第10話 清水和夫と天橋立也の過去

 今でも覚えている。運動会で足の早い奴らと走ることになった時だ。


 勝てる訳が無いと、始まる前から諦めて、全力なんて、出す気も失せて。


 俯く俺に彼女は言った。


「諦めんな! それでも男か!!」


 それだけで力が湧いて来て、前を向くことが出来た。


「位置について、よーい」


 本気とか全力とか、そんな物とは比べものにならない活力が俺の中に生まれる。


 パァンッ!


 銃の音が無意識に体を前へ突き動かした。


 あの競争で俺は、何位になったのだったか。


 今はもう、全て過去の話だ。



 ********


「立也、どうだ?」

「一歩一歩が凄く重い」

「同感だ」


 俺達は今、スバラッシイ・マウンテンの存在するシマッタ―カントリーエリアを抜け出し、観覧車へ行くために、イエスタンランドを経由していた。


 観覧車に近づくにつれ、心なしか空気が重く感じる。


 俺と立也以外の連中は何も気にすることなくスタスタと前を歩いているので、俺達もそれについていく形で観覧車との距離を縮めていた。


「もう少し、歩く速度を落とさないか?」

「何か言ったー?」

「……いや、何でもない」


 声が思ったよりも出ず、福知に聞き返されてしまう。俺の体調は本調子とはかけ離れていた。


「すう、はぁ」


 深呼吸をする。酸素をマトモに吸うことが出来ない。立也も息苦しそうに顔を歪めていた。


「やっぱきついな」

「行けるかと思ったんだけどね」


 近づけば近づくほど、脳裏に記憶が蘇る。吐き気が込み上げて来たが、ぐっと堪える。


「立也ー、清水っちー」

「どうした?」

「観覧車どう乗りたい!?」

「「……?」」


 福知の容量の得ない質問に俺も立也も答えることが出来ない。


「ほら、ゴンドラって六人乗りじゃん? んでも六人も乗ったらマジ窮屈だから、分かれて乗るかって話してたんだけど」

「要はどう分かれるかってことか?」

「そういうこと! 清水っちはどうしたい?」

「俺は何でも良い。立也は?」


 普通の会話をすることでさえしんどかった。さっさと立也に話を振ってしまう。


「お前らで決めてくれ。俺も今回は何でも構わない」

 立也も話を流している。俺と同じ心境なのだろう。


「じゃあ俺達で決めるわ!」

「ごめん、飲み物だけ何か買わせて欲しい」

「オッケー」


 立也は視界左に自販機を見つけ、そちらへ向かって行く。俺もそれに続いた。


 適当な飲み物を買って喉を潤す。ごくりごくりと、体に溜まった重い気を流すように音を立て飲んだ。

 ドリンクを持ち、皆の所へ歩いて行く。


「立也、俺にもちょうだい」

「どうぞ」

「マジサンキュ!」


 福知は立也からドリンクを貰うと、一口分の水分を摂取した。


「で、ちょっと相談があんの!」

「どうした?」


 こそこそと、福知が立也を連れて離れた所に行き、話を始めた。そこにモブ田も合流する。


「ねえ」

「ん?」

 そのタイミングで、舞鶴が俺にこそりと耳打ちした。


「あっち」

 言われるがままに、立也と福知の行った方とは逆の方へ向かう。


「あんた、天橋くんと観覧車に乗るのだけは止めとけって言ってなかった?」

「あー、うん」


 そういえば、舞鶴には恋愛相談の時に伝えていたんだった。


「でも観覧車に行きたいってのは天橋くんから言い出したし、一体どういうこと?」

「……それは」


 舞鶴からしたら気になる話だろう。何せ観覧車に乗りたいと言っただけで俺にキレられているのだ。


「ちょっと事情が変わったんだ」


 詳しいことを話そうとも思わないし、話す時間もない。舞鶴がこの答えで満足してくれるかは分からないが、今の俺に言えるのはこのぐらいだ。


 なるべく会話もしたくない程に、俺の気力は奪われていっている。


「……大丈夫?」

「何がだ?」

「顔色」

「心配してくれてるのか?」

「あんたのことじゃなくて、天橋くんのことなんだけど」


 舞鶴の視線は、福知、モブ田と話す立也の方へ向けられていた。

 体が怠く、怒る気力さえも湧いてこない。


「正直、大丈夫とは言えねえな。俺も、あいつも」

「それはやっぱり、観覧車が原因?」

「ああ」


