第11話 観覧車から見る景色は輝いていた

 その日から、全てが変わった。


 俺は、人との関わりを避けるようになった。友達を失った時の辛さを知って、友達を作る勇気が消えていった。


 立也は、人と関わり続けようとした。愛が亡くなった悲しみに、いつまでも囚われてはいけないと前を向いたから。

 立也は俺よりも強かった。それでもあいつは、自分の趣向を誰かに教えようとはしなかった。

 他人と深く関わることを、心が拒否していたのだ。今日に至るまで、遂に、最後の一歩を踏み出すことは無かった。


 親父は、愛を亡くし苦しむ俺達を見て、新たな決意をしていた。その後親父は仕事を辞め、直接人の助けを出来るような、人の命を救うことが出来るような、そんな仕事を始めた。


 用事により、遊園地に来ていなかった美也は、後日愛の他界を知らされた。その日を境に、大人しく人見知りだった彼女は、誰かを真似る様に明るく振舞い始めた。

 誰の真似をして、誰を元気付けようとしていたのか。そんなことは、俺でも分かった。



 ********


 後、数十メートル。距離が縮まるに連れ、俺の動きは遅くなっていったが、皆は俺に合わせてくれた。

 先程、発作を起こしたこともあるのだろう。福知なんかはさっきからずっと「清水っち、ファイト!」と声をかけてくれている。


 理由まではともかく、俺が観覧車を苦手としている事実は察したらしい。しかし観覧車に行くことを止めようとはせず、ひたすらに励まし続けてくれていた。

 こいつは本当に良い奴だ。


 立也も苦しそうにしているが、俺が目立ち過ぎた為に、立也の様子に気づいているのは舞鶴だけだった。舞鶴は立也の傍に寄り添っている。


 そうして、一歩一歩確実に進んでいたが、残り数メートルという所で足が止まってしまう。

 珍しく観覧車には行列が出来ておらず、辿り着けさえすれば、直ぐにでも乗れるというのに。


 体が言うことを聞かなかった。


「はあ、はぁ」

 呼吸が荒くなる。


 あと、少しだ。頼む、動いてくれ。

 願いは届かない。どれだけ時間をかけても、まるで神経が通っていないかのように足への命令が行かない。


 もう止めて、帰ろうか。

 息苦しさと、精神的な苦痛から諦めてしまいそうになる。


 そんな自分が情けなくて、恥ずかしくて。

 それでもどうにもならず、これ以上は無理なのかとそう思った時に、思わぬ所から援護の声が届いた。


「おにいちゃん、がんばれええええ!」

「っ、美弥!?」


 ばっと声の発信源へ振り返る。そこには、全員揃って見守る、俺の家族の姿があった。

 親父と母さんは何とも言えぬ表情でこちらを見ており、美弥は口もとに両手を添え、大声を上げて俺を応援してくれている。


「諦めるなああああ!」

 周りにいる、遊園地の来訪者達が驚いているがそんなことはお構いなしと言わんばかりだ。


「いつまでも」

 美弥は言いにくそうに顔を顰めるも、それも一瞬、次には力強く声を発した。


「いつまでも愛ねえちゃんに執着してたら、駄目になっちゃうよ!」

 きっと美弥の励ましを喜ぶべきなのだろう。普段の俺ならば、愛しの妹からの応援に、心の中で万歳をしていたに違いない。


 だが今の俺は、弱い自分に対する怒りや苛立ちが先に立ち、彼女は何も悪くないというのに八つ当たりをしてしまった。


「……お前に何が分かるんだよ! 愛を失った俺と立也の気持ちの何が! テキトーな励ましなんていらねえよ!!」

 そこには、少しばかり、美弥に対しての不満が混じっていた。


「分かんないよ!! おにいちゃん達の気持ちなんて!! いつまでも過去に囚われて!!」

「うっせえ!! あの日から下手に愛の真似なんて始めやがって!! 鬱陶しかったんだよ!!」

「っ!」


 自分でも気づいていなかった感情が、言葉となって飛び出ていく。俺は美也のことをそんな風に思っていたのだろうか。


