第4話 番号とIDはどっちが正解?

*5月9日(水)晴れ*


「榊さん。明日、新しく入ったバイトの子たちの歓迎会をやるんですけど、良かったら来ませんか? やっと皆の都合がついたんで」


 5月の連休という繁忙期が終わり、ようやく日常が戻ってきた頃。本部の指示により階段に設置されているポスターの配置を換えていた時だった。バイトのまりえちゃんが突然階段に現れたかと思うと、榊さん、こっちこっち、と階段中央の踊り場の端っこにぐいぐいと引っ張られた。そして人目をはばかるようにそっと耳打ちしてくる。まりえちゃんは森口さんと同じ女子大の2年生で、働き始めた去年の夏当初から何故か私に懐いてくれている。ショートカットの茶色い髪、低い背丈、人懐っこい笑顔がかわいい活発タイプの女の子だ。


「え……私が行ってもいいの?」


「当たり前じゃないですか! でも、店長には言わないでくださいよ? 他の社員さんも誘ってないんで。内緒です」


「あはは、分かった。ちょっと遅れるかもしれないけど」


「やったぁ! 約束ですよ!」


 嬉しくて思わず大きな声を出してしまったまりえちゃんは、ヤバ、いっけなーい! と舌を出した。その様子が小動物のようで抱きしめたくなるくらいかわいい。

 自分が舌を出す様子を想像してみる。……悪夢だ。全然似合わない……。慌てて自分の気持ち悪い妄想を打ち消す。

 その後まりえちゃんは時間と場所を小声で口早に告げて仕事に戻って行った。

明日も早番だから仕事が終わったら少しだけ参加して、早めに退散しよう。




*5月10日(水)晴れ*


 仕事が終わり、店の近所にある、指定された居酒屋に行く。入り口で予約の名前を確認され、まりえちゃんの名前を出す前に、一段と賑やかな集団がいたのですぐにそれと分かった。すでにだいぶお酒が入ってるようだ。

私は小声で挨拶をし、邪魔しないように端っこの席に座る。隣はまりえちゃんだ。チェックの大き目のシャツと細身のスキニーデニムを着こなしたかっこ良い格好をしている。他の子たちも思い思いのオシャレを楽しんでいて、目に眩しいほどカラフルだ。

 わぁ、森口さんは女子大生御用達の雑誌に載ってそうなお嬢ワンピース! 気合入ってるなあ。

 私なんて仕事帰りだから地味な白いシャツとグレーのパンツといういかにもなOLファッションだ。どうせ外すからという理由で、アクセサリーの一つも付けていない。

もうちょっとオシャレしてくればよかったかな……せめて色の付いたシャツにするとか、襟や袖にフリルの付いたものにするとか。今さら思いついてもしょうがないんだけど……。


「あ~! 榊さん、やっと来た~あ!」

「ごめんごめん、報告書作るのに時間がかかっちゃって」


 「もう、待ちくたびれてましたよ~」と怒る振りをするまりえちゃんに謝り、目でメニュー表を探すと、正面からスッと差し出された。「ありがとう」と顔を上げると向かいの席は坂木くんだった。


「仕事お疲れさまです。飲み物は何にしますか」

「あ……えと、ビールでお願いします」


 坂木くんは自分の分も入っているのだろう、通りがかった店員にビール2つお願いします、と注文した。あれ、未成年じゃなかったかなという考えが過ぎったけれど、自分の過去の飲酒歴を思い出し、「周囲にバレませんように」と祈りながら口をつぐむ。

運ばれてきたビールで再び乾杯が行われた。皆が一斉に乾杯したあとは個人個人でグラスを合わせていった。坂木くんに、「遅くなったけど松田屋へようこそ~」と言いつつジョッキをぶつけるとやっとビールにありつけた。乾いた喉に冷たいビールが沁みる。至福の時だ。


「も~、こんなに遅れるなら連絡の一つでもしてくださいよ~」

「私もしようと思ったんだけど、まりえちゃんの番号知らないし」

「あ、そっか~。履歴書は店長が管理してますしねぇ」

「そう。見せて下さいって言ったら歓迎会のことバレちゃうと思って……」

「それなら仕方ないですね~。あっ! じゃあ今日番号交換してください!」


 すかさず出されたスマホを見て、私は苦笑しながら鞄か自分のを取り出す。


「あっ、まりえずるい! 俺も番号交換してください、榊さんっ!」

「カズ、あんたバイト休む時、榊さんにメッセージ送って済ます気でしょ~?」

「ギクッ! ……バレた?」


 まりえちゃんに言い当てられた佐藤くんはバツが悪そうに笑う。この二人は同時期にうちでバイトを始めたせいかすごく仲が良くて、ムードメーカーになっている。お店全体の忘年会や新年会の飲み会があると必ず幹事をしてくれるお祭りコンビだ。


「そういえば坂木の番号も知らないな。教えろよ」

「ほんとだ! 私、榊さんのも坂木くんのも知らない!」

「……っていうか、同じ名字だとどっちがどっちだか分んなくなって面倒だな。よし、坂木のことはとおるって呼んで、榊さんは……」

綾乃あやのさんって呼ぶー!!」


 あれよあれよという間に、私と坂木くんは名前で呼ばれることが決定してしまった。その後、他のバイトの子たちとも番号交換をして、私のスマホのメモリーは一気に増えた。


「あれ、徹くん、スマホは~?」

「それが、家に忘れたみたいで……」

「そうなんだ~。じゃあ、紙に書いてあげる!」

 

まりえちゃんは鞄から手帳を取り出して一枚切り取ると、番号を書いて坂木くんに渡す。話の展開が早い。これが今の若い子の普通なのか。実にナチュラルに番号交換が行われている。


「まりえ、お前、明日でいいじゃん。いちいち番号を打ち込む徹の身になれよ」

「イ・ヤ! 今日がいいの! 徹君、綾乃さんのも書いてもらったら~?」


 坂木君はその言葉に頷いてから私に向き直り、「お願いします」とメモ紙を手渡してくる。

その時に一瞬だけ指先が触れ、私の体は電気が走ったように感じた。

ん……? 静電気かな?

