第43話 永遠と約束

*10月30日(火) 晴れ*


「誕生日おめでとう、綾乃さん」


 バースデーケーキのろうそくを吹き消した私に、徹くんがとろけるような笑顔で微笑む。

場所はフレンチのレストラン。去年の誕生日に連れて来てもらったのと同じお店だ。でも、今年は個室を予約してくれていて、初めての体験に少しドキドキする。

今日も徹くんはジャケットでキメてて、惚れ惚れするくらいかっこいい。


「プレゼントが二つあるんだ」

「え、二つも!?」


 驚いた私に、徹くんは頷くと「まず一つ目は、これ」と言って本を一冊差し出した。いや、本じゃない。革張りの、ファイルみたいなもの。


「開けてみて」

「うん?」


 訳も分からずにファイルを開くと、そこにはベージュの紙が一枚だけ閉じられていた。私はそこに書かれていた文章を読み上げる。


「えーと……合格証書……坂木徹……司法試験に合格したことを証する……って、ええっ?!」


 私はがばりと身を起こした。え、これ本物!? 目は徹くんと目の前にある証書を何度も行き来する。


「本物だよ」


 徹くんが私の考えを見越したかのように先回りして言う。


「し、し、試験なんていつ受けたの? っていうか、徹くんって法学部だったの!?」

「それ、ひどくない? 恋人の学部も知らないなんてさ。まあ、俺が言わなかったのも悪かったんだけど」


 拗ねた表情を浮かべる徹くんを私は唖然とした顔で見つめるしかなかった。徹くんはあまり大学の事を話さない。多分年下だということを意識してのことだと思って私も遠慮してあまり聞かなかったけど、何となく経済学部だと思い込んでいたのだ。


「試験を受けたのは、五月の中旬」

「あ……」


 五月と聞いて、思い当たる事があった。

 あの頃、私はまた徹くんと付き合える事になって少し浮かれていた。ううん、少しじゃないな……大分浮かれてた。それで、早番の時や休日に頻繁に食事に誘ったものの、何度も断られていたんだよね。大学の授業が大変になったんだろうなって思ってたけど、試験勉強してたんだね。

 ……それにしても。


「司法試験って、大学卒業しないと受けられないんじゃないの?」

「えーと、予備試験ってやつに受かれば、法学部を卒業したのと同じくらいの知識があると見なされて受験資格を得られるんだ。そっちは一年の時に受かってたから」

「一年の時っ!? 何で早く言ってくれなかったの!」

「いや、だって、本試験に受かるか分からなかったし。タイミング逃したままクリスマスになっちゃって……」

「あ~……」


 私は微妙な相槌を打った。去年のクリスマス・イヴに私たちは気持ちがすれ違ってしまって、デートもせずに別れてしまったんだったね。

 あの頃の事を思い出すと、切ないのと自分の馬鹿さ加減が情けないのとで涙が出そうになる。


「また落ち込んでるの? あれはどっちが悪いって訳でもないんだから、もう止めようよ。それに、そのおかげで俺達の絆が深まったんだからさ」

「……うん、そうだったね」


 お父さんが過労で倒れて、行きたくないと拒絶した私を無理やり病院へと連れて行ってくれたのは別れたはずの徹くんだった。一人で不安に押しつぶされそうになっていたのを助けてくれた。傍に居てくれた。話を聞いてくれた。徹くんが居なかったら、私は今もまだ両親と不仲なままだったと思う。

 そして、お互いの気持ちが変わってないことが分かって、再び私たちはお付き合いを始めたね。前よりも深く強く想えるようになったのは、やっぱりあの辛かった日々のおかげだと思う。


「それにしても、十九歳で試験に受かるなんてすごくない?」

「あ、うん。一応史上最年少合格者だったみたい」


 徹くんは何でも無い事のようにサラッと言った。

いやいやいや、もっと自慢しようよ。私だったら周りの人全員に言っちゃうよ。

 聞いたら、合格発表後に新聞社やテレビ局が取材したいと連絡を取って来たんだって。でも、目立ちたくないからという理由でその全てを断ってしまったそうだ。

うわー、徹くんがテレビや新聞に出ちゃってたら、とんでもない騒ぎになってたかも。その辺の芸能人よりもかっこいいから人気が出ちゃうよ。これ以上ライバルが増えたらすっごく困る……。


