第14話 そして、初めての……

 このまま洗面所で立ちつくす訳にもいかず、結局、私は苦肉の策で朝顔を洗う時に置いてあったままのメガネで誤魔化すことにした。


「お待たせ~。すぐにご飯にするね」


 私は徹くんの方を見ないようにしてキッチンに逃げ込む。


「綾乃さん、髪乾かさないと風邪引くよ」

「ああ、大丈夫大丈夫~」

「だーめ。こっちに来て」


 徹くんに呼ばれて仕方なく顔を伏せながら近づくと、ソファに座った彼がソファの足もとに座るように指で示す。疑問に思いながら座ると、後ろからドライヤーを当てられた。どうやら乾かしてくれるらしい。「いや、自分で出来るから」と言ったけど取り合ってくれなかった。「徹くんってけっこうワガママ?」と言うと、「やっと気付いたの?」と笑われた。

彼の手が優しく私の頭を撫でる。ドライヤーの熱で緊張もほぐれてきたみたいだ。人に頭を触られるって気持ちいいなあ。


「はい、お終い」

「ありがとうございました~」


 私は目を反らしながら頭を深々と下げた。


「……どうしてこっち見ないの?」

「だって……今、スッピンだし」


 そう言うと徹くんが私の顔を覗きこんだ。お願いだから見ないで、と必死で顔を反らしたけど無駄だったみたい。


「あんまり変わらないと思うけど」

「嘘! そんなわけないもん!」

「いや、ほんとに。っていうか、むしろこっちの方が俺は好き」

「!!」


 いや、だからそういうことをサラッと言うなって!

自分の言葉がどんだけ人の心臓に負担を掛けているか分かってるの!?


「メガネ姿も新鮮でいいね」

「そ、そう?」


 もう、見られてしまったからにはしょうがない。開き直ってしまえ。


「さあさ、ご飯にしようか」

「綾乃さんの手料理食べれるなんて嬉しいなあ。どっかで済ませてからかと思ってたから」


 しまった、その手があったか! この雨だし、一刻も早く家に帰ることしか考えて無かった! 自分の考えの足りなさに愕然としていると、「俺も手伝う」と言って徹くんがキッチンに入って来た。


「何作るの?」

「え~と、クリームパスタ。好き?」

「うん、好き」


 好きという言葉にドキッとする。違う違う、好きって言ったのはパスタの事だから、動揺するな、私!

 徹くんにはパスタを茹でてもらい、その間にソースを作る。バターとオリーブオイルを入れ熱したフライパンで切った玉ねぎとベーコンを炒め、火が通ってきたらしめじを加え塩コショウで味を付ける。この前真理子が来たときに飲み残していた白ワインも加えた。アルコールが飛んだところに牛乳と生クリームとコンソメを入れた。そこに茹であがったパスタを入れてソースと絡めれば完成だ。


「早いね」

「そうかな。おいしいかは分んないけど……」


 照れかくしにそう言うと、皿に盛り付ける。サラダとポトフもテーブルにのせた。


「おいしそう。いただきます」


 徹くんがパスタを口に運ぶのをハラハラしながら見守った。ナニコレ、大学の合格発表並みに緊張する……!


「うん、うまい!」

「本当!?」


 笑顔がこぼれ出た徹くんを見て、「良かったあ~」と安堵して私も食べ始めた。うん、ソースの濃さもパスタの茹で加減も丁度良かったみたい。


「このスープもおいしい。体が温まるね。綾乃さん、料理上手なんだね」

「いやいや、簡単なのしか作れないよ。料理習ったことないから自己流だし。仕事初めてからはさらに手抜きばっかりだもの」

「作るだけでも偉いと思うよ。俺は外食が多いから」


「そっか、一人暮らしならそうなっちゃうよね。野菜ちゃんと採ってる?」


 私がそう言うと、徹くんは面白そうに笑った。


「綾乃さん、お母さんみたい」

「え、そ、そう?」


 徹くんに言われて少し悲しくなる。ただでさえ年齢の差が気になるのに、お母さんと言われてしまった。それに――彼は子供の頃に両親を事故で亡くしている。私の言葉がそれを思い出させてしまったんじゃないかと不安になった。