 その時、立也達の会話は終わったらしく一人手持ち無沙汰にしていた伊根町の所へ戻っていた。


「私達も戻ろ」

「おう」


 舞鶴は一歩進むと、足を止めた。


「……一つだけ聞いていい?」

「ん?」


 もう疲れた。これ以上会話を続けたくないが、断るのも面倒だったので先を促す。


「もしかして、何だけど」


 舞鶴は俯き、悪い予感が当たって欲しくないようなそんな表情を見せる。


 彼女から飛び出して来た言葉は、想像を超えていた。


「六年前の、テロ事件が関係してたりする?」

「っ!」


 息が、詰まった。



 ********


 分からなかった。どうすれば良いのか。


 辺りには火が起こり、泣き喚く子供の姿もある。

 俺も当時は幼く、思考が停止し、体が動かなかった。それは隣の立也も同じだ。


 俺達二人が理解出来ていた現実は二つ。


 まず、何かが起こって観覧車のふもとが爆発したこと。観覧車は丈夫で、倒れることが無かったのは救いだ。

 そして、もう一つは


 目の前で、愛が大量の血を流して横たわっていること。


 彼女は爆発に巻き込まれた訳ではない。観覧車に乗り終え、少し離れた所に居たにも関わらず、爆発により吹き飛ばされた建物の破片が当たったのだ。


 今考えれば当たりどころは良かったのだろう。それは彼女の脇腹を直撃しただけだった。

 それでも血がドクドクと溢れ、当時の俺達には刺激が強かった。


「あ、ああ」


 何度も学校で、こういう時はどうすれば良いのか教えられている。警察なり消防署なり、とにかくどこかにかければ良いのだ。


 番号は……何だっけ?


 頭が真っ白になる。ポケットから取り出したスマホは、震えた手からこぼれ落ち、愛の体から溢れる血の上にポチャリと落ちる。


 慌てて拾うも、番号が分からない。あれだけ覚えていた筈なのに何故か頭に浮かんで来ない。


 再び、血溜まりの上に落とした。もう拾う気力も無かった。


「あ、愛……」

 立也が彼女の名前を呼ぶ。その顔は悲痛に染まっていた。


「カズ、立也」

「!!」

 愛が口を開く。


「」


 何か大切なことを言っていた。


「」


 俺達も必死で言葉を返す。


「」


 愛もまた何かを言って。


 だが俺はその会話の内容を、未だに思い出せない。

 何故か、記憶から抜け落ちていた。


 俺の両親が到着したのはその後だ。遊園地内で別行動を取っていた為に、遅れてしまったのだ。

 彼らも動揺を見せたが、それでも慣れぬ手つきで止血を行い、救急車を呼んだ。


 しかし既に手遅れで、愛は病院に搬送された後、息を引き取った。


 俺と立也が初めから適切な処置を行えていれば、助けられた命だったらしい。


 その日から、全てが変わった。



 ********


「ひゅう、ひゅう」

 詰まった息が吐きだせない。発作が起き、細い音が喉から零れる。


 首元を両手で抑え、しゃがみ込んだ。まだ中身の残る、ペットボトルががらんと音を立て地面に転がった。


「大丈夫!?」

 舞鶴が驚いて声を上げる。その声に返事する余裕も無く、ただ、息を整えることに集中した。


 整え終わる頃には、周囲に全員が集合していた。


「清水っち、どうしたの!?」

 福知が声をかけてくる。


「いや、何でもない」

 調子が良いとは言えないが、それでも動けるほどには回復した。


「カズ、いける?」

「分かんねえ、けど、ここまで、来たんだ」

 立也を決意を込めた目で見る。


「行ってやる」

 声のトーンは小さいが、そこには確かに力強さが詰まっていた。


「……分かった」

 立也と、小さく笑みを浮かべ合う。


 発作が終わり先程よりも少しだけ足が軽くなったような気がした。


 福知、モブ田、伊根町は戸惑いの表情を浮かべている。舞鶴は深刻そうに、何かを悩んでいた。


「俺のことは気にしなくていい。行こう」

「清水っちがそう言うなら……、よし、気を取り直してレッツ観覧車!!」


 福知は戸惑いながらも、陰鬱な空気を取り払うように明るい声を出した。無茶苦茶な英語も、今は有難く感じる。


 観覧車はもう、すぐそこまで近づいていた。

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