第10話 大切なのは、自分に向き合うこと
*8月27日(日)晴れ*
「それで、綾乃はどうしたいの?」
「……謝りたい……」
「何を? ちゃんと向き合わずに拒絶したこと? それとも、傷つけたこと?」
「……」
どっちなんだろう。分からない。
私は真理子の方を見ずに、力無く首を振った。
「ただ謝りたいだけなら、やめといた方がいい。それって、綾乃が自分の罪悪感を無くしたいだけだと思わない?」
「そんな……」
昨夜、泣きながら真理子に電話をした。真理子は明日朝イチでそっちに行くから、今日はもうお風呂に浸かって寝ろ、と言った。でも、この状況で眠れるはずもなかった。涙は枯れ果てたと思う。私も消えてなくなればいいのに。
言葉通りに翌朝早く来た真理子は私に顔を洗わせ、着替えさせて、朝食を作った。食欲が無いと言ったけど、無理やり食べさせられた。甘い甘いシロップをかけたフレンチトーストは何故か苦くてしょっぱかった。
「正直に言うとね、私はその竹島さんって人の方が綾乃には合ってると思う。年上だし、社会人だし、世間的に何にも問題がないから」
「……うん」
真理子の言う通りだと自分でも思う。だけど……。
「でも、綾乃が今こんなになってるのは、その徹くんのせいなんでしょ?」
「……うん」
「彼のことが、好き、なのね?」
「……うん」
やっと分かった。ううん、分かろうとしてなかった。
どうして、指が触れるだけで体に電気が走ったのか。
どうして、徹くんと名前を呼ぶときに声が少し高くなるのか。
どうして、会ったり話したりするだけで楽しいのか。
どうして、告白されてあんなに動揺したのか。
どうして、彼女がいると聞いて胸が苦しくなったのか。
どうして、彼のことを傷つけてこんなに辛いのか。
私は徹くんのことが好きなんだ。それも、ずっと前から……。
「やっと自分の気持ちを見つけたみたいね」
「……うん。でも、もう遅いよ……」
「綾乃。人生にもう遅い、なんて無いのよ。相手が生きている限りはね。相手が居なくなった後で後悔しても遅いの」
真理子の言葉にはっとして彼女の目を見つめた。真理子は、中学3年生の時に恋人を事故で亡くしている。ちょっとしたことが原因で、ケンカしてそのまま、だったそうだ。恋人とその親友の3人は仲の良い幼なじみで、悲しみに自暴自棄になっていた真理子を支えてくれたのがその親友、つまり今の旦那さんらしい。真理子の目は海のように静かで、深く、慈愛に満ちている。
「私と同じ過ちは繰り返さないで。綾乃はまだ間に合う」
「真理子……」
「追いかけて、自分の気持ちをぶつけて来なさい。ありのままの、綾乃の気持ちを」
「……うん!」
頷いた拍子に、私の目からは涙がこぼれ落ちていた。
「馬鹿、何泣いてんの。ただでさえ目が腫れてブスになってんのに」
そういう真理子も笑いながら泣いていた。私は心からの感謝の意を込めて彼女を抱きしめた。
徹くんに謝りたい。そして、好きだと伝えたい。
彼は怒ってもう二度と許してくれないかもしれない。でも、それでも。
――徹くんに電話を掛けると、すぐに留守電に繋がった。何度かけても同じ。
どこに居るの? それとも、もう電話もしたくないくらい、私の事を嫌いになった……?
決意したばかりの勇気がしぼみそうになるのを必死で押しとどめる。
佐藤くんならどこに居るか知っているかもしれないと思い、祈る気持ちで電話をかける。あの歓迎会以来、仲良くなって頻繁に会っていると聞いたことがある。
「綾乃さん~? どうしたんっすか、こんな時間に」
「ごめん、徹くんが今どこに居るか知らない……?」
「徹? あいつ、今日から実家に半月以上帰るって言ってましたよ。予定ではもう少し後からの予定だったのに、急に。そのせいで俺が代わりにバイト出ることになったんですよー」
「そうなんだ。……実家ってどこか知ってる?」
「あ、福岡です。福岡の、久留米ってとこ。住所言いましょうか」
「知ってるの!?」
「はい。なんか自分と入れ違いに重要な郵便物が届くかもしれないらしくて、転送を頼まれました。それなら届くまでこっちにいればいいのになーって。あと、植物の水やりも頼まれたんっすよ? 全く、あいつ、お土産買ってこなかったらただじゃおかねー」
佐藤くんが読み上げてくれた住所を焦る気持ちで紙に書く。福岡は遠い。でも……半月も待てない。
電話を切ると真理子がクローゼットから旅行鞄を取り出し、手渡してきた。
「追いかけるんでしょ? 早く荷物詰めなさい。調べたら、飛行機は午前中も午後も全部満席になってる。ちょっと時間掛かるけど新幹線で行った方がいいわね」
「……真理子、ありがとう……」
「ほらほら、涙ぐんでないでさっさと行く!」
私は旅行鞄に必要最低限なものだけ詰めると、玄関を飛び出した。東京駅に向かうタクシーの中で店に急病なので明日休みます、と連絡した。日ごろの行いが良かったのか、すんなりOKを貰えた。
新幹線に乗る間に、手帳から取り出した竹島さんの名刺に載っている携帯に電話を掛ける。三コール目で相手が出た。
「榊さん? どうしたの?」
「あの、この前の、返事をしようと思って」
「ああ……あれね。……で?」
「私、好きな人がいるんです。……ごめんなさい」
「そう。それは、俺がどんだけ頑張っても望みは無いってことかな?」
言葉に詰まる。相手を傷付けると分かっている言葉を口にするのは、怖い。
だけど、それは私が絶対に言わなければならない言葉だ。
「……はい。その人じゃなきゃダメだってやっと気付いたんです」
「……そうか。分かったよ。ちゃんと断ってくれてありがとう。俺は大丈夫だから、気にしないで。また仕事でそっちに行くからその時は避けないでくれよ」
「はい。すみません……」
そして、「すみませんよりありがとうがいいなあ」と竹島さんは笑った。冗談交じりで許してくれた彼はやはり大人だと思った。
私はたくさんの人に迷惑をかけている。自分の自覚の無さのせいで。たくさん受け取った優しさの分、私は何か返せる人間になれるんだろうか。いや、なってみせる……。今すぐには無理かもしれないけど、いつか、きっと。
新幹線に乗り込むと、出発を知らせるメロディが鳴った。
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