第35話 spring joy,beauty in bloom

*4月1日(月)快晴*


「とおちゃんっ!」

「愛華ちゃん、久しぶり。元気だった?」

「うんっ!」


 愛華ちゃんは、私と徹くんの姿が見えた途端、駆け寄って来た。二人で再会の熱い抱擁を交わした後でようやく「あやちゃんも、こんにちはっ」と愛らしい笑顔を向けてもらえた。ちょっと負けたみたいでくやしい。私の方が何度も会ってるはずなのに。


「ふっ、あの子、私に似て良い男好きなのよ。将来が楽しみだわ~」

「楽しみなんだ……」


 にやりと笑いながら真理子が苦笑いする私の横に立つ。肩が出るほど襟ぐりの開いた、薄手のニットを着た真理子は匂い立つような色気を放っている。


「ごめんね、遅くなって」

「いいのよ~。私達もさっき来たとこ。……あら、その子達? 連れてくるって言ってたのは」


 真理子は私の大分後ろから付いて来た二人に目を留める。


「そう。同じ職場で働いてる佐藤和義くんと山下まりえちゃん」


 佐藤くんは大きめのチェックのシャツとパンツ、まりえちゃんは似たような無地のシャツに細身の花柄レギンス姿だ。


「初めまして~、綾乃の友人で葛城かつらぎ真理子です」


 薔薇のような微笑を浮かべつつ真理子が自己紹介をすると、佐藤くんはその美貌に目ン玉をひんむいて、急いで背をビシっと伸ばして挨拶をした。


「オレ、佐藤和義って言いマス! いや~、真理子さん、美人っスね~」


 佐藤くんの鼻の下は完全に伸びきっている。


「あら~。佐藤くんは正直者ね。好きよ、そういう子」

「マァジっすか! 俺も好きです!」

「ちょっと、何いきなり浮気してんのよ!」

「いっ! イテテテテテッ!」


まりえちゃんが佐藤くんの耳を思いっきり引っ張る。うわ、あれは痛い……。


「初めまして~。私はこの馬鹿の彼女の山下まりえでーす」


 まりえちゃんは少し挑戦的な目で真理子に自己紹介した。どうしよう、一瞬即発か!?


「あら、あなた、まりえちゃんっていうの? 私と似たような名前ね~」


かと思いきや、真理子はまりえちゃんにもニッコリと笑いながら話しかける。


「一文字違いですね! よろしくお願いします」

「ね、まりえちゃん。男の浮気を防ぐ方法、教えてあげましょうか~?」

「ホントですかっ?! 真理子姐さんっっ!」


 挑戦的な目は一瞬で消え失せ、まりえちゃんはすぐさま真理子の軍門に下った。


「ふふっ、誰にでも出来るような簡単な事よ。あっちに行って語り合いましょう」


 そう言って、まりまりコンビは桜の下、一番の特等席へと移動する。後には置いてきぼりをくらった犬のように所在無さげに佇む佐藤くんの姿がポツーン。


「なんか……色々とごめん」


 徹くんが愛華ちゃんを抱き上げながら謝ってくる。


「いや、徹くんが謝っても……ね。はは……」

「桜……見ようか」

「そうだね……」


 今日は桜で有名な公園に、お花見に来ている。平日だと言うのに、桜の木の下はたくさんの人でごった返している。


「わ~、すっごくきれい!」


 頭の上で咲き誇る満開の桜を見て、私は驚嘆の声をあげた。私達が落ち着いたのは、真理子が場所取りしておいてくれた、公園内でひと際大きい桜の木の下だった。温かな光が当たる薄桃色の花が、例年より大分早い春の訪れを実感させてくれる。


