第12話 想いが通じたその後に

*8月28日(月) 快晴*


「綾乃さん。おはよう」


 ホテルのロビーに降りて行くと、蕩けそうなほど甘い笑顔を浮かべた徹くんが立っていた。その姿はまるでどっかのアイドルの写真集のように絵になっている。服装自体はラフなTシャツとデニムというシンプルな格好だというのに、彼が着るとまるで違って見える。……眩しすぎる!


「よく眠れた?」

「あ、あんまり……」

「だから俺の家に泊ればいいって言ったのに」


 その言葉に私は思わず赤面してしまう。いくら両想いになったからって、いきなりお泊りなんて、私にはハードルが高すぎる! 分かってるよ、もういい歳した大人なんだし、会ってすぐそーゆー所に行くのが常識とはいかないまでもよくある話だって。でも、でもっ! 私には絶対に無理っ! 例え一度そそそそそーゆーことがああああったとしてもねっ!?


私は頬の火照りを冷やそうとあくせくしながら昨日のことを思い出していた……。


 昨日、徹くんとお互いの想いを確認し合った後。

私は、ものの見事に彼の腕の中で固まっていた。

この後のこと、考えて無かった―――っ!! どっ、どうすればいいの? いきなり腕をはずしたらムード崩れちゃうかな? でもでもそうでもしないと離してくれない雰囲気……。強く抱きしめられてるせいで、体が密着しててすごく恥ずかしい。その上なんだか呼吸も苦しくなってきたよ? 鼻息が聞こえないように息継ぎさえも控えめにしてるんだからねっ?


今までたくさん映画見てきたけど、ラストってどんなのだっけ? ああ、そうだ、大体の映画が両想いになって終わってるんだ。そして、その後いきなり数年後になって子供が出来てたりするよね。って、私はその間の事が知りたいんですけど! 省略しないで教えてよ!!


やばい、もう息が限界……ってくらいになった時、やっと徹くんは腕を緩めて、私の顔を覗きこんだ。

見るな見るな、そんなシミ一つないきれいな顔で私を見るな……! こちとら昨日から泣き通しで顔は浮腫んでるわ、ひどいクマだわ、シミとか吹き出物とか盛りだくさんなんだからな! って、何を自慢してるんだ、何を。自分で言ってて悲しくなってきた……。


「綾乃さん……」


 徹くんはうるんだ瞳で私を見つめてきた。

もう無理ですっ!

私はがばっと彼から離れて距離を取る。


「え、綾乃さん?」

「ご、ごめん。そ、その……あっそうだ、お腹すかない?! そろそろ夕飯の時間だしっ」


 私の下手な言い訳に徹くんはキョトンとしたけど、しばらくするとくすりと笑って、そうですね、そろそろ何か食べに行きましょうか、と言ってくれた。

きっと彼には何もかもお見通しなんだろうな……と落ち込む。


その後、久留米駅近くの郷土料理を出す店に向かった。徹くんのチョイスで水炊きと『がめ煮』を頼む。水炊きは骨付きの鶏肉と塩で出汁を取っているもので、ポン酢やゴマだれをかけずにそのまま食べるのが珍しい。がめ煮は筑前煮よりも色の濃い煮物で、さといもや人参などの野菜にしょうゆ味が染み込んでいてとてもおいしかった。


「あれ、綾乃さん、お酒飲まないの?」

「あぁ、お酒はちょっと……控えてるの」


 私は恥ずかしさで俯いた。あの夜の出来事を思い出してしまったからだ。

強要、ワガママ、甘えん坊など、数々の悪行を晒してしまい、軽くトラウマになってしまっている。


「飲んでいいのに。今思えば、かわいかったよ」


徹くんがにこにこしながら言う。だから言うなって、かわいいとか、そういうことを。ますます赤面してしまう。私は照れ隠しに取り分けたアツアツの水炊きをかきこみ、案の定「あつっ!」と叫び、徹くんを心配させた。……何やってんだ、私……。


