第11話 たとえ、ままならない恋だとしても
永遠にも感じられた時間の末に、新幹線はようやく博多に着いた。車内では思うように時間が経たず、今すぐ走り出したい衝動を抑えるのに必死だった。博多駅に到着し、駅員さんに聞き、久留米行きの快速電車に乗り換える。徐々に都会から離れていくのが車窓からの景色で分かった。知らない土地、知らない空気、知らない人たち。だけど不思議と不安はなかった。徹くんも通った道だろうと分かっているからかもしれない。
久留米に着いたときには、もう夕方になっていた。電車内での強すぎる冷房にあてられて冷え切った体は、暑さの名残がある夕日に照らされてようやくゆるむ。
駅からバスに乗り、人に聞きつつ家を探した。バスには年配の方が多く乗っていて、親身になって道を教えてくれた。そしてようやくたどり着いたのは、住宅街のはずれにある純和風建築の大きな家の前だった。映画やドラマでしか見たことのないような長い塀がどこまでも続いていそうな大邸宅。「行けば分かる」と皆が口を揃えたように言っていたのはこのことだったのか。たしかに、こんな大きな家なら子供でも迷わない。
趣のある木の門に付いている『坂木』という表札を確かめ、一つ深呼吸してからチャイムを押す。
「……はい?」
すでに懐かしく思える声がインターホンから流れる。
「徹くん。……榊です。綾乃です」
「えっ?! 綾乃さん!?」
ガタッガタタタタッという物音。どうやら荷物か何かを落としたらしい。
「い、今すぐ出ますっ」
そして玄関を開け、驚いた様子の徹くんが門まで駆けてきた。
「どうして……」
その問いかけに何と言えばいいか、とっさに答えることが出来ない。お互いしばらく相手の顔を呆然と見つめると、徹くんがその沈黙を破った。
「と、とりあえず上がってください」
「お、お邪魔します……」
何故か私までどもってしまう。
門をくぐり、引き戸の玄関から板張りの長い廊下を通って和室の居間に通された。欄間には豪華な鳳凰をあしらった精巧な彫が施されており、そんな和風な部屋の中にいる垢抜けた徹くんは少し合わないように感じた。だけど、向かいに座った彼は何故だかとてもこの家に馴染んで見えた。「すみません、今、これしかなくて」とペットボトルからコップにお茶を注がれる。氷が涼しげに音を立てた。
「……あの、今日は、ご家族は?」
「ああ、言ってませんでしたね。両親は、俺が子供の頃に亡くなりました。交通事故で、二人とも一緒に」
「そうだったんだ……」
真理子だけじゃなく、徹くんまで大事な人を事故で亡くしていたなんて……この世に交通事故は何て多いんだろう。聞いてしまった申し訳なさで、私は唇を噛んだ。
「そんな顔しないでください。もう昔のことなんで」
「うん……」
「それで、父方の祖母に引き取られて東京からこっちに越して来たんですけど、高校三年生になった春に祖母も他界して……」
「えっ」
「こっちは寿命だったみたいで、眠るように逝きました」
「そう……」
徹くんは家族のことを淡々と語った。
「で、東京の大学に進んだんですけど、この家はどうしても手放せなくて。親戚に一応管理は任せてたんですが、やっぱり庭の手入れとか気になって。……祖母が大事にしてた庭なんです」
庭を見るとたくさんの木や植物が植えられていて、故人のガーデニング好きが伺える。庭の端には抜いたばかりの雑草がうず高く積まれていた。よく見てみれば徹くんの洋服には少し土が付いていて、さっきまで植物の世話をしていたのが分かった。
「それで……綾乃さんはどうしてここへ……?」
当然来るはずの質問を投げかけられ、東京を出るときは満タンだった勇気がみるみるしぼんでいくのを感じる。
でも、言わなきゃいけないことがある。これを言うためにここまで来たんだ。徹くんが最初に勇気を出してくれたように、私も。
「徹くんに謝りたくて……」
「あ、昨日のことですか? 俺の方こそ怒鳴ったりしてすみませんでした。綾乃さんはちっとも悪くないのに。これ以上傷つきたくなくて実家に帰るなんて、女々しい男ですよね」
自嘲した徹くんに、私は頭を振って答える。
「ううん、女々しいのは私。臆病だったのも、私。傷つきたくなくて、逃げてた。徹くんの言う通り、私は徹くんの気持ちが信じられなくて、信じて傷つくのがいやで、逆に徹くんを傷つけてしまった……」
「綾乃さん……」
「だって、徹くんみたいな人が私のことを好きって言ってくれるなんて、想像もしてなかったから。最初はからかわれてるのかと思った。それで、森口さんとの噂を聞いて、ああ、やっぱりって。私なんかが好きになってもらえるわけがなかったんだって。ショックだったけど、どこかで納得して安心してる自分もいたの。これで、これ以上悩まなくて済むって」
「……」
「でも、諦めようとすればするほど、徹くんのことが頭から離れなかった。謝りに来たって言ったけど、ほんとはただ会いたかっただけなのかもしれない」
「……え? 綾乃、さん……?」
徐々にその表情を暗くしていた徹くんは、私の話の流れに顔を上げた。
「もう、遅いかもしれないけど、もう自分の気持ちから逃げないから、言わせてほしい。……徹くん。私は、徹くんのことが、好きです」
「……!」
「それだけ言いに来たの」
言えた。自覚したばかりの、私の想いを。
私は徹くんの返事を待たずに立ちあがり、帰ろうとする。
「ま、待って!」
帰りかけた私の手を、徹くんが追いかけて来て捕まえる。
「今言ったの、本当?」
「うん」
「……竹島さんは?」
「ちゃんと、断ってきた」
「俺、年下だよ? 学生だよ? それでもいいの?」
「うん。徹くんがいい」
その途端、堪え切れなくなったように、私は徹くんの腕に抱きしめられた。その腕から彼の気持ちが痛いほど伝わってくる。私はおそるおそる彼の背中に手を回す。その広い肩は、小刻みに震えている。
「もう、諦めてたのに。夢みたいだ……」
「徹くん……」
「綾乃さん。好き。大好き」
「私も、大好き……」
私と徹くんはより一層強く抱きしめあった。
もう、決して離れないように、強く、強く。
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