第27話 鳴り出した電話

*3月4日(日)晴れ*


 どんなに辛くても、朝は来る。

昨日過去に私を、置き去りにしたままで。


「綾乃さん、何か痩せました~!?」

「え、そうかな? ダイエットが効いてきたのかも」

「細いのに、必要ないじゃないですか! それに、痩せたっていうよりやつれたって感じですよ」

「そんなことないよ~。今日チーク塗り忘れたの。もともと血色悪くて……」


 まりえちゃんの心配そうな声に明るい声で返す。

食事も睡眠もあまり取ってない。目の下はクマがあり、肌もボロボロだった。


 あの日。

徹くんが好きだと気付かされた、雨の夜。

 私は寒い部屋の中でたった一人、全身の水分が無くなるかと言うくらいに泣いた。

だって、気付いたところで結果はもうすでに決まっていたから。

彼はもう森口さんと付き合っているのだろう。

私は同じ人に2度、失恋してしまったんだ……。

さすがにもう立ち直れない。

仕事を辞めるわけにもいかず、彼も辞める気配も無く。

私は会うたびに同じ傷を抉られているような気分だった。

見ず知らずのカップルが来店するのを見るのも辛いくらい。

あの二人、幸せそうな顔して笑ってるなぁ。両想いなんだね。いいなぁ。

好きな人が自分を好きになってくれるって、すごい奇跡のようなことなんだって、今なら分かる。

私にはもう、二度と起きない奇跡。

恋がこんなに辛いなんて、知らなかったよ。

映画やドラマでよくあるよね。結局は別々の道を選んでしまったけれど、彼と出会えただけで幸せって。今は到底、そんな風には考えられないな……。

竹島さんにも申し訳なくて合わせる顔が無い。


 今日は毎月恒例のスタッフミーティングの日。

 朝のパートや、バイトの主要メンバーが集まって会議をする日だ。

パートさんの仕事が終わるのが17時だから、いつも15分くらいから1~2時間かけて行われる。終わる時間がまちまちなのは、スタッフからの意見の数や討論の盛り上がりに左右されるからだ。

 参加メンバーはパートさんは全員、そしてバイトのスタッフリーダー、リーダーじゃなくても今日仕事が休みの人も含まれる。当然、時給もちゃんと支払われる。


 レンタル班、ゲーム班、CD・DVDセル販売班、BOOK班など、全フロアのスタッフと社員が集まっているので事務所はかなりの密集率と熱気だ。今頃売り場ではミーティングに参加しないスタッフが少人数で頑張ってくれているはずだ。ま、まとめ役の店長は自分の席で悠々と寛いでいるけれども。

 当然、バイト歴が長くてスタッフリーダーに選ばれている佐藤和義カズくんや山下まりえちゃんも今日のメンバーに入っているし、……今日シフトに入っていなかった徹くんと森口さんもいる。ズキリと胸の奥が痛むけれど、二人が隣同士で座っていないだけまだマシだと思おう。


 全員が揃ったところでミーティングスタート。

 まずは他の社員から先月の売り上げと達成率、昨年度の同じ月との比較などの報告。先月はゲームの新作が多く発売されたため、前年比で130%売り上げがアップしており、褒められたゲーム班は皆嬉しそうに顔を綻ばせている。


 それが終わった後は、全員に問題点や提案を聞いていく。

 各売り場のスタッフからの意見をフィードバックすることによってより良い店づくりをすることが目的だ。スタッフは一番身近な顧客というわけ。

 案内の地図が小さくて見えづらいからどうにかしてほしい、始まったばかりのキャンペーンがお客様にまだ浸透してないからカウンタートークを徹底させたい、トイレ掃除の頻度を増やしてはどうか。

 自分たちの要望や、お客様に言われたことなど、様々な意見が飛び交って活気のある話し合いが行われている時だった。


 突然内線が鳴り、店長が自分の机にある受話器を取り電話を受ける。内線を掛けてきたスタッフにのんびりとした声で対応していた店長は、えっと大声を上げてこちらを見てきた。


「さ、榊さん、大変だよ! 榊さんのお父さんが、た、倒れたって!」

「え……?」


 慌てふためく店長の言葉に、私は一瞬何と言われたか分からなかった。

聞き取れなかったわけじゃない。耳に入った内容が、頭で理解出来なかったんだ。

サカキサンノオトウサンガタオレタッテ。

 周りのスタッフがざわつき始めてようやく内容が頭に到達する。バサリ、と音を立てて私の手から資料が床に落ちる。


 お父さんが、倒れた…!?


「携帯が繋がらないからこっちお店の方に掛けてきたらしい。すぐに向かいなさい」

「で、でも、まだミーティングが―――」

「そんなのいいから! とりあえず3日間有給出しとくよ。長引きそうなら連絡してくれればいいから」

「で、でも……」


 店長のありがたい助言にも、私の体は動かなかった。


 行かなきゃ。

でも、行けない。

その相反する気持ちが、私をその場に縛り付ける。意思とは関係なくガタガタと小刻みに震える体。


 その時、横からスッと黒い影が動いた。


 その影は店長から受話器を受け取り、外線のボタンを押す。相手と二言、三言会話をするとすぐ行きます、と言って受話器を置いて振り返った。


「榊さん、荷物をまとめてください」


 うつろに震える自分の手を掴んでいた私は、その影の主を茫然と見上げた。

信じられない気持ちのままで。

だって……その影の主は……。


 徹くん、だったから――。

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