第34話 成長は、痛みを伴う
*3月7日(水)晴れときどき曇り*
「それで、二人が付き合っているというのは事実なんだよね?」
「はい」
私はひざに乗せた拳をぎゅっと握りしめた。いつも頼りなさげな店長の顔が、今日は険しく見える。まだ誰も居ない早朝の事務所で、私達は彼と対峙していた。
「榊さん。うちが社内恋愛禁止を掲げていることは知ってるよね?」
「……はい」
「もしかしたら、この事が原因で君は不利益な状況に追いやられるかもしれないけど、それでも?」
クビや転勤になっても、それでも二人の関係を続けるのか、と店長は暗に聞いた。
「……はい。申し訳ありません」
私は店長の目をまっすぐ見つめて決意を表明し、深く頭を下げた。
例えどんな状況になろうとも、もう迷わないと決めたから。
もう二度と、間違えたくないから。
「そう……」
店長は、私に向けていた目を隣に座る徹くんの方へ移す。
「前に坂木くんが店を辞めたいって言ったのも、もしかしてこのことが原因?」
「え……?」
初耳の情報に横を見ると、徹くんは私に視線を寄こし、すぐに店長の方へと戻して口を開いた。
「はい、そうです。嘘の理由を言ってしまって、すみませんでした」
そして徹くんも深く頭を下げた。
店長はその言葉に頷き、お茶を一口、口に含んだ。
「僕自身はね、社内恋愛は悪い事だとは思っていないんだ。実際、我が社の男性社員はスタッフとの結婚率が高い。だけど……」
店長は言葉を探し、視線を泳がせた。
……だけど、女性社員と男性スタッフが、という話は前代未聞だ。その上、徹くんはまだ学生の身でおまけに未成年。そんな彼に手を出すなんて。そう言いたいんだろう。
もちろん、スタッフ同士の恋愛沙汰はしょっちゅうある。
ただし、社員にはもちろん、まわりのスタッフにも極力内緒にするし、もしバレても特にお咎めは無い。あるとしたら、別れることになると大体どちらかが辞めてしまうので、くれぐれも円満にな、と言われるくらいだろう。
「……
「……」「……」
何と言っていいのか分からず、私たちは黙って店長の話を聞いていた。
私たちの目を見て、説得は無理だと悟ったのか、店長は椅子に深く腰掛け、息を大きく吐いた。
「……君達が店を出て行ったあと、すごい騒ぎになったよ。ほら、その……」
君達の年齢差が。という言葉を、店長はまた飲み込んだのが分かった。
「申し訳ありません」
「いや、責めてるわけじゃないから頭を上げて聞いて。……皆がざわつく中、バイトの子が立ちあがって言ったんだ。君達二人が誰と付き合おうがその人の自由じゃないか、自分は二人を応援する、って。そしたらね、皆もすぐに落ち着きを取り戻して、とても驚いたけれど、あの二人だったら、って次々に言い始めて、最後には君達がこのまま店で働くことを許してあげて欲しいって僕に言ってきたよ」
まさかそんな展開になっていたなんて。私たちは驚きで目を見合わせた。
「カズ、いや、佐藤くんですか?」
徹くんが尋ねる。私も佐藤くんだろうと想像していた。
そんなことを言ってくれるのは、彼とまりえちゃんぐらいだと思うから。
「いや、森口さんだよ」
「え……?」
森口さんが、私達のために。
……どんな思いでその言葉を言ってくれたんだろう。
徹くんも信じられない、という表情を浮かべている。
「だから、君達さえよければ、このまま二人ともこの店で働いて欲しい」
「え……」
「いいんですか?」
「これが皆の総意なんだからしょうがないよ。上に報告しないことも約束させられたしね。その代わり、これから当分は君達のシフトがあまりかぶらないように榊さんには早番をやってもらうよ。それと、これは分かっていると思うけど、くれぐれも仕事中は節度ある行動を取ってね。話は以上だよ」
こんなにすべてがうまくいってもいいのだろうか。
受け入れてもらえない、認めてもらえないと思っていたのに。
「「……ありがとうございます!」」
私達は、今まで以上に深く頭を下げた。
「綾乃さんはこれから仕事だよね? 俺、今日は
徹くんが上着を着て帰り支度をしながら誘ってくれた。心配事が解決し、肩の荷が降りたような柔らかな表情をしている。
「あ……ごめん。今日はちょっと行くとこがあるから……」
