第15話 友人の評価

*9月19日(火) 曇りのち晴れ*


「それで、そのまま何もせずに寝たっていうの?」

「え、うん。だって、夜明けまで台風すごかったし」

「同じベッドで?」

「いや、徹くんにはソファで寝てもらったよ。私はベッドで寝てもいいよって言ったんだけどね」

「いやいやいやいや! 綾乃、あんたは鬼か!」

「え、何が?」


 真理子は目をくわっと見開いて声を上げた。そして、はっと周囲を見渡して慌てて声をひそめる。

 今日は真理子がママ友に聞いたという評判のイタリアンレストランに来ている。ディナーは高額だけど、ランチは比較的手ごろな値段で食べられるのだ。


「何が、じゃないわよ! 好きな女が、一つ屋根の下で、二人きりで、おまけに風呂上り!」


 真理子が手に持ったフォークを私に向かって突き出す。フォークの先端にはカプレーゼのモッツァレラチーズが絹のように白く輝いていた。


「お行儀わるーい」

「いいのよ、今日は愛華がいないんだから。……と、話を戻すわよ。あのね、男の性欲って、我慢してどうにかなるもんじゃないのよ。そして、相手は十代。もう、そーゆーことしか頭にない年頃ね。しかもすでに一回はしちゃってるわけでしょ? そんな男に『一緒に寝てもいいよ、だけどさせないわよ❤』なーんて、死刑宣告したようなものよ?」

「いや、違う違う!一緒に寝ようと言ったわけじゃなくて、私がソファで寝るからベッド使っていいよっていう意味だよ」

「あ、なんだ、びっくりしたわ~」


 やっと状況を理解し、真理子が少しだけトーンダウンする。


「ま、でも、それでも徹ちゃんは我慢するの大変だったと思うわよぉ~」

「そ……そんなに?」


 真理子の剣幕に押されながら、私は恐る恐るそう返した。正直、私は男の人の性欲についてよく分からない。確かに店にはアダルトDVDをレンタルしに男性客がたくさんやって来る。中には七十歳を過ぎたおじいちゃんが日曜の朝から何本も借りて行ったりして、ちょっと驚いたこともあったけど。

 我慢しようと思えば出来るんじゃないの? そんなにコントロール出来ないものなの?

 そう尋ねると、真理子は、馬鹿ね、とため息をついた。


「コントロール出来るのなら、世の中の性犯罪は無くなると思わない? 男と言う生き物は、心と体は別物なのよ。いや、むしろ下半身に脳がついてるといっても過言じゃないと思うわ。例え好きじゃなくても、やれそうな女が目の前にいたら、やっちゃうもんなのよ。好きだ何だって、なんぼでも嘘をついてね!」

「そ、そうなんだ」


 ドン、とテーブルをこぶしで叩いた真理子の剣幕に私は圧倒された。何か過去にあったのかな? でも怖いから聞かないでおこう……。


「そうなのよ。それをあんた、一晩も我慢させて……相手が可哀想になるわ……」


 空になったカプレーゼの皿が下げられ、代わりにパスタの皿がテーブルに置かれる。今日のパスタはからすみのパスタ。通常よりも細いパスタ麺に粉上のからすみと細かく刻まれたネギが散らばった和風のパスタだ。イタリアンだが形式に囚われない自由な所が人気の秘訣らしい。さっそく口に入れると、あまり馴染みの無い、でも絶妙なハーモニーが口の中に広がった。「おいしい!」と口々に叫び、私と真理子はしばらくそのパスタを夢中で食べた。そして、最後の麺を口に収めると、真理子は私の目を見てこう言った。