 そうやって渡された紙を見て、私は一瞬戸惑った。電話番号を書くべきか。それともIDを書くべきなのだろうか。……どっちが正解? その一瞬の間を拒絶と取ったのか、坂木くんは紙をさりげなく取り下げようとする。


「やっぱりいいです。気にしないでください」


 待って、そんなにすぐ引かないで。

 そう思ってしまった自分に驚いた。私は彼に連絡先を教えたかったのだろうか? ……なぜ?


「あ、ううん。一瞬番号ド忘れしちゃって。あはは」

「え~! 綾乃さん、マジ? もう酔ってるんですか~?」

「うん、そうかも」


 笑いながらメモ用紙に名前と番号を書き込む。IDは書かなかった。



 一次会がお開きになると、私は二次会のカラオケには行かずに帰ることにした。「え~綾乃さん帰っちゃうの~仕事休みですよね~?」というまりえちゃんの不満げな声に再び「ごめんね、明日は友達が家に遊びに来ることになってるから」と申し訳なさそうに答える。

 実はそんな予定は無いんだけど、夜遅くまで若い子たちに付き合えるほど体力は余ってないし、邪魔するのも気が引ける。

 バイトの子達に「また明日」と挨拶をすると、森口さんにガッツリ腕を組まれた困り顔の坂木くんが目に入った。

 わぉ、森口さん積極的……。

 私はなぜかチクリとした胸に違和感を感じつつ、遠慮するまりえちゃんに多めに会費を手渡して帰路についた。それが年上の、社会人の役割というものだろう。



 家に帰りついて上着を脱ぐと、電話が着信を告げる。こんな時間に誰だろう、と思って液晶を見ると、知らない番号だった。

間違い電話? それとも、社員の誰かが番号を換えたのだろうか? 五コール鳴るのを待ってから恐る恐る電話に出る。


「……はい、もしもし」

「あ……さか……いや、綾乃、サンですか?」

「そうですけど……?」


 聞き覚えがある声だけど、まさか。ありえない予感に心臓が一度、ドクンと跳ねる。


「あの……徹です。坂木です。スマホ、やっぱり家にあって。綾乃サン、無事に帰りついたか心配で」

「ああ、うん。今帰りついたところ。心配してくれてありがとう。と、徹くんはカラオケ行かなかったの?」


 やばい。どさくさに紛れて徹くんと名前を呼んだけど、どもってしまった。変に聞こえなかっただろうか?どうやら思ったより動揺しているらしい。


「はい。明日は一限から授業があるんで」

「そう……学生さんは大変だね。頑張って」

「ありがとうございます。頑張ります」

「うん……」

「……」

「…………」


 会話が続かない。頭の中ははてなマークでいっぱいだ。なぜ、彼は電話してきたんだろう? 番号を知らせるためだけに電話してくれたのだろうか。あ、「帰りついたか心配で」って言ってたな。……それだけのために? 今年二十六にもなる女を心配するか、普通? さすが気配り男子…!!


「あの…」


 自分の思考に耽っていた私は徹くんの言葉に慌てて現実世界に戻る。


「あ、何?」

「綾乃サン、映画好きですよね。だから、もし良かったら面白い映画を教えてもらえないかと思いまして。この前のDVDみたいに」


 なるほど。それで番号を教えがてらに電話してきてくれたのか。なんだかほっとしたような、少し残念なような。え……残念?

 私は自分の中に浮かんできた感情に首を傾げながらも応える。


「分かった、リストアップしとくね」

「ありがとうございます。……あの……ID教えてもらってもいいですか」

「あ、うん。その方が口で説明するより分かりやすいかも。えっとね、ayano1030×××……」

「じゃあ、後でこちらからメッセージ送ります。では、おやすみなさい」

「うん、また店でね。おやすみなさい」


 通話を終えた時、自分がこの電話のせいですごく体力を消耗していることに気付いた。携帯は壊れるんじゃないかと思うくらい握りしめ、息遣いが向こうに聞こえないように浅い呼吸を無意識に繰り返していたようだ。

 つ……疲れた……。ああ、酸素が美味い……。


 のろのろと着替えを用意して、シャワーを浴びに浴室に入る。

 面白い映画の情報交換のためだけに私に電話を? 今度会った時で良くないか? それとも私と話したくて? いやいや、そんな馬鹿な。そこまで自意識過剰じゃない。きっと今頃他の子にも番号を教えるために電話しているのだろう。期待しちゃだめだ。


 ……期待? 何を?


 今日の私はどこかおかしい。手に触れてドキッとしたり、電話でうろたえたり。そして自分の感情に自分で疑問を抱くのを繰り返している。年下の、しかも未成年の男相手に何をしてるんだろう。

 はっ、これがもしかして噂の欲求不満、というやつ?! いやいや、そんな、まさか!

 メッセージ……そろそろ来てるかな……? って、違うでしょ、私の馬鹿!


 私はモヤモヤする気持ちを振り払うかのようにシャワーの蛇口を勢いよく捻った。

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