第13話 トキメキは嵐とともに
*9月11日(月) 台風*
東京には、今、台風が接近して来ていた。台風15号。房総半島沖を通過した台風は上陸していないにもかかわらず、関東地方に暴風や大雨をもたらしている。
東京ほど台風などの災害慣れしていない土地はないのではないか、と私は思う。交通機関はすぐに止まってしまうし、止まってしまえば家に帰る術がない。駅やタクシー乗り場にはいつ来るともしれない電車や車を待つ長蛇の列。そのまま朝を迎え、ようやく始発で帰る、なんてことも珍しくない。
愚痴っているのは、今まさにそういう状況だからだ。台風のせいで、店から離れたところに住むパートさんやバイトの子達がことごとく来れない&帰れないという問題が発生している。そして、複合量販店という所は得てしてそういう状況の時に忙しくなるものだ。台風、盆暮れ正月、選挙、先の大地震の時でさえも。テレビがニュースばかりになるとDVDやコミックの貸し出し数やゲームの売り上げがぐんと上がる。店としては嬉しいのだが、スタッフが居ないとなると……ということで、私は朝から目が回るような忙しさだった。
「お疲れ様です」
徹くんが事務所に入ってきた。今から休憩らしい。
「ああ、坂木くん。今日はほんと悪かったね。休みだったのに来てもらって」
「いえ、大丈夫ですよ。昨日すでに実家から帰って来てたので」
店長に礼を言われ、少し照れくさそうにしている。そしてふとこちらに目を向けてきたので、私は慌てて目をそらした。そのまま数秒経ち、私は気まずくなって事務所を出る。
昨日、久留米から東京に戻って来たというのは電話で聞いていた。というか、私は福岡から東京に帰って以来、遅番じゃない限り毎日のように彼と電話していた。
徹くんは、「今日は高校の時のクラス会があった~」(男子校と聞いて安心した)とか、「嫌々親戚の家に行って来た~」(あまり仲が良くないらしい)とか、その日にあったことを報告して来て、その後必ず「綾乃さんに早く会いたい」と言った。私も早く会いたいと思っていたけど、実際に会うと何かすごく……恥ずかしい。だって、約二週間ぶりに見る徹くんは、何というか……少し日に焼けて精悍さが増している気がする。つまり、そう、めちゃくちゃいい男に見えるんだ。
――なに、あの人。あんなにカッコ良かったっけ!?
今日は視線を感じて振り向くと、徹くんがこっちをじっと見ている……ということがしょっちゅうあった。目が合った瞬間に恥ずかしくて目を逸らし、しばらくして彼の方に目をやるとやっぱりこちらを見つめている。そんなに見ないでよ……と思っていると、彼はふっと目と口の端を緩ませる。微笑んでいるのだ。そして私の頬が熱くなる。その繰り返しだった。
やばい、これ、心臓がもたない! 世の中の職場恋愛してる人達は皆この試練を突破したの!? 私の心臓はとても耐えられそうにないんですけど! 自分の彼氏にドキドキしすぎて死にそうなんですが!?
仕事上がりの時間になった時は、フラフラになっていた。忙しいという肉体的疲労だけじゃなく、精神疲労も半端無かった。
私は水色の水玉の傘をさし、雨風が激しく吹き荒れる中、家に向かおうとする。
「綾乃さんっ」
背中から声がした途端、私の体が固まった。振り返るまでもない。徹くんだ。
もう一度名前を呼ばれ、私は逃げたくなる衝動を何とか抑えて振り返った。徹くんは柄が木で出来た紺色の傘を持って追いかけてきた。ビニール傘じゃないのが彼らしいと思う。
「徹くんも仕事終わったんだ」
「うん。一緒に帰ろうって休憩のときにメールしたのに、見てないの?」
「あ、ごめん。見てない……」
私が謝ると徹くんはやれやれというようにため息をついた。
「綾乃さん冷たい……毎晩電話で『早く徹くんに会いたい』って言ってくれてたのに……」
ひいぃぃぃっ!!
