第31話 懐かしい我が家
「徹ッ!ゲームしよーぜっ」
「うん、いいよ」
その後、家に戻った私たちは啓太と一緒に夕飯を食べて(啓太はご飯食べたはずなのに!)順番にお風呂を使った頃には二人はすっかり仲良くなっていた。私そっちのけで。いえ、いいんですけどね。
啓太は部活があって病院には行ってないらしい。お父さんの一大事なのにって言ったら、『過労だろ? だいじょぶだいじょーぶ、あのオヤジはそんなすぐにはくたばんねーよ、それに、ねーちゃんに言われたくないし』って言われてしまった。うう、た、確かに! そんなこと言われたらもう何も言えない。
徹くんには客間を用意していたんだけど、結局、啓太の部屋に泊まることになったようだ。私は美鈴さんが用意してくれたパジャマを着て、自分の部屋へと入って驚いた。出て行った時と、何も変わってなかったんだ。机もベッドも、あの頃のまんま。
定期的に掃除してくれていたのだろう、埃も無く、部屋の空気も籠ってなかった。布団もふかふかだ。いつ戻って来てもいいように。そんな美鈴さんの真心を感じ、胸が熱くなる。
お父さんのことはもちろん心配だったけど、啓太の態度を見ていたら、お父さんはきっと大丈夫なんだと思えてきた。啓太にお礼なんて絶対言わないけどね。
泣き疲れたせいもあって、私は懐かしい匂いに包まれながら、久々に穏やかな気分で眠りについた。
*3月5日(月)晴れ*
翌朝、目を覚ますと私は簡単な朝食を作った。私と徹くんと啓太と美鈴さんの四人分。美鈴さんが病院から帰ってきたらすぐに食べれるように。
啓太も病院に寄ってから学校へ行くらしい。授業はサボっても、部活だけはサボるわけにはいかないそうだ。変なの。
そして洋服。私のは美鈴さんが用意してくれていたんだけど、徹くんのは啓太を借りることにした。まさかお父さんのを貸す訳にはいかないもんね。サイズも違うし。すると、啓太のズボンを履いた徹くんを見て、私は思わず吹き出してしまった。だって、短いんだ、丈が。八分丈って感じに。
「ぶふっ。啓太、あんた足短すぎ……」
「なっ! 俺は標準だぜ? 身長だって違うしっ。徹が悪いんだ、徹が! 決して俺の脚が短いとかじゃねーかんなっ!」
いやいや、あんたも170センチくらいあるでしょう、と私はニヤニヤしながら言う。からかわれてムキになった啓太が躍起になって言い返してくる。
私と啓太の板挟みになって、徹くんは困った表情を浮かべている。
そして、三人で車に乗り込み、病院へ向かった。昨日とは違い、病院は外来の患者で溢れかえっている。
エレベーターを降り、病室をノックすると、美鈴さんがドアを勢いよく開けた。
「ああ、そろそろ電話しようと思ってたの。孝太郎さん、目を覚ましたわよ」
「えっ!」
私たち姉弟は我先にと病室へ入る。どうやら昨日の夜半過ぎに目を覚ましていたらしい。
ベッドを見ると、お父さんは横たわっていたものの、その目は確かに開いてこっちを見ていた。トレードマークの眉間の皺も健在だ。
「なんだよオヤジ、休日出勤が嫌で仕事サボって、寝てただけかよ」
そんな口をきいた啓太は、「こら、憎まれ口たたくんじゃありません!」と美鈴さんに怒られている。
「お父さん……」
私が呼びかけると、お父さんはビクリと瞼を震わせた。
「綾乃、お前、仕事はどうしたんだ。無断欠勤でもしたんじゃないだろうな?」
お父さんのその言葉に、美鈴さんは「似た者親子ね……」と言いながら頭を抱えている。
「仕事はお休みを貰っているから大丈夫。……無事で良かった」
今までの経緯が経緯だから、そんなにすぐには素直になれない。固い表情でそれだけ伝えるのが精いっぱいだった。
「そっちのは?」
