第42話 何気ない幸せを

*8月27日(月)晴れ*


 一夜明けて、翌日。

 私たちはお墓参りにやってきた。小高い丘の上にある霊園からは久留米の街が一望出来る。徹くんの両親とお祖母様、ご先祖様、そしてたくさんの人達が安らかに眠る場所。お盆を過ぎたばかりなのでお墓はとても綺麗にされていて、掃除はすぐに終わりそうだった。徹くんがバケツに水を汲んで来るのを待っていると、麦わら帽子を被った背の高い女の子が歩いて来る。思った通り、従妹の莉衣菜ちゃんだった。


 先月莉衣菜ちゃんが東京に来た時、少しだけ仲良くなって、名前のちゃん付けを許されたんだよね。今日はキャミワンピにカーディガンという少しお姉さんぽい格好だった。相変わらずモデルのようなスタイルと美貌だ。


「ふん、オバサンも来たとね?」

「うん」


 オバサンと呼ばれるのももう慣れた。高校生から見れば十分オバサンだよね。私も莉衣菜ちゃんと同じくらいの歳の時はそう思ってたし。


「こら、莉衣菜。その呼び方はやめろよ」


 戻って来た徹くんが莉衣菜ちゃんの発言を聞き咎める。今まではうまいこと徹くんが聞いていない時を見計らって言ってたんだけど、もう気にしてないみたい。猫被るのやめたのかな?


「それに、綾乃さんに会いたいって言ったの、莉衣菜だろ?」

「え……本当?」


 私が首を傾げて莉衣菜ちゃんに尋ねると、彼女の頬はすぐさまピンクに染まった。


「違うっ! 墓参りに行くって聞いたけん、図書館に行った帰りに寄っただけばい! お盆はあんまり時子おばあちゃんと話せんかったと!」


 ムキになって否定する莉衣菜ちゃんは年相応でとてもかわいかった。


「夏は受験の天王山ばい」


と言ってカフェで特大のパフェをペロリと食べた莉衣菜ちゃんは帰って行った。

天王山……なんて懐かしい響き。

 高校二年の夏に『いいか、この夏ですべて決まる。受験の天王山だ』って先生に言われて、何のことか分からずにポカンとしたっけ。後々、天王山っていうのは戦国時代に羽柴秀吉が明智光秀を破った京都の山のことで、〝勝敗を決する大事な局面〟だってことが分かったんだけどね。そこんとこをちゃんと説明してくれなきゃ、って自分の無知を棚上げして先生を責めた。心の中で、だけど。


 そんな忘れかけるくらい懐かしく思い出せる時代に、莉衣菜ちゃんは今居るんだね。今までも店のバイトの子達と幼少期に見たアニメや流行った歌の違いで歳の差を感じてたけど、これはその比じゃなかった。

 ずいぶん遠くまで来ちゃったなぁ、と少し寂しく思ってしまうのは、夏が終わろうとしているからなのかもしれない。

 毎年夏の終わりは少し切ない。何かをやり残したような、大事な事を忘れてしまったような、そんな気分にさせられるから。

……と、いけない、なんだかしんみりしてしまった。

 今日は、私と徹くんのお付き合い一周年記念日。間に少しブランクがあるけど、ね。

 どこかへ行こうか、という話になった時、私は迷わずにここに来る事を選んだ。

プレゼントも御馳走もいらない。

ただ、徹くんが過ごした場所で記念日を迎えたいの。

そんなよく分からない要求に、徹くんは戸惑いながらも了承してくれた。


 徹くんの通った小学校と中学校と高校。よく買い食いしたコロッケや焼き鳥のお店。友達と通ったゲームセンター。街の至る所に彼の存在を感じて、とても幸せだった。

 夕食はどこか食べに行こうかという徹くんの誘いを断って、近くのスーパーで適当に材料を買って来て家で食べた。山盛りのサラダ、チーズオムレツ、オーブンで焼いたチキン。包丁をほとんど使わない、ノージャンル料理の数々。一緒に台所に立つのがすごく楽しかったな。

 徹くんは「こんなのでいいの?」と最後まで戸惑い気味だったけど、私は満足だった。雰囲気の良いレストランにはいつでも行けるけど、ここで夕食を食べるのはこれが最後かもしれなかったから。


