第3話 one step at a time

*4月18日(火) 曇り*


 翌日。時間通りに通勤してきた坂木さかきくんと一緒に実際に接客してみる。昨日の今日だから大丈夫かと不安だったけど、意外とスムーズにこなせているようだ。接客も丁寧だし、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」なんかの接客用語もちゃんと声を出して言えている。しばらく様子を見ていて、もう一人でも大丈夫かな……とレジを任せて売り場の見回りをしようとカウンターを離れかけると、年配の女性に話しかけられた。


「あの……お忙しいところごめんなさい。前に見たことのある映画をどうしてもまた見たくて来たんだけど、題名がどうしても思い出せないの」

「そうですか。ではその映画の内容や出演している俳優さんなどはお分かりでしょうか?」


 私がそう質問すると、女性は一生懸命に思い出そうとして視線を宙にさまよわせる。


「ええと、洋画なんだけど、有名な女優さんが出ていて、そうそう、金髪だったわ。それで、過去から男の人がタイムスリップして来て、恋に落ちるの。十年くらい前の映画だったかしら……」

「金髪の女優さん……もしかして、『アメリカンな恋人』ではないでしょうか? 貴族の恰好をした男性が過去から現代にやって来る話なんですが」

「ああ、そんな感じだった気がするわ。確認したいから、案内していただける?」

「いえ、今お持ちしますので、こちらでお待ちください」

 

 私は女性を店内に設置されている、休憩用の椅子に案内し、洋画の旧作コーナーへと急ぐ。

 こういうお客様は、意外と多い。「〇〇という映画の予告編で見た恋愛映画」「前に昼間再放送やってたドラマ」などという曖昧な情報のみで来店するので、結構やっかいなのだ。

 お目当てのDVDを持ってきて手渡すと、どうやら正解だったようで、女性は飛び上がらんばかりに目を輝かせて喜んだ。


「そうそう、これよこれ! 助かったわ~。少し前に思い出して、それからずっともう一度見たいと思っていたの。あなたってすごいのね、たったあれだけの情報で何の映画か分かっちゃうなんて」

「いえいえ、偶然知っていただけなんです。実はこれ、私も好きな映画だったので……」

「あなたも?! 良いわよね~、この映画!」

「はい。俳優さんも男前ですしね」

「そうなのよ~!」


 その俳優のかっこよさでひとしきり盛り上がった後、女性は「ありがとう」と何度もお礼を言って帰って行った。


「……すごいですね」

「え? 何が?」


 一連の流れを横でDVDの拭き上げをしながら見ていた坂木くんが、驚きと尊敬の入り混じった目で見てくる。


「お客さんの言った通り、たったあれだけの情報で映画を言い当てるなんて……」

「ああ、そのこと。たまたま好きな映画だったから。坂木くんも映画好きなら私レベルにはすぐなれると思うよ」

「頑張ります」

「うん、頑張って。この仕事は思ったよりも地味な作業が多くて大変だけど、その分喜びも多いんだよね。全然レンタルされてなかった商品が、手書きのコメントカードを貼った途端に借りてもらえたり。今みたいにありがとう、って言われたり。そんなことで嬉しくなるんだ。単純だけど」

「……なんか、いいですね。そういうの」

「そうかな?」


 思わず語ってしまって恥ずかしくなる。慌てて、「じゃあ、事務所に戻るから何かあったら呼んでね」と言い置いて足早に退散する。

私の後ろ姿を坂木くんがじっと見てることには全く気付かなかった。



*4月27日(木) 雨*


 今日は売り場の乱れを直していると、新人バイトの森口さんが立ち読みしているお客さんの傍を素通りするのを見てしまった。注意しなくちゃ。

 森口さんは女子大に通う大学二年生。いつもかわいらしい洋服を着ていて、髪も寝ぐせ一つないほど完璧にセットしているような女子力の高い女の子だ。でもその見た目とは裏腹に、性格は勝気で負けず嫌いっぽいところがあるから、あまり刺激しないようにしないといけない。


「あの……森口さん」

「はい?」

「あのね、レンタルコミックの棚返却に行ってくれるのはとても嬉しいんだけど、立ち読みしてた人がいたでしょ? ああいうのはやめてもらうように注意してもらえるかな?」

「え……でも、前に注意したらすごく嫌な顔されたんです。それに、今は他のお客さんもいないし」


 うーん、敵も手強い。いやいや、敵じゃないけど。


「……他のお客様がいる・いないに関わらず、出来たら十分以上立ち読みしているお客様にはやめてもらえるように促してほしいの。たくさん漫画を読まれてしまったら、店の利益が減ってしまうでしょ? お金を払って借りる他のお客様にも申し訳ないし。それに遠くからも立ち読みしてるのが見えるから、近くに行きにくいなと思ってるお客様もきっといると思うの。それと、注意するときは『お客様、申し訳ございませんが立ち読みはご遠慮いただけますか』って丁寧にお願いするといいよ」


 森口さんは注意されて明らかに不満顔だ。誰だって人に疎まれるのは嫌だし、いちいち言うのも面倒だから、注意なんてしたくないだろう。お客様によっては睨まれたり舌うちされることもある。一度その場から離れて、また再び戻ってきて居座る人もいる。だけど、それも仕事のうち。快適な売り場の雰囲気を作るのも私たちの役割だ。

 そしてスタッフの教育係は私。ああ、私の言い方が悪かったのかな。怒られていると取られてしまったかもしれない。やっぱり人に注意するのは苦手だ。


「確かに、立ち読みしてる人がいるとその棚には行きづらいですよね」


 その時、後ろからひょいと坂木くんが顔を覗かせてきた。お会計待ちのお客様の波が途切れたので、棚返却を手伝いに来てくれたようだ。


「そこが見たい場所だったりすると、もう最悪で」

「あー、確かに! そういう人に限ってどいてくれないよね」


 森口さんは振り返って坂木くんと話し始めた。さっきまでの不満顔が嘘みたいな笑顔だ。良かった、ご機嫌なおったみたい。ホッとして小さく息を吐くと、坂木くんが目配せしてきた。

 そっか、私たちが揉めているのを見て助け船を出してくれたんだ。私は、ありがとう、と目で返す。

 助かった……けど、年下にフォローされる私って、かなり情けない。

 それにしても、二人とも初めて会ってから一週間と少ししか経っていないのに、仲が良さそうだな。若い時ってすぐ仲良くなれて、いいなあ。


「すみません、榊さん。これからは注意するように頑張ります」

「ううん。私も言い方がきつかったらごめんね。じゃ、よろしくね」


 ひとまず解決したので、自分の作業に戻るために事務所に向かう。五月から変更になるコーナー用のポップを作っている途中だったのだ。事務所でポップに使えそうな画材を広げつつ、私はどっと疲れを感じてため息をついた。


 ああ、人に上手に注意するって本当に難しい。これは今後の課題だな……。

早く帰ってお風呂に浸かりながらゆっくりしたい。


 ……これを人は現実逃避と呼ぶのだろうか。


 今日の空と同じように、私の心には暗雲が立ち込めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る