 美弥の目から、涙が零れ出す。


「誰かに愛の代わりが、務まる訳ねえだろうが!!!」

 いや、違う。


 今俺が言ったことも、確かに本音だ。

 だが、美也が一生懸命に励まそうとしてくれたことは確かに嬉しくて。俺の折れそうだった心を確かに支えてくれて。


 美也の顔がくしゃくしゃに歪む。涙で濡れ切った彼女の顔から伝わってくる思いが、俺の心の奥深くに突き刺さった。


「……すまん」

 最低だ、俺は。どうすることも出来ず立ち竦む。この場から一歩も足を動かせない。

 俯くことしか出来ない俺を責める声が、背後から届いた。


「ださ」

 力の込もらない首を、回す。


 視線の先には苦い様子の舞鶴の顔があった。しかしそれも束の間、すぐに俺を軽蔑するような表情になる。

 それは、決して人前には晒さない筈の、彼女の素の顔であった。


「情けな。結局観覧車にも乗れず、女の子まで泣かせて」

 慈悲も容赦もなく、舞鶴は俺を責めた。何も言い返すことが出来ない。


 しかし次の瞬間、全てが吹き飛んでいった。


「あんた、それでも男なの?」

「「!!」」


 それは、その言葉は。


 舞鶴の声を聞いた瞬間、胸が掻きむしられるような錯覚を覚えた。突然涙腺が崩壊し、美弥の様に涙がボロボロと溢れ出す。


 立也もまた息を呑み、胸を押さえていた。


「いきなり泣き出されても困るんだけど」

「あ、ああ。そう、だな」


 手で目元を拭う。だが涙は止まらない。まさか舞鶴がその言葉を言うとは思っていなかったのだ。


 運動会の日が頭に浮かんだ。



 ――諦めんな! それでも男か!!――


 そうだ、思い出した。


 あの時俺は最後まで走り切って。結果は変わらずビリだったが妙な達成感に包まれて。

 走り終わった後にかけられた彼女の言葉が、心から嬉しくて。


 ――お疲れ、よくやったじゃん――



 彼女はいつも俺達の背中を押す時に、言っていた。


 男のくせに、情けない。男なら諦めるな。それでも男なのか。


 馬鹿の一つ覚えのように男という言葉を彼女は連呼していたが、その真っ直ぐな言葉に俺も立也も心打たれていた。


 今回もそうだった。止まっていたはずの足が動き始める。その言葉を聞くと、不思議と体が突き動かされるのだ。


 あれだけ重かった体が、いつの間にか少し軽くなっていた。


「舞鶴、ありがとな」

「は?」

「何でもねえよ」

 苦笑し、話を流す。


 舞鶴からすれば、罵倒した相手に感謝されたのだ。普通に気持ち悪いだろう。


「美也、改めてごめん。おにいちゃん、頑張ってくるわ。応援して、くれるか?」

「……! うん、もちろんだよっ」


 美弥の目は赤くなっていたが、それでもとびきりの笑顔を向けてくれた。妹のあんな笑顔、おにいちゃんそれだけで頑張れちゃう。


「親父、母さん、行ってきます」

「……おう」

「和夫、頑張ってね」

 両親の視線を背中に、観覧車の方を向いた。


「立也、行こう」

「ああ、そうだな」

 立也の体調も、さっきまでと比べ、随分マシになったように思える。


「でも、その前に」


 立也はちらりと福知に目配せした。福知は初め戸惑った様子を見せたが、思い当たることがあったらしくすぐに立也の意図を察していた。


「実はさ、さっき話してたんだけど……」

 福知は、言葉に詰まるも決心したように口を開く。


「観覧車さ、じゃんけんで一緒に乗る人決めない?」



 ゴンドラは六人乗りである。だが六人乗るのは窮屈なので、分かれて乗ろうという話をしていたことを思い出す。


 話を聞くと、どうやら二人ずつ三つに分かれて乗るという結論に決まったらしい。そしてそのペアをじゃんけん、グーとチョキとパーの中から同じ手を出したもの同士で組むことで決めようとのことだった。