お父さんはドアの外に立っていた徹くんを見やって誰へともなく尋ねた。
「ほら、孝太郎さん、さっき言ったでしょ。綾乃ちゃんの……」
「オトコだってよ!」
「いや、違……」
私の小さな否定は誰の耳にも届かない。徹くんは病室内に入って来ると、お父さんに向かって会釈をした。
「初めまして、坂木徹と言います。綾乃さんとは職場が同じで、大変お世話になっています」
「サカキはサカキでも、坂道の坂に木で坂木なんだってよ。俺、最初、ねーちゃんが婿養子とったのかと思ってビビったぜ~」
「啓太、お前は少し黙ってなさい。……綾乃、お茶を買って来てくれないか?」
「え? お茶ならここにあるじゃない」
私はたった今みすずさんが淹れてくれたお茶を指さした。
「冷たいのが飲みたいんだ。頼む」
「いいけど……」
私は徹くんにチラリと視線を向ける。彼が「大丈夫」という目をしたので、しぶしぶ財布を持って廊下に出た。近くに自販機はなく、一階にある売店まで行くハメになった。
ペットボトルのお茶を買って病室へ戻ると、お父さんは「すまないな」と言って、そのお茶を美鈴さんに冷蔵庫へ入れさせた。何よ、今すぐ飲みたかったから買いに行かせたんじゃなかったの?
そう不満げな顔をすると、無表情のままお父さんが言った。
「さて、父さんはこれから検査があるから、皆もう帰りなさい。美鈴も帰って休め。啓太は早く学校へ行きなさい」
「ちぇっ、もっとサボれると思ったのになぁ」
お父さんはぼやく啓太をひと睨みして黙らせる。
「そうね、綾乃ちゃんと徹くんも遊びに行ってきたらどう? お昼に中華街で美味しいものでも食べて来たらいいわ。夕飯までには戻るのよ?」
まるで今日も帰って来るのが当然、という美鈴さんの言葉に、私は胸が熱くなった。微妙に子供扱いされるのも何故か無性に嬉しかった。
「これ、軍資金ね」といって、美鈴さんは遠慮する私に無理やりお小遣いの入った封筒をねじ込む。
そして、私たちは追い出されるように病室を後にした。
「……どこか、行く?」
啓太が学校行きのバスに乗ったのを見送って、私は恐る恐る尋ねる。徹くんには東京に帰ると言う選択肢もある。
「そうだなぁ、さっき朝ご飯食べたばかりだし……出来れば、綾乃さんのお気に入りの場所に行ってみたいな」
「お気に入りの場所?」
「うん。ダメ?」
「別にダメじゃないけど……」
「じゃあ、決まり」
そう言って微笑む徹くんに、知らず知らずのうちに胸が高鳴り、そんな自分を必死で戒めた。
どこへ連れて行けばいいか悩んだ私は、結局病院からほど近い公園へと向かった。この公園からは海や港が見渡すことが出来て、カップルに人気のスポットだった。今はまだ午前中だからか、スポーツウェアを着てランニングする男女や散歩しているお年寄りの姿が見受けられる。小さくてかわいい噴水を通り過ぎ、半円状の展望台からの景色を眺めた。遠くに大きな橋がかかり、その下をくぐった船の航跡が白く伸びている。
「ここね、子供のころからたまに来てたの。時間が経つのを忘れてしまうくらい、ずっと海を見ていても飽きないんだ」
「ほんと、飽きない眺めだね」
そう言ったまま、二人は無言で海を眺めていた。昨日から一緒にいたせいか、もう二人の沈黙が辛くはなかった。
波に光が反射して、キラキラ宝石のように輝いている。風は冷たいけれど、それすら気持ちよく感じる。
今なら聞けるかもしれない。ずっと聞きたくて、でも聞けなかった問いを。私は海を見ながら手すりに寄りかかる徹くんに尋ねた。
「どうして……ついて来てくれたの?」
そう尋ねると、長い長い沈黙の後で徹くんが口を開いた。
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