「よくこんないい場所取れたね」

「旦那に出社前に場所取りさせたのよ~」

「ええっ! 智治ともはるさん、かわいそう……」


智治さんは真理子のご主人で、私達と同い年だ。今日は仕事のため参加できないと聞いていたけれど、まさかそのご主人に場所取りさせていたなんて……。


 佐藤君達は瞬く間に愛華ちゃんとも仲良くなり、全員で一通り桜を楽しんだ後、女性陣はそれぞれ持ち寄った弁当を出す。

 真理子はサラダやサンドイッチなどの洋食、まりえちゃんはお母さんと一緒に作ったという煮物や出汁巻き卵などの和食。

 私はおにぎりとポットに淹れて来たホットコーヒー。

男性陣はお菓子とジュースを担当した。


「このおにぎり、何が入ってるんですか?」

「えーと、梅とおかかと……あれ、どれがどれだったかな。ちゃんと種類ごとに分けたのに」


 お弁当箱を回転させてしまったために、中身が分からなくなってしまった。白いおにぎりは、見た目にはどれも同じに見える。


「ご、ごめん……」

「何かゲームみたいで面白そうっ。ね、カズ?」

「ほんとほんと。じゃ、俺はこれに決めーた!」


 優しくフォローしてくれた佐藤くんとまりえちゃんがそれぞれ別の場所からおにぎりを選び、手に取った。

徹くんも少し迷った末に端の一つを手に取って頬張る。


「……これ、高菜だ」

「あ。もしかして、苦手?」

「ううん……好物。懐かしい味」


 そう言って徹くんは無言でおにぎりを食べた。徹くん、高菜が好きなんだ。覚えておかなきゃ。


「それにしても、二人とも仕事続けられて良かったわね」

「うん。それもこれも、佐藤くんとまりえちゃんのおかげなんだ。本当にありがとね」

「俺からも、ありがとう」


 真理子の言葉に、私たちは二人に感謝の気持ちを伝えた。

最初の擁護発言は森口さんだったけど、それに同調して皆を説得してくれたのはこの二人だったと店長から聞いたんだ。


「いやいや、お礼なんていらないッスよ」

「そうそう。私たち、思ったことを言っただけですもん」

「それに、二人のどっちかでもいなくなったら困るもんな、うちの店」

「ほんとですよ。店長は頼りにならないし、他の社員も似たようなものだし。それに徹くんほどさばける人、なかなか居ないよね~」


 二人は口々に私たちを褒めてくれる。

 確かに、スタッフの入れ替わりの激しいうちの店では、徹くんはすでに主戦力になっている。隙の無い接客と豊富な商品知識という武器があるから、彼がシフトに入っているだけで夜の安定感が違うと評判だ。時給もすぐに上がったし、大学卒業後にうちの社員になってくれたらいいのにね、なんて話もあるほど。

私のせいで辞めることにならなくてほんとに良かったなぁ。

何度感謝してもし足りないよ。


「あ~もうすぐ大学始まるなぁ。秋からは就活だし、超だりぃー」


 この話はこれでお終い、とでも言うように、佐藤くんはビニールシートの上に寝っ転がった。

 そうか、佐藤くんとまりえちゃんは今年三年生になる。就職活動が始まったら、シフトにも入れなくなる日が増えるだろう。そして卒業して就職して。それは喜ばしいことなんだろうけど、何だか寂しいな……。


「綾乃さん、頭に桜の花びらがのってるよ」


 徹くんはそう言って私の髪に手を伸ばす。

 それはずごく自然な動作だったんだけど、私の頬は忽ち桜の花びらよりも色付いてしまった。


「あ、ありがとう……」

「すみませーん、そこ、イチャつかないでくれますー?」

「カズ、邪魔したら馬に蹴られて死んじゃうよ~」

「ち、ちがっ」「二人ともうるさい」


 照れる私と、二人をたしなめる徹くん。うう、こんな所も負けてる気がするよ。


「なんかあなたたち、老夫婦みたいねー」

「ですね、縁側と半纏が見える気がしますっ」


 真理子の発言に乗っかるまりえちゃん。

まりまりコンビはすっかり意気投合し、佐藤くんそっちのけで盛り上がっている。ノンアルコールのジュースしか飲んでないというのに、二人とも酔ったみたいに大はしゃぎだ。


 真理子に、徹くんとまた付き合うことになった、と報告したとき、真理子は自分のことのように喜んでくれた。何だか生まれ変わったみたいに晴れ晴れとした顔をしてるとも言われた。

 うまくいってなかった家族とも和解出来たと言ったら、何も言わずに抱きしめられた。愚痴みたいになりそうだったから深く話したことはなかったけれど、お盆にも正月にも帰省しなかった私を密かに心配してくれていたのだと、その抱きしめる力の強さで分かって、思わず涙ぐんでしまったっけ。


 「そんなことないよ~、これ、コーヒーだし」と言いつつ、私はその言葉が嬉しかった。

だって、縁側で老夫婦がお茶を飲むシーンって幸せの象徴みたいじゃない?

苦楽を共にした二人だからこそ醸し出せる雰囲気。

私たちもそんな風になっていけるかな?

 私は徹くんと縁側でお茶する場面を想像してしまって、緩みそうになる顔を引き締めるのに苦労した。


 あっという間に夕方になり、私たちは解散することになった。

 その頃には、ちらほらと会社員らしきスーツ姿の人が現れだした。きっとこれから夜桜を楽しみつつ酒盛りをするんだろうな。


 それは花見時期にだけ設置されているゴミ置き場に、ゴミを捨てに行った時だった。


「ぐっ」


 後ろからドスッという鈍い音とカエルが潰されたような声がして振り返ると、微笑んだ真理子とおなかを押さえてる徹くんが居た。


「ん? どうしたの?」

「いや、何でも無いみたいよ? ねぇ?」

「は、はい」


 何か徹くんが苦しげに見えるけど、気のせい?


「とおちゃん、どしたのー?」

「何でも無いよ、愛華ちゃん」


 徹くんが笑顔で愛華ちゃんの柔らかそうな髪を撫でる。

あれ? 聞き間違いかな?

本人も何でも無いって言ってるし……。


 そういえば、以前、3人の姿を見た時はズキリと胸に痛みがはしったっけ。

今思えば、あれはヤキモチなんかじゃなく、幸せな家族の象徴のような光景が辛くて見てられなかったんだ。それは私が失ってしまった光景だったから。


「綾乃さん。帰ろうか」


 徹くんが私に声をかけてくれる。


「うん!」


 私は胸を押さえ、そこに痛みがないことを再確認した。

うん。私はもう大丈夫。――もう、胸は痛まない。

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