「そうなんだ。じゃあ、また連絡する」
「うん。私もするね。ありがとう」
礼を言うと、徹くんは口元を緩めて笑顔を見せて一旦帰って行った。
それから、私が仕事着へ着替えを済ませる頃には、朝のスタッフが次々と出社して来た。皆私の顔を見て少し驚き、それでもいつもと変わらずに挨拶をしてくれる。父の容体を聞き、安心した、と言ってくれたスタッフも居た。
皆の気持ちに応えたいと、その日はいつも以上に声を出し、走り回った。
ようやく仕事を終えると、私はある人に電話を掛けた。
あの時と同じように三コール目で電話が繋がる。私は掠れる声で電話の相手に告げた。
「すみません。今日これから……会えませんか?」
そして、待ち合わせの時間を少し過ぎたころ、竹島さんは私の前に現れた。
いつものように凛々しく濃いグレーのスーツで固めている。
「ごめん、待たせてしまったかな」
「いえ。今日は来ていただいてありがとうございます」
そう言って私は頭を下げた。彼と会うのは、約一カ月ぶり。あの雨の日の夜以来だった。
「ご実家の方、大変だったみたいだね」
「え……どうして」
「三日前かな、店の方に電話した時に聞いたんだ」
「そうでしたか。幸い、父は大事に至らなかったので、来週には退院出来るそうです」
「そう。それは良かった」
その後に沈黙が続く。何と言って話を切り出せばいいのか、言葉が見つからなかった。
でも、私から言わなきゃいけないんだ。竹島さんから言わせるわけにはいかない。きっと彼もそれを待っている。
私は深呼吸をすると、意を決して口を開いた。
「一つ、ご報告があります」
「……何?」
竹島さんは優しい瞳で私の目を見た。胸に痛みが走る。でも。
「坂木くんと、また付き合うことになりました」
謝ることは出来ない。そんなおこがましいこと。
だけど、せめて態度くらいはきっぱりと。
私はまっすぐに竹島さんの目を見た。
「……そう。あの日、君達を見て、きっとそうなるだろうなと思っていたよ。……面と向かって言ってくれてありがとう」
去年、福岡行の新幹線に乗った時。私は彼に電話で断りを入れた。でも、あの時とは状況が違う。彼のまっすぐな気持ちに対する返事は、電話では言いきれないと思ったんだ。ひどいことを言っているのに、それでも彼は……ありがとうと言った。
そして、また訪れた沈黙の中、「一つだけお願いがあるんだけど」という言葉で竹島さんが口火を切った。
「何でしょうか……?」
「もう、俺がほんの少しも馬鹿な期待をしないように、思いっきり振ってくれないかな?」
「え……」
「頼むよ。そうでもしないと……諦めきれないんだ」
竹島さんは困ったような表情を浮かべる。私は、泣きそうになるのを必死で堪えた。ここで泣くのはズルイ。間違っている。だから、泣かない。
「……竹島さんとはお付き合いできません」
「そんな言葉じゃ到底諦められない」
「……私は、坂木くんが好きなんです」
「もっと」
「……この先、私が竹島さんを好きになることは……ありません」
私は苦渋の思いでそう言い切った。生半可な言葉じゃ、彼の未練を断ち切ることは出来ないと分かったから。
知らなかった。
断る方が、こんなに苦しいなんて。
『あなたにはもっとふさわしい人が』『今はそういう気になれない』
そういう断り方は、自分が悪者になりたくないための防衛策。
相手が傷つくのを分かっていて、それでも言わなきゃいけない言葉がこの世にはあるんだ。
まさか、そんな言葉を私が人に向けるなんて、夢にも思わなかった。
「……ありがとう」
私の言葉を目を閉じて噛みしめるように聞いたあと、竹島さんは泣きそうな顔で、それでも笑った。
「これでようやく終わりに出来るよ。……幸せにね」
「……はい」
私は竹島さんが去っていく間、ずっと頭を下げていた。
ごめんなさい。
こんな私を好きだと言ってくれた人。
ありがとう。
あなたのおかげで、私がどれだけ救われたか分からない。
どん底にいた私に手を差し伸べてくれた人だった。
――涙は最後まで見せなかった。
それが、私が唯一彼にしてあげられること、だったから。
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