 以上で回想は終了。今日は昨日の失態を何とか取り戻さなきゃ。


「それで、今日はどこに行くの?」

「天神。知ってる? 一応、福岡一の繁華街なんだけど」

「そのくらい知ってるよ~。博多の近くだよね」

「そうそう。帰りの新幹線の時間もあるし、そっちで遊んだ方がいいから」


 帰りの新幹線……。その言葉に少しだけ高揚していた気分が沈む。徹くんと違って、私は明日からまた仕事があるから東京に戻らなければならない。せっかく想いが通じ合ったのに離れるのは少し、いや大分寂しい。


「綾乃さん? どうかした?」

「ううん、何でもない! 天神楽しみ~!」


 私は沈んだ気持ちを振り払うかのように、徹くんににっこりと笑顔を向けた。


「俺はこってり、バリかたで」


 天神で買い物を楽しんだ後、昼に博多ラーメンを食べることになった。天神の近く、大名という所にあるこじんまりとした店に向かう。けっこうな行列が並んでいたものの、タイミングが良かったのか、うまい具合に席に着くことが出来た。


「何それ、なんの呪文?」

「こってり味とあっさり味が選べるんだ。バリかたっていうのは麺の柔らかさね。すごく固めっていう意味。綾乃さんはどうする?」

「えーと、じゃああっさりで、麺は普通がいいな」

「了解。アッサリ、ヤワお願いします」


 徹くんが私の分も注文すると、あいよっと威勢の良い返事が店員から返される。店内にはたくさんの人が一心不乱に麺をすすり、スタッフがきびきびと動き、活気に満ちている。ほどなくお待ちっ! という声とともに目の前に何とも言えない香りのラーメンが運ばれてきた。れんげでスープをすくい、息を吹きかけて少し冷ます。そして口に含むと、濃厚な豚骨の旨みが口中に広がった。


「おいしい! トンコツってこんなにおいしかったんだ~」

「でしょ? 東京じゃ食べられない味だよね」


 徹くんは私が半分も食べきれないうちに自分の分を平らげてしまい、替え玉を注文した。こちらのラーメンは替え玉が普通で、大盛りと言う概念はあまりないらしい。私が「明太子は載ってないんだね」というと笑われてしまった。どうやら東京の方だけのトッピングのようだ。


その後、博多駅に向かい、駅で真理子へのお土産を選ぶ。佐藤くんにも買おうとすると、「カズには別にいらないんじゃないの」と徹くんに言われたけど、そうはいかない。きっと、住所を聞いた時点で私がこっちに来てることも分かっているだろうし。迷った末、真理子には辛子明太子、佐藤くんには福岡で有名な銘菓だという「通らせもん」を買った。


新幹線の改札口に向かう頃には、二人とも口数が少なくなっていた。

一緒にいるとドキドキ心臓がうるさくて疲れるくらいなのに、離れるとなるととても辛い。短い時間なのに、二人でいるのがとても自然なことに思えていたようだ。


「じゃあ……」

「うん……」


 徹くんの表情も少し暗い。まるで捨てられた子犬のようだ。


東京あっちで待ってるから……」

「うん、待ってて。こっちで用事が済んだら俺もすぐ戻るから。浮気しないでね」

「しっ、しないよっ! っていうか出来ないし!」


 徹くんの言葉に私は焦って否定する。「あなたが好きだから」とは恥ずかしくて言えない。


「もう、行くね……」

「あ、待って、綾乃さん」


 呼び止められて顔を上げると、徹くんが私の手を手繰り寄せ、抱きしめてきた。私は彼の背中に腕を回し、目を閉じる。広い胸、彼の匂い。周りには行きかう人々が大勢いるというのに、この時ばかりは気にならなかった。ただ、彼の存在だけを感じていた。


「綾乃さん。大好き」


 徹くんが耳元で囁く。私はこみ上げる涙で声にならず、何度も頷いた。

 私も。私も大好きだよ、徹くん――。

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