第16話 涙のサプライズ

*10月30日(月) 晴れ*


「今度の月曜日、仕事だよね? 夜、ご飯でも食べに行かない?」


 徹くんがそう電話で言ってきたのは、先週のことだった。お互い、仕事や学校があるから、休みがかぶることはあんまり、というかほとんどないのが現状だ。たいていいつも時間が合えば一緒に夕飯を食べると言うのが唯一のデートみたいになっている。

 あの台風以来、「うちに来い」とは何となく言いづらい。徹くんも何も言ってこないからなおさらだ。


「ごめん、遅くなった」


 待ち合わせ場所に徹くんが遅れてやって来た。遅れたといっても五分くらいだけど、いつも時間通りに来る徹くんにしては珍しい。遅刻するのは大体私だ。書類作成に手間取ったり、店長の世間話に捕まったりと、中々待ち合わせの時間に間に合ったためしがない。


「ううん、そんなに待ってないよ、大丈夫」


 そう言って徹くんの恰好を見て、私はちょっと驚いてしまった。いつもラフで、それでいてキレイめの恰好を好んで着ている徹くんが、今日は落ち着いたブラウンのかっちりしたジャケットを羽織っている。いつもより落ち着いて見え、大人っぽい。まるでテレビに出てくる俳優みたいに似合っててかっこいい。私はぽうっとなって見惚れてしまって、自然と頬が熱くなってきた。だいぶ経つのに、まだ付き合っているという事実に慣れない。会うたびにドキドキしてる、なんて、他の人が聞いたら笑うだろうか。


「ど、どうしたの、その格好?」

「うん、まあ、たまにはね」


 徹くんは私の質問をあっさりと流すと、腕時計で時間を確認して、行こう、店予約してるから、と私の手を引いて歩き出した。

 いつもなら、外で手をつなぐなんてことしないのに……。そして、しばらく歩いて徹くんが足を止めたのは、雑誌でも紹介されているフレンチのお店だった。


「え、ここ?」


 とまどう私を、「大丈夫だから」と徹くんがレストランの中に誘う。高そう……それがそのお店の第一印象だった。外観だけじゃなく、スタッフもきちんとスーツを身につけきびきびとした動きを見せている。私達が案内されたのは、窓際の位置、階段を数段上がったところにあって、観葉植物が置かれているために他の席から見えにくくなっている半個室な席だった。うわ、あっちのテーブルでワインの説明をしている人、もしかしてソムリエってやつじゃない?

 ギャルソンが持って来てくれたメニュー表とワインリストを見てもちんぷんかんぷんだった。フランス語で書かれたその下に、ちゃんと日本語も書かれているんだけど、味の想像が出来ない言葉の羅列ばかりだった。うわ、値段……書いてない。怖っ!


「綾乃さん、どれにする?」

「えーと。……すみません、全然分かりません……」


 正直に言うと、徹くんはくすりと優しく笑い、私の好みを聞きつつ、落ち着いた物腰で飲み物から料理まで、テキパキと決めてくれた。

 最初は慣れない場所で緊張していた私も、食前酒を飲み、色鮮やかなアミューズブッシュを食べる頃にはだいぶ落ち着きを取り戻した。徹くんはなにも言わないけど、きっと、とっても良いことがあったに違いない。たまにはこういうのも、いいよね。せっかくだし、存分に味わって帰ろう! って、ちょっと開き直りすぎ?


 スープ、魚料理、肉料理と、コースが終盤になる頃にはおなかいっぱいになっていた。ワインがいい具合にホロ酔いにさせてくれている。


「もうおなかいっぱい~」

「だね。でも、デザートは入るでしょ?」

「もちろん! それとこれとは別だもん」


 二人で目を合わせて笑うと、私たちの座席の一角の照明が突然消えた。テーブルに置かれた温かい色のキャンドルの灯りが私たちを照らす。「えっ、停電!?」と慌てて周りを見渡すと、ギャルソンがロウソクの灯ったデザートプレートを運んできた。ちっちゃい花火みたいなのもカラフルな光を散らしながら輝いている。お皿には『HAPPY BIRTHDAY AYANO』の文字。咄嗟に徹くんの顔を見ると、まるでイタズラが成功したかのような満足げな笑顔。


