第32話 ひとすじの希望の光

「うーん、分かんない」

「え……?」

「気付いたら、体が動いてたんだ」


 それから、徹くんは両親が亡くなった時の話をしてくれた。

 突然訪れた悲報。霊安室での対面。そして祖母である時子さんとの出会い。両親の突然の死は実感がなくって、やっと実感したのは時子さんと福岡へ行ってからだそうだ。

 ふとした時に感じる喪失感。それは美しい花を見た時だったり、食事の準備を手伝う時のお皿の数だったり。そのたびに「ああ、もう二人はいないんだ」と何度も何度も繰り返し思い知らされたんだって。

 ……死ぬことが分かっているのと、突然訪れる死と。人はどちらがより悲しいのだろうか。


「だから、会いたい人には会っておいた方がいい。俺はそう思うんだ。それを綾乃さんに押し付けたのは本当に悪いと思ってる」

「ううん。おかげで、本当のことを知ることが出来た。……ありがとう」


 私は心からの感謝を込めて徹くんを見つめた。


「でも、きっと綾乃さん好きな人じゃなかったらここまでしてなかったな」

「そうよね。……って、ええっ!?」


 私は目をひんむいて相手を見上げた。


「だって、私たち、別れたんじゃ……?」

「え? 何ソレ? 別れたからって、相手を嫌いにならなきゃいけないの?」

「そ、そうじゃないけど……」

「それに、俺は完全には別れたと思ってないからね」

「えぇっ!!」

「すっごく怒ってたけどね。綾乃さんが俺の気持ちを疑ってるって知って。でも、あの後……めちゃくちゃ後悔したんだ。綾乃さんが俺を信じられなかったのは、俺のせいなんじゃないかって。俺が、綾乃さんに信じさせてあげれなかったのが悪いんだって。ひどいこと言って、ごめん」


 徹くんはそう言って肩を落とした。


「ううん、徹くんが悪いんじゃない。悪いのはいつも私なの。私が、自分に自信が持てなくて、だから徹くんのことを信じられなかっただけなの」

「何で? 何で自信がないの?」

「……また長くなっちゃうけど、聞いてくれる?」

「うん。聞きたい。聞かせて」


 私は視線を海に戻し、再び口を開いた。


「あのね、私、小さい頃から母にべったりでね。まあ、父がほとんど家にいないから余計にだったと思うんだけど、いつも母の後ろをついて回るような子供だったの。だから、母に置いて行かれた時はショックだった。『いつか迎えに来てくれる』……なんて自分でも有り得ないって分かってた。そのつもりがあるなら、私に待っててって言うなり手紙を置いていくなりいくらでも方法はあったはずだもの。だけど、分かってて気付かない振りをしたの。気付いてしまったら、私は〝母親に捨てられた子供〟になってしまうから」


 私は、ふふっと小さく笑った。笑いでもしなければ、やってられない。


「でも、気付かない振りしていても、頭の隅にいつもそれは在った。だから、その日から私は慣れない家事を一生懸命覚えて頑張ったの。学校が終わったら買い物に行って掃除して毎日夕飯を作って父を待ってた。父にまでは捨ててられないようにって、必死だった。突然付き合いの悪くなった私の周りからは、友達も自然と離れて行った。今思えば、母親が男と駆け落ちしたような家の子とは遊んじゃいけませんって、言われてたのかもしれないね。そして、大分家事がうまく出来るようになって、何だ、私だって頑張ったら出来るんだ、って自信を持ち始めた矢先に父が美鈴さんを連れて来て……。ああ、お父さんは私じゃなくてこの人を選んだんだって、私じゃダメだったんだって思った。美鈴さんはとても私に優しかった。私の母親になろうって頑張ってくれているのが分かった。だから、私もいい娘になろうって努力したの。……でも、再婚してしばらくして、美鈴さんが妊娠して……そして、啓太が生まれた。ひどい難産でね、啓太はすごく低体重で生まれてきたの。一カ月近くも病院の保育器に入ってた啓太の小さな手を、父と美鈴さんが愛おしそうに見つめながら触れているのを見て……分かったの。ううん、とうとう気付いてしまったっていうのが正解かな。私は、もう要らないんだ。誰からも必要とされてないんだって。やっぱりね、って」