「ま、でも綾乃さんをお母さんだとは到底思えないけどね」

「それはどういう意味でしょうかっ?」


 私が頼りないから? お母さんだと言われても困るけど、と頬を膨らませると徹くんは楽しそうにほほ笑んだ。良かった、私の心配のしすぎだったみたい。


「俺は綾乃さんを女として見てるからね」

「ゴ、ゴホッ」


 ポトフのジャガイモが喉に詰まりそうになって私は盛大にむせた。食事が終わるまで、徹くんは終始嬉しそうな顔をしていた。


 食事が終わると、二人で一緒に片づけをした。徹くんが「ご飯のお礼に」と食器洗いを申し出てくれたんだけど、私がそれを拒否してしばらく押し問答をした結果だ。彼が食器を洗い、私が拭く。なんだか新婚のようで面映ゆく、照れくさい。

洗いものを手伝ってくれたお礼に、私はコーヒーを淹れた。ソファに並んで座り、二人でコーヒーを飲む。私はミルク多め、徹くんはブラックだ。


「今度、二人でどこか出掛けない?」

「え……?」

「だって、俺たち、ちゃんとしたデートってしたことないよ。福岡でちょっとしたけど」

「ああ、そうだね」

「そもそも始まりからして、順番逆だったし」


 順番? その言葉を頭の中で反芻して、徹くんが言っている意味が分かると顔から火を拭くくらいに熱くなった。


「そそそそのことなんだけど、ととと徹くん」

「なに、どうしたの?」


 自分を落ち着かせるためにコーヒーを一口飲み、マグカップをテーブルに置く。


「あのですね、大変申し上げにくいのですが……」

「?」

「今後ですね、ああいったことは止めておこうと思うのですが」

「ああいったこと……?」

「ですから、そのぉ、私たちの始まりと言いますか、最終地点と言いますか、その、ファミレスで口止めしたことですっ!」

「……ああ。あれね」


 やっと思い出してくれたのか、徹くんは思い出し笑いをする。何故だ。


「徹くんは未成年だし、その、良くないと思うんですよ。なので、しばらくはそういったことは無しでいきたいのですが……」

「いつまで?」

「へ?」

「いつまで無し?」

「そ、そうですね。私としましては、せめて徹くんが二十歳になるまでは……」

「え~、俺、誕生日3月なんだけど。成人式はダメなの? せめて」

「いやいや、二十歳の誕生日でお願いします」


 徹くんは散々駄々をこね、不承不承ではあったが納得してくれた。


 やはり、未成年に手を出すというのは何となく後ろめたい。いくら合意の上であっても、一度してしまっていたとしても。いや、一度してしまったからこそ、けじめをつけなければならない、と思う。この頭の固さが今まで男性経験が無い理由だと分かっているんだけどね……。


「じゃあ、キスは?」

「キッ?!」

「キス。それもお預け?」

「いや、キ、キスなら大丈夫、かな……?」


 私がそう呟くと、やった、と言って徹くんが私のほっぺたにチュッとキスをしてきた。


「!! なっ!」


 頬を抑えて目を見開くと、徹くんがいたずらっ子のような表情を浮かべる。


「キスはいいって言った」

「い、言ったけど、こんないきなり……!」

「じゃあ、いきなりじゃなきゃいい?」

「……」

「キス、していい?」


 おねだりするような瞳で見つめられて、私は何も言えずに、だから無言で小さく頷いた。すると徹くんは私の肩を抱き寄せ、眼鏡を外して顔を近づけてきた。私があまりの恥ずかしさで目を瞑る。体温が上昇していくのが自分でも分かった。まだかな……とドキドキしながら待つと、やっと私の唇に柔らかい彼の唇が優しく重なった。そっと目を開けると、近くに幸せそうな表情を浮かべる徹くんの顔があった。しばらく見つめ合い……再び唇が重なり合う。


 知らなかった。

キスってこんなに心が満たされるものなんだね。

私は徹くんの腕の中で幸せを感じていた――。

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