「ほら、早くロウソク吹き消して」


 徹くんの言葉に、我に返り、大きく息を吸い込みロウソクを吹き消した。すると、徐々に証明が明るくなる。


「綾乃さん、誕生日おめでとう」


 そう言って、徹くんが花の鉢植えを差し出してきた。赤、ピンク、白の色とりどりの花たち。良く見ると下に小さい鉢が隠されている。


 今日は、10月30日。私の誕生日だったんだ。……すっかり忘れてた……。


「どうして、知ってたの……?」

「ん、何が?」

「私の誕生日。言ったこと無かったよね?」

「ああ。だって、綾乃さんのID、ayano1030じゃん。交換した時から分かってたし」


 な、なるほど! 気付かなかった自分が恥ずかしい。うかつなことを言ってしまって赤面する私に、徹くんが優しく微笑んでくれる。


「これ、何ていう花?」


 朝顔に似てるけど、どこか違う。


「ペチュニア。10月30日の誕生花なんだ。花束にしにくい花だから、迷ったんだけど」


 その言葉を聞いて、わざわざ調べて用意してくれたのかと、さらに胸が熱くなる。


「すごく嬉しい。ありがとう。とってもきれいな花だね。花言葉は何だろうね~」


 照れかくしに言った言葉に、徹くんは一瞬目を見開き、口ごもった。


「えっと……聞きたい?」

「うん?」


 私が素直に頷くと、徹くんは少し顔を赤くしてこう答えた。


「『あなたと一緒なら、心が安らぐ』とか、『ずっとそばにいてほしい』っていう意味……だよ」

「あ、そ、そうなんだ……」


 それを聞いて、私は彼以上に顔が赤くなった。一緒にいると心が安らぐっていうのはすっごく嬉しい。それだけ、彼の心の中に私の居場所があるんだって思えるから。でも、もう一つの方……ずっとそばにいてほしいって、まるでプロポーズみたい、とか思っちゃったじゃないか。やばい、そう思ったのが顔に出ないようにするんだ、綾乃! 徹くんはまだ学生なんだから。重い女だと思われたくないよ。


「誕生花っていうのもあったけど、花言葉が気に入ってこの花を選んだんだ。どっちもそのまんま、俺の気持ちだったから。綾乃さん」

「は、はいっ?」

「ずっと、俺のそばにいてほしい」


 徹くんに真剣な目で言われ、私の目から涙がこぼれおちた。やだ、涙が後から後からとめどなく流れて止まらない。たくさん伝えたいことがあるのに、言葉にならない。徹くんはハンカチを差し出し、私が落ち着くまで見守ってくれていた。


「本当にありがとう。今までで一番素敵な誕生日になったよ」

「こっちこそ、ありがとう」

「え……? なんで徹くんがありがとう?」

「そうだな……生まれて来てくれてありがとう。俺と出会ってくれてありがとう、のありがとう、かな」

「徹くん……」


 止まりかけた涙がまた溢れてくる。


「ああ、また泣いちゃった。笑ってほしくて言ったのにな」


 無理だよ。そんな嬉しいことばっかり言ってくれるなんて、反則だよ。


「それで、綾乃さんは何歳になったの?」


「も、もう、イジワル! ……二十六歳ですっ! 何か文句あるっ?!」


 私の涙を止めるためだろう、徹くんはいたずらっ子のような顔でそう言った。こんな時にそんなこと言うなんて、ひどくない?泣けばいいのか怒ればいいのか分んなくなるよ。


「ごめん、怒った? でも、綾乃さんと俺が七つ違ったから、俺たちは出会えたんだよ。きっと、同い年だったらそうじゃなかった。そう思わない?」


 確かにそうかもしれない。同い年だったとしても、育った場所も大学も違うから出会うことはなかっただろう。仮に会えたとしても、ただすれちがうだけで恋はしていなかったかもしれない。

 恋になったとしても、きっと私の片想いで終わっていただろう。


 微笑んだ私に、徹くんは言った。


「俺と恋をしてくれて本当にありがとう、綾乃さん」

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