 福知の目が伊根町を捉えていたので、彼女と二人で乗りたいが為にこうすることにしたのだろう。


 かなり運の絡む賭けである。おそらく、先程立也とモブ田とこそこそ話し合っていたのは、お互いが何を出すのか決めておく為だったのではないだろうか。


 そうすれば、運の要素をぐんと減らせる。福知が当たるのは俺、舞鶴、伊根町の三パターン、つまり三分の一にまで確率を上げることが出来るのだ。


 誰も異論を挟むことはなく、ゴンドラ二人乗りペアは、そのルールで決められることとなった。じゃんけんが始まる前に、こそりと舞鶴に伝えておく。


「多分、立也はグーだぞ」

「ほんと?」

「ああ」


 あいつは昔からグーを出すのが好きだ。最近は他の手を出すようにもなったが、相談でどの手を出すかを決めたのだったら、きっとグーを選んだに違いない。


 立也は伊根町の隣にいた。だらりと下げられた腕の先では、既に拳が握られている。


 ついでに俺はパーが好きである。あの開かれている感じが堪らない。愛はチョキが好きだったっけ。


「グー、チョキ、パーでわっかれましょ」

 地域ごとに異なる掛け声を合図に一斉に手を出す。


 立也と舞鶴がグー、俺と伊根町と福知がパーで、モブ田がチョキだ。

 このルールは、それぞれの手がちょうど二人ずつになるまで行われる。均等に分ける為だ。


「わっかれましょ」

 立也と舞鶴がグー、俺と伊根町と福知がパー、モブ田がチョキ、さっきと全く同じ手だった。


「わっかれましょ」

 立也と舞鶴がグー、俺と伊根町と福知がパー、モブ田がチョキ……


「わっかれましょ」

 立也と舞鶴がグー、俺と伊根町と福知がパー、モブ田が……


「わっかれましょ」

 立也と舞鶴が(以下略)……

 決まらない。


「わっかれましょ」

 立也と福知とモブ田は予め手を決めていて、舞鶴は立也とペアになる為にグーを出し続けている。


「わっかれましょ」

 俺はパーが好きなのでパーから離れることはなく、残るランダム要素は伊根町だけだったが彼女も何故かパーを出し続けていた。


「わっかれま……もう皆、手を動かしてすらいないじゃん!!」

 福知が派手にツッコんだ。痺れを切らしたのだろう。


「とりあえず、立也と舞鶴はもうペアってことで。じゃないとマジ決まんないし!」

 そういうことで、ペア一つ目、立也舞鶴ペアが誕生した。舞鶴さんが嬉しそうで何よりです。


「それで、残る四人でグッパね」

 グッパとは、先程までのじゃんけんと同じルールだが、グーとパーしか出せないルールである。二つのチームに分かれる時によく用いられる。


 モブ田は良いのかという目線を福知に送っていた。これでは当初の計画からずれてしまうからだろう。しかし福知はもうしょうがないというように首を振った。ここからは本当の運勝負である。


 俺はパーしか出さないが。


「グッパで組んでも文句なし!」

 そして……



 ゴンドラの中、観覧車の頂上付近に達した辺りで、久しく見ていなかった景色に目を細める。ゴンドラは左右がガラス貼りで出来ており、遊園地内を一望することが出来た。


 立也、愛と前に来た時は三人で乗っていたのにも関わらず、今日の方が狭く感じる。俺も大きくなっているのだ。


 あれから成長していないと思っていたが、やはりそんなことは無かった。どれだけ過去に固執していても、人は成長する、そういう生き物なのだろう。


「綺麗、だね」

「ああ」


 伊根町の声に答える。あの後も、伊根町はパーを出し、結果俺と伊根町、福知とモブ田のペアで分かれることとなった。福知がモブ田に縋るように悔し泣きしていた。


「そういえば伊根町も、パー好きだったんだな」

 思っていたことを言う。あれだけパーを出し続ける人間が俺以外にもいるとは思わなかった。居ても、やる気が無く、決まるまでずっとパーを出し続けている奴ぐらいだろう。


 ……普通に伊根町もそのパターンだった気がしてきたな。


「……うん、好き、だよ?」

 すると伊根町は、視線を逸らし、そう答えた。これは嘘だな。おそらく伊根町のやる気が無かっただけだったんだろう。


 もう一度、外を眺める。


「ここに、来れて良かった」


 夕日に切り替わるかどうかの境目のこの時間。一番中途半端で、客入りも少ない時間帯だ。だが俺は、あの日三人で見たこの光景が酷く懐かしく、愛しかった。


「また、見たかったんだ」

「……嫌だったんじゃないの?」

 伊根町が頭に疑問符を浮かべた。


「別に観覧車が嫌いな訳じゃねえんだ。寧ろこの景色は大好きだ。ま、色々あってな」

「そうなんだ」

 伊根町はふっと微笑む。


「なら良かった」

 あれだけ先程までは苦しめられていたのに、いざゴンドラに乗ってからはまるで穏やかな時間が流れていた。


 俺も漸く過去から解放されるのだろうか。少し考えて、そんなことはないと首を振る。


 あれだけ愛の無惨な姿は鮮明に思い出せるのに、彼女と最後に交わした会話は未だ思い出すことが出来ない。俺が真の意味で解き放たれるのは、その内容を思い出せた時であろう。


 ……だけど


 焦る必要はない。


 今日のように、少しずつ進んで行けば良いのだ。少しずつ変わって、少しずつ成長する。


 そうしていれば、きっといつか鳥かごから抜け出すことが出来る。


 ふと、ゴンドラの近くを飛ぶ鳥が一羽、視界に入った。何に囚われることもなく、橙色に変化しつつある空を、横切って行く。


 いつか俺も、あんな風に自由に飛び立てる日が来るのだろうか。

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