第25話 砕けた心のカケラ
*2月9日(金)雨*
「やばい、もうすぐ来ちゃうよ! 急いで急いで!」
店長がスタッフを急かす声がする。今日は竹島さん参加のスタッフミーティングの日だ。都合が合わず、前回からあまり間を置かずに巡回となったため、以前指摘された所を改善しきれてなかったのだ。
そのことに今日気付いた店長は、朝から大慌てで作業を進めている。
ほんと、店長ってすぐにいっぱいいっぱいになるんだから。ま、私も人のこと言えないけどね。
午後、ようやく体裁を取り繕うことが出来た頃に竹島さんが現れた。
チャコールグレーのスーツに青みがかったワイシャツが爽やかで、出来る男といった風情を醸し出している。私服を見た後だからか、スーツ姿が逆に新鮮に感じた。
「お疲れさまです! 今日もよろしくお願いします」
そう言って颯爽と事務所に入って来た竹島さんと目が合った。誰にも見えないようにこっそりと笑みを浮かべてきた。キラッて音が聞こえそうなくらいの笑顔。
まりえちゃんあたりが卒倒しそうな破壊力だ。
「お、お疲れさまです」
やっとのことで挨拶を返すと、竹島さんは店長に挨拶するために事務所の奥の方へと歩を進めた。
そこからはいつも通りのミーティングが行われ、次回までの改善点を提示してもらってお開きになった。
年末年始が終わったと思ったらもうすぐ年度末、何とか今のうちに少しでも予算を達成しておきたいとのことで、今回はいつもより念入りに対策を話し合った。
これから学生は春休みに入り、それが終われば新学期で新規の入会者が増える。息つく暇も無く、これからも忙しい時期が続きそうだ。
「それじゃ、よろしくお願いします。何か不明な点などありましたら携帯の方に連絡してください」
そう言って竹島さんは来た時と同じように颯爽と店を出て行った。その後を私は急いで追いかける。
外は今にも雨が降りそうなどんよりとした曇り空。
足のコンパスが違いすぎるのか、追いついた頃には竹島さんはもう車に乗り込もうとしていた。
「竹島さん……!」
「どうした? 何か分らないことでもあった?」
さっきまでとは違う、くだけた口調。その言葉に首を振り、私は持って来た小さな紙袋を差し出した。
「ん? なに?」
「あの、ちょっと早いけどチョコレートです。この前のお礼に……」
「えっ!」
驚きで目を見開いた竹島さんの表情が、すぐさま歓喜のそれに変わる。
「すごく嬉しいよ。ありがとう」
「そんなに大したものじゃないんです。買ったものだし。すみません」
「そんなことないよ。君がくれたってだけですごく嬉しいから。これのお礼に食事でもどうかな」
チョコを受け取った竹島さんが、紙袋を顔の横で軽く振りながら言った。
「え、でも、それ、この前のお礼のつもりで買って来たんです。結局チケットも食事も支払ってもらっちゃったし。お礼のお礼なんて変ですよ?」
「まーまー。細かいことは言いっこなしで。いいんだよ、俺がお礼したいんだから」
「はぁ……」
結局強引に押し切られ、今日仕事が終わったら迎えに来てくれることになった。
あれ? 何か私、流されてる??