私、そんなこと言いましたか!? 言いましたね! しっかり覚えております!
いっそ記憶無くなってくれないかなっ。
「『寂しくて死んじゃう』とも言ってたのに……」
今まさに違う理由で死んじゃいそうです! 何言ってるんだ、過去の私は!!
私が瀕死の重体なのを見て、徹くんはにやりと微笑むと言った。
「というわけで、今から綾乃さんの家に行ってもいい?」
「な、なんで? どういうわけで!?」
「綾乃さんの頼みだからって、疲れてるところバイトに来たのに、綾乃さんのあの冷たい態度。傷ついたな~俺。『ずっと一緒に居たい』って言ってたのは嘘だったんだね……」
「分かった分かりました、いらっしゃいませ、喜んで!」
私はやけくそになってそう言った。あれ、私何でこんな悪魔みたいな人が好きなんだろう? もしかして早まったそう思うんだけど、彼の嬉しそうな笑顔を見ると何も言えなくなってしまう。これが惚れた弱みってやつ?
徹くんは私の前に立って歩き始めた。あれ? なんで横じゃないんだろう? そう不思議に思ってから、気付いた。彼は私が少しでも濡れないように、風上に立ってくれているのだ。さりげなく行動できるのがすごいと感動する。でもそのせいで、家に帰り着く頃には徹くんは雨でびしょ濡れになっていた。玄関先で、「ちょっと待ってて」と言ってタオルを持ってきて手渡す。
「とりあえず、シャワー浴びる?」
「えっ」
徹くんは驚いた顔で私を見てきた。何だろう?
「だってこのままじゃ風邪ひくでしょ」
「ああ……うん、ありがとう」
微妙な顔をしたまま、彼はバスルームへと消えていった。すぐにシャワーの音が聞こえてくる。私はタオルで濡れた服をあらかた拭くと、冷蔵庫を開ける。昨日、台風に備えて買い物に行っていたので、何でも作れそうだ。
料理はあまり得意じゃないし、簡単なものがいいよね。よし、パスタにしよう。パスタならよく作るから失敗しないし、すぐ出来る。昨日作ったポトフの残りもあるし、あとはサラダでも付ければ大丈夫だろうか。ポトフを暖め直し、お湯を沸かしながらサラダを作っていると徹くんが洗面所から出てきた。
「あ、服、サイズ大丈夫だったみたいだね。良かった」
着替えが無いので、私のTシャツとジャージを置いておいたのだ。私にはぶかぶかだったけど、彼にはちょうど良かったらしい。いや、足が寸足らずで七分丈みたいになっている。
くそう、ちょっとばかり背が高くて足が長いからって偉そうに! いや、偉そうにしてるわけじゃないけど、何かくやしい。
湯上りの徹くんを見て、私は自分の鼓動が大きく跳ねるのを感じた。なんというか……色っぽいのだ。男の人に色っぽいというのは表現的におかしいかな? 妙に艶めかしいというか……ドキドキする。湯気効果、恐るべし。
「綾乃さんも入ってきたら?」
「あぁ、そうだね。じゃあ……」
所在無げにして佇む徹くんに、「テレビでも見てて、ドライヤーはそこにあるから」と言い置いて私もシャワーを浴びるために着替えを持ってバスルームへ向かった。いつも通り、コンタクトを外してクレンジングオイルで化粧を落とし、髪と体を洗って、ふと気付く。あれ、このままだとスッピンで出なきゃいけないのでは!? あぁ~しまった! 化粧落とすんじゃなかったあぁぁ! でもでも、雨でドロドロだったしっ! どうしよう、このまま出ちゃう? いやいや、絶対無理!! あんな素肌美人にすっぴん見せるとか有り得ないんですけど!
私は今、絶体絶命のピンチに立たされていた……!
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