「一度、会わせてよ」

「えっ?」

「その愛しの徹くんとやらにさ。会ってみたい」




*9月30日(土) 晴れ*


「とおちゃん、こっちこっち~」

「だから、そのとおちゃんって……まあ、いいか。はいはい、何かな~、愛華ちゃん?」


 小さい体でちょこまかと動き回る愛華ちゃんに、徹くんは一生懸命ついて行く。

 今日は真理子と私の四人で下町にある『ふれあいパーク』という大きな公園に来ている。そこではうさぎや猫、犬や亀などの小動物と触れ合う事が出来るので、子連れで来る客が後を絶たない人気スポットとなっている。

 徹くんに今日の話を持ち出した時は、正直、断られると思っていた。だけど、おそるおそる電話を掛けてみると、意外にも彼はすぐに快諾してくれた。


 「はじめまして、坂木徹です」と自己紹介した彼を真理子は束の間見つめ、そしてにっこりと笑うと真理子も自己紹介をしてこれからよろしくね、と返した。二人の出会いに少々緊張していた私は、どうやら初対面はうまくいったようだと胸をなで下ろした。

 最初は初めて見る男性に人見知りしていた愛華ちゃんも、すぐに慣れたようで、今ではとおちゃんとおちゃんと彼から離れようとしない。そんな愛華ちゃんに戸惑いながらも、徹くんも嬉しそうにあれこれと愛華ちゃんの世話を焼いている。


「けっこういい子じゃないの」


 遠くで駆け回る二人を目を細めて見ながら、真理子が言った。


「……うん。私もそう思う」

「ぬけぬけと、よく言うわね」


 私がふにゃりと相好を崩すと、真理子は私のほっぺたをむんずと掴み、ひねった。


「いひゃいいひゃい」


 徹くんが気に入られない訳が無いとは分かっていた。だって、彼はイマドキ珍しくらいに礼儀正しくて人の気持ちに聡い人だったからだ。それでも、年齢とか立場とか、そういった理由から真理子に会わせる事がとても不安だった。しかし、それも杞憂に終わったようだ。

 真理子は笑いながら私の頬から手を離す。


「男の人には滅多に懐かない愛華も懐いてるし。あの子、人を見る目があるからね」

「そうなんだ。……良かった」


 徹くんがウサギを愛華ちゃんに抱かせているのが見える。


「……彼には、何かひどく悲しい経験があるようね」

「分かるの!?」

「ええ。一目で分かった。昔の私と一緒の目をしていたから。……でも、それも和らいできているみたいね」

「……そうかな」

「綾乃のおかげ、かもね」


 真理子はそう言って私にウインクして見せた。

そうなのだろうか。もしそうなら、とても嬉しいと思った。


「それにしても、あの肌……憎たらしいほど綺麗ね」

「でしょう?! 私も初めて見た時は女の敵だと思ったよ~」

「こっちなんて毎日お手入れしてこれだっていうのに……やっぱ若さ? 若さなの!?」

「若さ……かなぁ、やっぱり……」


 私と真理子は、何とも言えない嫉妬の目で若さ弾ける二人を見やった。すると、愛華ちゃんが地面のくぼみに足を取られて転んでしまった。徹くんが慌てて駆け寄ったものの、愛華ちゃんは火がついたように泣きだす。「あらあら、どうしたの~」と真理子が駆け寄り、徹くんがすみません、俺がちゃんと見てなかったら……と平謝りしている。いいのよ~ちょっとくらい痛みも経験した方が~、と笑って答える真理子に宥められ、愛華ちゃんがぐずりつつも泣きやんだ。そこには、まるで家族のような幸せそうな姿があった。


 出遅れた私も三人に近寄ろうとして、そして彼らの姿を見た時、足が動かなくなった。

ずきり、と胸に痛みが走った。とっさに胸に手をやった。


 え……? この痛みは、何……?


「綾乃さん?」

「綾乃? どうしたのー?」


 二人がこっちを見て私に呼びかけ、その声で我に返った。

いつのまにか胸の痛みも無くなっている。

さっきのは何だったんだろう?

きっと、気のせいだよね。


「ううん、何でもない!」


 考えを打ち切って二人に笑いかけると、私は急いで駆け寄った。

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