 徹くんが何かを言いたげにして、でも結局口をつぐんだ。


「だから、徹くんが私の前に現れた時……幸せって感じるたびに心のどこかで思ったの。誰からも必要とされてこなかった私が、誰かの一番になれるはずがないんだって。今は好きだって言ってくれていても、いつか必ず離れて行くんだって。永遠なんてこの世には無いんだからって、最初から諦めてた。徹くんが悪いんじゃないよ。私が全部悪い。ごめんね。こんな私でごめんなさい」


 これで、私は自分のすべてをさらけ出した。昨日に引き続き、誰にも話したことが無い感情。

私はそれを、自分の奥深くに厳重に仕舞い込んでいたんだ。

隣に立つの徹くんの顔が見れない。その顔に、浮かんでいる表情を見るのが怖い。


すると、隣でジャリ、という靴の音がして、徹くんの気配が消えた。

……当然だ、こんな重くて面倒くさい女、私が彼でも願い下げだ。でも……やっぱり辛いな……。


 そう思った次の瞬間、私の体は彼に包まれた。後ろから抱きしめられていたんだ。


「な、何? どうしたの?」

「今、綾乃さんのこと、すごく抱きしめたいって思ったから。……話してくれて、ありがとう」

「つまんない話だったでしょ?」

「そんなことないよ」


 そういって徹くんは私を抱きしめる腕に力を入れた。心拍数が上がっていくのが自分でも分かる。


「綾乃さん」

「は、はい?」

「俺も、永遠ってやつがあるのかどうかは分からない。でもね、今すっごく綾乃さんが大好きって気持ちは変わらないよ。きっとこれから先もずっと。それじゃダメ? けっこー自信あるんだけど?」

「徹くん……」

「永遠かどうかはお互いが死ぬ時に分かるもんなんじゃないかな。俺も、綾乃さんが安心してられるように頑張るから。不安になる暇がないくらいに大事にするから。……そばに、いてよ」


 徹くんの言葉に心が震えた。……でも、それでも。


「……ダメだよ。私は今までたくさん間違えて、たくさん人を傷つけてきた。だから、幸せになっちゃいけないの」


 徹くんは束の間沈黙し、そして私をぐるりと回転させて、私たちは向かい合った。


「綾乃さん、ちゃんと俺を見て」

「え……?」

「俺はちゃんとここにいるよ。どこにも行かない。綾乃さんを置いて行ったりなんて絶対しない。だから、ちゃんと見て。俺自身を」

「徹くん……」

「間違えたなら、やり直せばいい。人を傷つけたなら、謝ればいい。この世に幸せになっちゃいけない人なんていないよ。人は皆幸せになるために生まれて来たんだから」

「でも」

「俺が聞きたいのは、そんな言葉じゃないんだ。綾乃さん。俺のこと……好き?」

「……」

「好きだよね?」

「……」

「お願い、答えて」


 彼の懇願に私が喉の奥から言葉を絞り出した。


「……私で、いいの……?」


 「俺でいいの?」かつて、徹くんは久留米で告白した私にそう言った。それと全く同じ言葉が私の口からこぼれ出ていた。


 本当に……?こんな私でも、幸せになれる?……なっても、いいの?


 私が徹くんの腕に手を添えると、彼は顔を私の肩に埋め、耳元でくすりと笑ってこう言った。


「綾乃さんがいい。綾乃さんじゃなきゃ、嫌なんだ」


 暗い海の底に一筋の光が当てられた気がした。

小さくうずくまっている私に差し伸べられた、温かい手。その手を私はしっかりと掴んだ。

溺れているから捕まるのでもなく、縋りつくのでもなく、ただ一つの手を選んで掴んだんだ。


「うん。好き。大好き。徹くんのことが……どうしようもなく好きなの」


 頬にすうっと流れた涙とともに、やっと言えた、私の本当の気持ち。

徹くんは私の言葉を聞いて、一瞬泣きそうな顔をした後で私を強く抱きしめた。

やっと……やっと。ひとりぼっちだった私を見つけてくれたあなた。


 今度こそ、間違えない。二度とこの手は離さない。


 その時、一陣の風が吹き、白い鳥が一斉に飛び立った。まるで私たちを祝福するかのように。



「それで?」

「え?」


 何のこと?

 私は抱きしめられた体を少しだけ離して、頭一つ分上にある徹くんを見上げた。


「竹島さんと何があったか、聞かせてもらおうか?」


 さっきまでの甘い雰囲気が消え去り、周りの気温が一気に下がったのを感じる。


「え、えーと……」


 ひいぃぃぃっ!!

怖いっ!

その爽やかな笑顔が怖すぎます、徹さんっ……!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る