第21話 後悔だらけの新年

*1月6日(土)雪のち曇り*


もしかして永遠に振り続けるんじゃないかと思っていた雪も昼前にはようやく止み、だけども車がスリップしたり、人が滑って転んだりとその弊害はしっかりと残されている。

お店の方も子供たちのお年玉戦争がそろそろ落ち着いてきたようで、通常営業のような雰囲気が戻ってきていた。


「ふぅ……」


 私は店を出ると一つ息を深く吐いた。今日は濡れないように短いレインブーツを履いている。靴底がゴムで出来ているから、今日のような滑りやすい日でも安全だ。

念のために持って来ていた折り畳み傘だったが、どうやら出番は無いらしい。


「榊さん」


 家の方向に歩き出そうとすると、後ろから声を掛けられた。


「……竹島さん」


 声を聞いただけで分かった。会うのはあの日――竹島さんにプロポーズをされた日だ――以来だった。


「どうしたんですか? 今日は巡回の日じゃなかったですよね?」

「いや、その。……そう、偶然近くに来る用事があったから」


「そうだったんですか」


 私がそう返すと、竹島さんは少しだけ視線を足元に落とし、意を決したように私の目を見つめた。


「いや、ごめん。今の、嘘。……本当は会いに来たんだ。君に」


 竹島さんが少し照れくさそうに笑う。


「夕メシまだだろ? 良かったら一緒にどう?」


 軽く誘っている口調だったけど、竹島さんの目は真剣だった。だから、私はよく考えもしないうちに頷いていた。長い間外に居たのか、耳と鼻が赤くなっている。

 ……もしかして、私が店から出てくるのを待っていたのかな、なんて、少し思い上がりかな。

 頷いた私を見て、竹島さんは目元を綻ばせた。

 どの店がいいかを聞かれ、私はすこし思案した後で近くにある居酒屋を指定した。低価格な割にメニューも豊富で、いつでもたくさんの人でにぎわっている有名なチェーン店だ。

 ……そこなら深刻な雰囲気にならないと思ったから。


竹島さんは、そんなとこでいいの? と聞き、私が頷くと、道路側に立ち歩き始めた。

 店に着くと、座敷の奥にある、テーブル席に通された。テーブルの下が掘りごたつのようになっていて、隣の席とは壁で仕切られているので半個室のような雰囲気だ。

立ち仕事なので、座敷に座るよりは椅子に座る方がありがたい。


「何飲む?」


 店員に渡されたおしぼりで手を拭きながら竹島さんが尋ねてきた。


「あ、じゃあライムチューハイを……」


「へぇ。意外。けっこうお酒飲めるよね?」

「明日も朝から仕事なので……」


 飲めるという所は否定しなかった。だって、その通りだしね。

 そうか、大変だな、と呟くと、竹島さんは生ビールとライムチューハイを注文した。すぐさま飲み物と突き出しの小鉢が運ばれてくる。今日はポテトサラダと酢の物のようだ。どちらがいいかを聞かれ、酢の物を選んだ。何点か料理を注文し、二人でグラスを合わせる。


「正月セール、結構数字良かったみたいだね」

「はい。前年対比120%くらい行きそうですよ」

「それはすごい」

「ですよね。うちのスタッフが皆頑張ってくれたんで」


 竹島さんの称賛に満ちた瞳を見て、私は意気込んで自慢した。

 スタッフ全員の頑張りが認められるのは本当に嬉しい。うちは中心地にある店ほどの人件費も予算も無く、けっこうカツカツでやっているのが現状だ。

 だから自然と一人当たりの仕事量や責任も増え、言葉通り、皆が少数精鋭なのだ。


 いきなり、プロポーズの返事を聞かれるんじゃないかと少し身構えていた私の心は、徐々に緩んでいった。竹島さんもそんな私の心を読みとったかのように、その話題をチラつかせることは無く、終始楽しい話題を提供してくれた。