「じゃあ、試験合格のお祝いも一緒にしなきゃ!」

「待って。もう一つプレゼントがあるから」


 徹くんはそう言うと、ポケットから小さな箱を取り出した。真っ白な包装紙に、銀で縁取られた青いリボンが掛かった小さな箱。


「開けてみて」


 私は頷いてリボンをゆっくりと解いた。手が少し震える。まさか、私の勘違いだよね。そう自分に言い聞かせても胸の奥から湧き出る期待という名の願望。


 そして、箱の中から現れたのはパールグレイのアクセサリーケース。

そっと開けると、その中央には透明な宝石の付いた指輪が納まっていて、私は思わず息を吞んだ。


「これ……」


 徹くんを見上げると、徹くんがいつになく真剣な顔をして私に言った。


「榊綾乃さん」

「は、はい!?」


 居住まいを正した私に、徹くんはある爆弾を投下してきた。


「僕と結婚してください」


 ポカーン。

 思ってもみなかった言葉に、私は口を大きく開けたまま徹くんを見ていた。

もしかして指輪かな……って予想はしていたけれど、これ・・は予想外だ。

それってもしかして、いや、もしかしなくても、プロポーズってや……つ……?


「聞いてる? 綾乃さん」

「ご、ごめん、突然だったから……驚いちゃって」

「突然? もう、すでにプロポーズはしてたんだけどな? 大分前に」

「え? いつ!?」


 急いで記憶をプレイバックしてみたけど、私にはそんな記憶が無い。


「覚えてないの? しょうがないなぁ」


 そう言って徹くんは咳払いを一つして。


「『綾乃さん』」

「は、はい!」

「『俺も、永遠ってやつがあるかは分からない。でも、今すっごく綾乃さんが好きって気持ちは変わらないよ。きっとこれから先もずっと。それじゃダメ? けっこー自信あるんだけど?』」


 私は徹くんの言葉に目を瞠った。それは忘れもしない、横浜の公園で言ってくれた言葉だった。


「『永遠かどうかはお互いが死ぬ時分かるもんなんじゃないかな。俺も綾乃さんが安心してられるように頑張るから。不安になる暇がないくらいに大事にするから。そばにいてよ』。……思い出した? 一応これ、プロポーズのつもりだったんだけど?」

「ぜ、全然気付かなかった……!」


 「えー、全然? 綾乃さんニブすぎない?」と徹くんは可笑しそうに笑った。


 まだ学生の身だし、石も給料の三カ月分にはほど遠いけど、と前置きして、


「綾乃さんの未来、全部欲しいんだ。そして、俺の未来も綾乃さんにもらってほしい。一緒に幸せになってください」


 と徹くんが頭を下げる。


「徹くん……」

「返事は? 綾乃さん?」


 中々返事をしない私に、徹くんの瞳が不安そうに揺れる。

 今、私は今後の人生において大事な決断を迫られている。

いつも徹くんに焦らされてる私だけど、今日は立場逆転?

私だけが彼の感情を揺さぶっている快感をこっそりと噛みしめた。ちょっとくらいいいよね、私の感情を揺さぶるのも徹くんだけなんだから。

でも、子犬みたいな目をした徹くんを見て、私はそうそうに白旗を上げた。

私にはやっぱり焦らす側は向いてないみたい。

 でも、返事の前に、一つだけ訂正させて欲しい。


「……違うよ、徹くん」

「何が?」

「一緒に幸せになってください、っていうの。間違ってる」

「どういうこと?」

「私はもう、これ以上ないくらいに幸せだよ?」


 私がそう言うと、「欲がないなぁ、綾乃さんは」と徹くんは極上の笑みを浮かべた。

 返事なんてしなくても、私の気持ちは伝わっている。


「もっともっと幸せにしてあげるから、覚悟しといて」


 ――そして徹くんが左の薬指に、そっと〝永遠〟をくれた。




 ねぇ。

私があなたに出会っていなかったら、今頃私は何をしてたかな。

違う形で出会っていたら、あなたに恋をしなかったかな?

ううん、きっと違うよね。

どんな形で出会っていても、私はきっとあなたに恋をしていた。

何度人生をやり直したとしても、そのたびに私はあなたに恋をする。

私は運命だとか、必然だとか、全然信じてなかったけど。

この広い世界の中のどこかにはあるんじゃないかと思えるようになったよ。

ほら、きっとここにもね。

私とあなたは出会うべくして出会った。

今ではそう、心から思えるんだ……。

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