃなかったの?」

「ん、まあ、ね。気付いたんだけれど、俺の心は今、そういうのを避けたがってるみたいなんだ」

「どうして?」

「簡単に言えば倦怠期ってやつ。まあ、俺が一方的に倦怠感持ってるだけなんだけどな」

「長いもんね、今のカノジョ」

 そう言うと彼はテーブルの上の手のひらで私の髪を撫でて笑った。

「西村さんは、俺の頼みを断った事ないな。いやならいやって言わなきゃダメだぞ」

 私が断らないから誘うのに、私たちにはお互いがすごく都合がいいことを知っているのに、彼はそういう言い方をしてくる。

 デートをすっぽかした彼に呼びつけられて来た喫茶店の片隅で、私は奢ってもらったオレンジペコとフルーツタルトの幸せな香りと藤堂くんの吸うタバコの煙を浴びて頭が痛くなってきた。


 藤堂くんは恋人といるのが息苦しくて私を誘う。

 私は恋人は欲しくないけどたまには男の子と過ごしたい。

 その場の雰囲気でキスをしたことはあるけれど体を求められたことはない。そこが不思議と言えばそうだ。ぶっちゃければ私だってたまには抱かれたい。藤堂くんならひいき目に見ても及第点だ。まあ後が面倒なのでそんな事はしないが。でも、彼はお茶に誘ったり身体を押しつけてくる事はあってもそれ以上を求めたりしない。

 あのイガグリみたいな頭の中身は意外と紳士なんだろうか。

 わざわざその理由を聞いたら誘っているみたいでいやだったけど、スクリーンに映る下らないラブストーリーにも飽き飽きしていたから隣りに座る彼に尋ねてみた。

「ん、聞きたい? そんな事」

 こっちを見ずに、いけしゃあしゃあとそんな風に言ってくる。

「なに、その感じ悪い言い方」

「いいよ。じゃあ後で話す」

 映画がつまらないから雑談のつもりだったのに、改めて話すなんて言われたらそれはそれで身構えてしまう。

 それにしても、何で恋愛映画? 怒鳴り合って泣いている女優を見て私の心は冷めてしまう。この後の展開なんて決まってる。仲直りをしてキスをして大団円。

 そして映画は予想通りに進んで行って、彼はこっちを見ようともしなかった。


 帰りの電車に揺られて私たちの足は自然に大学のある方向に向かっていた。私の家は少し離れていたけれど彼の家はこっちの方で、私も家に帰ってもやる事がないから研究室に顔でも出そうかと考えていたところだった。

 自転車を押す彼と並んで歩く。新米助教授の私とそのゼミの大学院一回生の彼。並んで歩いても疑われない関係。

 そういう意味で、藤堂くんは良く考えている。きっと彼は頭が良い人間なんだろう、勉強ができるとかとは違った意味で。

 横を歩く彼の横顔は綺麗だ。髪を伸ばして今風にしても似合うはずなのに短髪。そこが最初に気になったきっかけだと思う。そのとげとげの頭を眺めながらさっきの続きを促してみる。

「ああ。その話しね。そうだな、誤解覚悟で端的に言うなら俺はセックスに興味がないんだ。相手を気にしてダルい時間を過ごすくらいならオナニーの方がはるかにマシ。だから西村さんに魅力感じないとかそういう事じゃないよ」

「そんな事気にしてない」

「そう?」

 でもそれは、男としてどうなんだろう? セックスに興味がない男がいても全然不思議じゃないけど、いざそういう人が目の前にいるって状況は初めてだった。

「それじゃあカノジョは満足しないんじゃないの?」

 そう言うと、あのいつもの、一瞬の空白を空けて、彼は口を開く。

「ん、ああ。それは問題ない。恋人とセックスするのは国民の義務だからね。しなくて別れるくらいなら多少面倒でも一回しておけばいいって考えている。そうすれば一か月は安泰。それでもしたくない時はケンカでもしておけばいいし」

 男と女ってこうなっちゃうのかなって思った。会うのも面倒くさくなって、セックスは義務で、でも別れるのも嫌で。

「じゃあ、私と会うのはなんで」

「んー、そうだな。西村さんはドライで、でも愛されたくて、その釣り合いが俺にはちょうど良かった」

「なるほどね」

「納得していただけましたか」

「なんか、藤堂くんとは上手くやっていけそうな気がしてきた」

「そう、今から、セックスでもする?」

「いいよ」

 分かり合えるタイミングで、絶妙な間隔で、私の気持ちを掴む彼の間の取り方。

「ははっ、やっぱりな。西村さんには、俺が似合っているよ」

「はいはい」

 私はそれにいつも腹を立てている。

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