 その後、昨日と同じく交代でお風呂を使って、私は客間、徹くんは自分の部屋へ。

今日は暑い中たくさん歩いたから疲れたなぁ。

早々に電気を消して、暖かな光の間接照明だけにすると、布団に寝転んだ。

すると、月明かりに照らされた障子の向こうに人影が差した。


「綾乃さん、まだ起きてる? ……一緒に寝てもいい?」

「え……?」

「添い寝するだけ。何もしないから」

「……うん、いいよ」


 その言葉に嘘が無い事はすぐに分かった。おずおずと入って来た徹くんは脇に枕を抱えていた。その姿が子供みたいで少し笑って、私は布団の半分を譲った。


 私たちは向かい合わせで寝転がる。こんなに近い距離で、しかも一つの布団の上だと言うのに、不思議と緊張はせず、逆に安堵さえ感じるのは何でなんだろう。外からは秋の訪れを感じさせる鈴虫の音色がやけにはっきりと聞こえてくる。


「今日、観音像見たでしょ?」

「うん?」


 徹くんが静かな声で囁くように話す。低くて柔らかい声が心地よい。

 久留米には救世慈母大観音様という五十mを超す白くて大きい仏像がある。災いが取り除かれるというありがたいご利益があるそうで、偶然通りかかった私たちはついでとばかりにお参りしてきた。山の下から仰ぎ見ると、生い茂る木々の中から顔が突き出していて、少し驚いた。


「あれ、最初に見たのが夜暗くなってからでさ。そんなのあるなんて知らなかったから、〝だいだらぼっち〟かと思ったんだよね」

「あ、〝けもの姫〟の?」

「そう、それ。おかげでその日は怖くて眠れなくてさー」


 けもの姫というのは日本を代表する長編アニメーション映画だ。けものの育てられた人間の女の子が主人公で、その映画の中に〝スス神〟という生命を司る神が出て来て、その正体がだいだらぼっち。夜になると森を徘徊するのだが、その映像が子供ながらに怖いと思ったものだった。私でさえそうなのだから、当時もっと幼かった徹くんは更に怖い思いをしたんだろうな。布団の中で震えてる小さな徹くんを想像して可笑しくなってしまった。


 気配で笑ったのが伝わったんだろう、徹くんが不満げに


「いや、ほんとに怖かったんだからね? 何か微妙にライトアップされてたし。自分の身に置き換えて考えてみてよ、綾乃さん」


 と言いながらも、自分でも可笑しくなったのか、ぶふっと吹き出していた。


「もっと聞かせて、徹くんの子供の頃の話」


 嫌じゃなかったら、と付け加えると、徹くんは「全然嫌じゃないよ」と言って色々な話をしてくれた。

 時子さんが意外とおっちょこちょいで、水を出しっぱなしにしたり火を消し忘れて魚を焦がしたり、なんてことはお約束で、ある時は縁側から足を滑らせて転び、小さかった徹くんはどうしていいか分からずに救急車を呼んでしまった事とか(結局時子さんは腰を打って足首を捻挫しただけで、救命救急士の人に軽く叱られたらしい)。


 お父さんは忠臣ただおみさん。奥さんの仁美ひとみさんにベタ惚れで、休みの日はいつもべったりくっついてたらしく、トイレにまでついて来そうになった時はさすがの仁美さんもめちゃくちゃ怒ったそうだ。

 仁美さんは徹くんとお出掛けすると必ず忠臣さんにお土産を買って帰ってたんだって。忠臣さんの好きそうな物をどっちにしよう~と迷う仁美さんはとても楽しそうだったのだとか。「まるでお土産を買いに行くために出掛けてたみたいだったよ」と徹くんが笑う。


 好きな人の昔話って何て楽しんだろう。まるで幸せを分けてもらっているみたい。

いつか……いつか。

彼の辛かったことも聞いてあげられたらいいな。

もちろん、気の利いた事も言えないから、聞くだけになると思うんだけど。

彼が話したい、と思ってくれる人になりたいと思う。


 記念日の夜はこんな風にして過ぎて行った。

暖かい物をたくさん貰った、夜だった。


「……綾乃さん、寝ちゃった?」


 いつのまにか、私は眠りに落ちていた。

揺りかごにゆらゆらと乗っているみたいに気持ちいい。まるで家中が誰かに守られているような、暖かな気配を感じる。


「おやすみ、綾乃さん」


 徹くんがふっと笑って、そっとおでこにキスをしてくれた気がした――。

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