 テーブルにはお好み焼き、あんかけチャーハン、串焼きの盛り合わせなどボリュームたっぷりのものが所狭しと並べられ、私が頼んだシーザーサラダは隅の方に追いやられている。


「すごい量ですね……」

「あぁ。どうも学生時代のクセが抜けなくて。どうしても腹にたまるものを選んじゃうんだよなぁ。そろそろ年齢的にも控えないといけないんだけど」

「そんな、まだまだ若いじゃないですか」

「いや、もうすぐ三十だからね。体脂肪が気になるお年頃ってやつだよ」

「そんな……」


 失礼だと思いつつ、私はクスリと吹き出した。引きしまった体格の竹島さんがそんな冗談を言うなんて。そんな私を見て、竹島さんはホッとしたように頬を緩めた。



「すいません、少し酔ったみたいで…」


 強いお酒は飲んでいないはずなのに、店を出る頃には結構酔ってしまっていた。

 徹くんと別れて以来、毎日見る幸せすぎる悪夢のせいで眠りの浅い日々が続いていた。その上に仕事三昧の毎日を過ごし、お酒に対する抵抗力が下がっているようだった。


「家まで送ろうか」

「あ、いえ……一人で大丈夫です……」


 そう言った途端、雪が固まった氷に足を取られて転びかけ、竹島さんに腕を掴まれた。


「ほら、言ってる傍から危ないじゃないか。俺に送られたくないなら……彼を、呼ぼうか?」


 竹島さんの言った言葉に体が凍りついた。

 彼とは徹くんのことだろう。

竹島さんはどんな気持ちでその言葉を言ったんだろう。

その時は気付く余裕がなかった。自分の感情でいっぱいいっぱいだった。

いつも。……いつも。

私は、気付くのが……遅すぎる。


「……彼は来ません」


 思ってもみないほど低い声が自分から出る。


「ああ、まだ学生は冬休みか。帰省中とか?」

「……」

「榊さん?」


「終わったんです、私たち」

「……嘘、だろう?」

「はは。私も嘘だと思ってたんですけど、どうやら本当みたいです。いいように扱われる前に捨てられちゃっ……」


 冗談っぽく言って笑ってもらおうと笑顔を浮かべてみたけど、失敗してしまった。最後は言葉にならなかった。ボロボロと涙がこぼれおち、私は声を出さないように手のひらで口を押さえて顔を伏せた。


 その瞬間。

私は、竹島さんの腕に抱きしめられていた。


「ごめん、俺のせいかもしれない」

「……はな……っ」

「俺が、彼に余計なこと言ったから」


 離してほしくて竹島さんの胸を押し返そうともがいたけれど、彼の腕はびくともしなかった。


「ごめん。本当にごめん」


 もがけばもがくほどに竹島さんは私を強く抱きしめた。

違う。竹島さんのせいじゃない。

徹くんが私から離れて行ったのは、私が彼の気持ちを信用しきれていなかったから。

全部、私のせいだってちゃんと分かってる。

だけど……誰かのせいにしないと立っていることすらままならなかった。


 ほんとうに、私たちは終わってしまったの?

もう、元には戻れないの?

あんなに幸せな時間があったのに、壊れるのはなんて簡単なんだろう。

そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。


 だから、竹島さんの優しさに私は縋りついた。


「竹島さんのせいなんだから……!」

「うん。俺のせいだ。ごめん」

「竹島さんのせいで……」

「うん。ごめん。ごめんな……」


 それなのに、竹島さんは私に何度も謝った。

私がこれ以上自分を責めなくていいように。

……私がこれ以上、傷つかないように。


まだ溶けない雪に、車のライトが当たって光をはじく。

徹くんじゃない、力強い腕。

前に抱きしめられた時はここからすぐに逃げ出したんだった。

だけど……。

私は、竹島さんの温かな腕の中からもう逃げることもせず、ただただ抱きついて、声をあげて泣いた。

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