オシャレな少年、アザの少女


 予備校デビューっていうと何か変な感じだが、高校デビューや大学デビューがあるのだからそれもまあありかなと思う。

 好きな子ができた訳じゃない、急にモテだした訳でもない。でも毎日家と予備校の往復だけって退屈で苦痛な時間が僕の意識をオシャレに向かせたのだ。

 最初は新しく靴を買ったのがきっかけだった。高校のころに履いていた運動靴はもうぼろぼろで、生まれて初めて革の、でもちょっとカジュアルな靴を買った。そうするともう歩くのが楽しくて予備校の二駅前のバス停で降りて歩いたり、朝、早く起きて散歩をするようになっていた。加えて昼時の、混み合った食堂が苦手だった僕はカロリーメイトを持参して昼食はそれひとつとお茶。晴れた日は屋上のフリースペースに腰かけて友達と話しながらそれを食べたりしていた事で、部活をやめて以来少し太りだしていた僕のぽっこりお腹は、元水泳部らしく再び腹筋のくっきりとしたラインをみせるようになっていた。

 それからの僕は勉強が本分であることもついつい忘れ、服を揃え、髪はいつも風になびいたようで、デニムも派手な色合いを選ぶようになった。もともと高校の頃もそれほど顔が悪い訳じゃなかったが、どことなく垢抜けない感じが今思うとあった。それが今ファッションに目覚めた事で自意識が強くなり、それはいい回転で勉強にもプラスに働いていた。

 充実さ、自信のあるなしは人の顔にも雰囲気にもあらわれる。

 そうして周りを見てみると何人かの女の子の熱心な視線がある事に気が付いて僕はまるで羽化したばかりの蝶のように毎日編み込んだハネを羽ばたかせた。


 授業と授業の合間、なんとなく座っていた椅子から辺りを見回していると綺麗な女の子が同じ教室にいるなって思い、しばらく眺めていると唐突に目が合った。けれど視線が合うとそらされて、僕が「なんでもないよ」ってかんじでさり気なく顔を戻すと視界の片隅にまたその子の視線を感じた。僕は僕でそれ以来、授業中こっそりとその子の横顔を盗み見るようになっていた。髪はイエローブラウンのセミロング。頬はピンク色でほっそりとし、唇はリップのせいなのかほんのりと濡れている。背も高すぎず低すぎず、小柄ですらっとした、例えは悪いけど美しすぎる宇宙人みたいに目の大きな子だった。


 ある日、僕は決意を胸にその子の横の席に座ってみることにした。友達に頼んであらかじめ場所をとっておいてもらい、「なんだよ、こんな後ろの席しか取れなかったのか」なんて小芝居をしながら折り畳みの椅子を引き出して机に鞄を置く。

「最近、良く目が合うよね」

 自分でもよくこんなセリフが出てきたと思う。高校時代じゃ考えられないくらいの進歩だ。

「そうだね。授業中、たまに視線感じるもん」

 この子もそうだったんだ! 嬉しくてだらしなくにやけそうになるのをぐっと堪えて、代わりに胸元のペンダントチェーンをいじる。

「けっこう授業かぶってるよね。文系志望?」

「うん。横浜の女子大狙ってるの。お母さんがそこの出身で。どうしても受かりたいんだぁ。近藤くんはどこ受けるつもりなの」

 マジかよ、名前まで憶えていてくれたんだな。僕が教室で名前を呼ばれた事なんて数えるほどしかない。だとすれば友達が僕を呼ぶのをわざわざ聞いていたんだ、それもそんなに回数があった訳じゃないのに。なのにそれを覚えて、しかも自然に呼んでくれる。こんな可愛い子がだよっ! 僕はもう偶然を装っていた事も忘れ、夢中になっていた。

「一応地元の大学だけどもう少し頑張れば東京で一人暮らしって夢も叶うかも。でも名前、チェックしてくれてたんだ。ゴメン、よかったらきみの名前も教えて」

 そう言うと、突然その子の表情が曇った。

「近藤くん、もしかしてとぼけてる?」

「はい?」

「そっか。じゃあ覚えてないんだ。そぉかぁ」

 急に尻すぼみになった彼女の声。なにか失敗したかな、でも名前聞いただけなのに。

「仕方ないよね。私目立たなかったし」

 そう言うと彼女は鞄からメイク道具らしきものを取り出してしばらく俯いて顔を擦っていた。やがてピンク色に染まった頬骨のあたりにうっすらとシミのような物が浮かんでくる。結構目立つ、大きなアザ。化粧をとった彼女が泣き出しそうな声で言った。

「わたし、アザ子だよ」

「アザ子って…、近藤さんっ?」

 同じ名字の、顔にアザのあるちょっと内気な中学一年生の時のクラスメイト。でも、全然違う。アザを隠していた長い髪は明るい色に変わり、長さもばっさりと短くなっている。

「化粧で誤魔化してたんだ。でもやっぱり、似合わないよね、アザ子が化粧なんて」

「そ、そんな事ない。気付かなかったのはほんと悪かったけど、すっげー可愛くて、綺麗な子がいるなって眺めてて、それが近藤さんだって、なんか冗談みたいで…」

「予備校なら知らない人ばかりだから変われるかなって。でも近藤くんもそうだったんでしょ。言うなれば、予備校デビュー仲間とでもいうのかな」

 アザ子がそう言って微笑む。アザ子がこんなに美人さんになるんならもっと優しくしとけばよかったな。

 人生どこに転機があるか分からない。

 こんな偶然ってあるんだなと思いながらもしかしたら来年の今頃は関東の空の下でアザ子とお茶でもしている、そんな姿を想像してみた。

 それも、なんかありだ。

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