仕事が終わる頃には雨が降り始め、店から少し離れた場所で竹島さんと落ち合った。ただご飯を食べに行くだけなんだけど、見られたら見られたで、あることないこと言われそうだもんね。
そこから車に乗せてもらって、竹島さんおすすめの和食の店に連れて行ってもらった。魚介類や野菜をふんだんに使ったメニューがたくさんあって私はすぐにこのお店が気に入った。一人暮らしだと栄養が偏るもんね。今度
料理とお酒に舌鼓を打ちつつ、竹島さんは色々な話をしてくれた。小売業とは、経営とは、なんて仕事に関係する話から、最近友達とハマっているというフットサルの話まで。話題が尽きることは無く、今まで知らなかったことばかりでとても興味深い。
店を出た後、コーヒーが飲みたくなって、二人で徒歩のまま駅の方へと向かった。
というのも、食事代を出してくれた竹島さんに、次の店は私が出します! と宣言したら、コーヒーでいいよと言ってくれたからだ。
雨は時間と共に激しさを増し、竹島さんは車道を走行中の車が泥はねをしないように、さりげなく車道側に移動してくれた。
横断歩道を渡るために信号待ちをしていると、反対側で待っている人々の中に、見たことあるような傘を見つけた。
差している人は傘で顔が隠れていて見えない。
紺色で、石突きと取っ手が木で出来ている傘。紺色とは言っても手元に向かって徐々に暗くなっていく珍しいもの。……徹くんと同じ傘、だった。
まあ、同じ傘を持ってる人だっているよね。
一瞬跳ねた心臓を落ち着かせるために、そう自分に言い聞かせる。同じ洋服を着てる人に会ってお互いちょっと気恥ずかしい思いをしたこともある。
すると信号が青に変わり、人の波が流れ始める。
紺の傘の持ち主も傘を持ち直して歩道を歩き始め……その人の顔を見て、私は今度こそ心臓が止まるかと思った。
徹くん……!
気付かれない内に傘で自分の顔を隠そうとしたけれど、その直前に目が合ってしまった。
「綾乃さん……」
徹くんが立ち止り、私の名前を呟く。
「榊さん?」
竹島さんも怪訝な顔で数歩先から声を掛けてきた。そして、徹くんの姿を目に止め、眉をひそめる。
「も~、どうして来てないの、徹くん? 私気付かなくて知らない人に話しかけちゃったじゃない!」
そういって私の後ろから女の子が姿を現した。バイトの森口さんだ。
「あれ、榊さんじゃないですか~。あっ、竹島さんまで! もしかしてデートですか?!」
「あ……いや……」
「私たちもデートなんですっ!お互いに内緒ってことでっ」
森口さんがニッコリと共犯者の笑みを浮かべる。
「デートじゃないです」
「え~? 彼氏と別れたらデートしてくれるって言ったじゃんっ!」
「言ってないですよ」
「まぁまぁそう言わずに。あさっては手作りのチョコあげるからぁ」
「いりません。……すみません、失礼します」
徹くんは私たちに軽く会釈をして歩き去った。待ってよ~と言いながら森口さんも会釈をして徹くんを追いかけていく。
「榊さん。榊さん」
「え……?」
「渡ろう。信号が赤になる」
「あ……はい……」
竹島さんは、ようやくのろのろと動きだした私を、痛ましげな目で見た。
「……大丈夫?」
「あ……はい……大丈夫です。……そうですよね。別れたんだもん、もうとっくに次の人がいてもおかしくないんですよね……」
「……」
「何故だか、そんなこと少しも考えてなくて……少し驚いただけです。すみません」
すると、自分の頬が濡れているのに気付いた。
最初は雨だと思ったけど、それは間違いだった。枯れたはずの涙が、次から次へと溢れだして私の頬を濡らしてたんだ。
「あれ……? すみません。なんか、止まんない。何でだろ……?」
笑ってるつもりなのに、うまく笑えない。そんな私を見て、竹島さんが私の手を引いてビルの谷間の路地裏に入り込んだ。
「すみません。今、止めますから……」
そう言った私を、突然竹島さんは強く抱きしめた。そして、驚いている私の唇に、彼の唇を押しつけてきた。
「んんっ、たけ……しま、さ……ん……っ」
名前を呼ぼうと口を開くと、それを待っていたかのように竹島さんの下が私の口を割って中に入ってきた。
「やっ……! ん……!」
激しい口づけは執拗に続き、ようやく唇を離した時には息も絶え絶えになっていた。
すぐ近くにある彼の顔を見上げる。そこには、苦しそうな顔をした竹島さんがいて、目が合うとまた強く抱きしめられた。視界の隅で、2つの傘が転がっているのが映った。
そして耳元で聞こえる、彼の切なげな声。
「俺が、忘れさせてやる。だから……!」
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