第2話 初印象は、女の敵。
今日は早番だ。朝から出勤し、スタッフと朝礼を済ませた後、本部の指示や業務連絡ノートに目を通す。
よし、昨夜は特に何も問題は無かったみたい。比較的お客様の少ない午前中の間に、売り場のメンテナンスをやっておかなければ、と私はスタッフと共に売り場に立った。
そして夕方、店長に新しいバイト生を紹介された。
「
「え……サカキくん?」
「同じ名字……?」
私とそのバイトくんは、互いに困惑した表情を浮かべた。
「ああ、そうなんだ。混乱しちゃうよね。榊さんの方は漢字一文字の『榊』さんなんだけど、こっちの坂木くんは上る『坂』に植物の『木』で『坂木』くんなんだ」
「な、なるほど」
あまりの驚きに、思わず店長の口癖を真似してしまった。佐藤とか田中ならよくある名前だから分かるけど、サカキという名字で他人とカブるのは珍しい。
「ごめんねー。紛らわしいとは思ったんだけど、坂木くん映画とか詳しいみたいで。面接に来た子の中で一番良かったんだよね」
店長は、「まあよろしく頼むよ」と一つ頷いてから競合店調査に行ってしまった。競合店調査というのは、近所にあるライバル関係のお店に出向き、品揃えや客層、店員の接客などを調べて自店の経営戦略に役立てる大事な仕事だ。それでなくても会議や研修などで店に居ないことが多いので、自然と新人の教育は社員の仕事になる。
ベテランのスタッフに頼むこともあるが、今日は比較的社歴の浅い人たちばかりだった。
「ええと、坂……木くん。教育係の榊です。よろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
自分の名字と同じ音の名前を呼ぶのは妙な気分だ。
若いのに意外と礼儀正しいんだなあ。私の彼に対する初印象はそれだった。
大学一年ということは先月入学したばかりで、誕生日が来ていなければ、まだ十八歳だろう。浪人してたとしても、十九歳くらい?……若い。あえて私との年齢差は数えないけど!
十八歳の頃、私は何をしていたっけ……と遠い昔に思いを馳せかけて、いやいや今は仕事中! と我に返る。
坂木くんを失礼にならないように観察すると、百八十センチくらいありそうな細身の体の上には、やや中性的で整った顔が乗っている。若干色素が薄い髪と目、目は奥二重で意志の強そうな眉。女の子にモテそうな外見だ。
いいなあ。私は髪も目も真っ黒な純日本人だから、子供のころには色素の薄い子に憧れてたんだよなあ。背も百六十センチは欲しかったんだけど、結局中学の頃からほとんど伸びなかったし。やだ、この子、肌もきれい。ニキビやシミ一つない。女の敵だな。うぅ、そんな真っ直ぐな目でクマやシミだらけの私の顔を見ないでほしい……。
あ、やばい、また脱線してる。ぼうっと眺めていたせいで、坂木くんは怪訝そうな顔をしていた。私は慌てて会話を始める。
「さ、坂木くんは接客経験はあるの? 大学一年生ならバイトも初めてかな」
「いえ。短期ですが大学に入るまで居酒屋で働いたことがあります」
「あ、ほんと? じゃあレジ打ったことある?」
「はい。といっても簡単なレジだったので……」
「大丈夫大丈夫。うちの店のレジも簡単な方だから」
とりあえず、と言って新品の制服を備品倉庫から取り出す。制服は上のシャツのみで下は自前。派手な色ものや破れたジーンズはNGだ。坂木くんは細見だからMサイズでもいけそうな気がするけど、動きやすさを考えてLサイズを渡す。男子更衣室で着替えてもらい、出てきた彼を見て、私は満足げに頷いた。うん、やっぱりLサイズで正解。
そして、着替えた坂木くんを、店内を簡単に説明しながら案内する。お店で働く際に一番重要なのが商品の配置を覚えることだ。特にCDやDVDはその内容に沿って細かく分類化されているので、それを覚えないことにはお客様が探されている商品を見つけることが出来ない。だから商品の配置を覚えることは実はレジを覚えることよりも重要だったりする。
坂木くんはレンタル担当になるということなので、レンタルのフロアは特に念入りに教える。洋画はこっち、邦画はあっち、今人気の韓流は入口を入ってすぐ……。
洋画と一口で言っても、新作コーナーがあり、旧作コーナーはアクション、SF、ミステリー&サスペンス、ラブストーリー、TVドラマなど細かく分かれているので覚えるのに一苦労だ。すると、洋画ドラマコーナーを通った時に、坂木くんが、「あ、これ…」と小声で嬉しそうに呟いた。
「ん? どうかした?」
「ああ、すみません。好きな映画のDVDがあったんで、嬉しくて、つい」
そういえば映画に詳しいって店長が言ってたなあと思って、坂木くんが手に取ったDVDをどれどれ、と覗き見る。
「あ……! 『コバルトブルーの空に』! 私もコレ、好きなんだよね!」
「本当ですか?これ、いいですよね。冤罪で捕まった主人公がやっと脱獄に成功するシーンで俺、思わず泣いちゃいました」
「そうそう! 結局脱獄するまでに何年もかかっっちゃって、やっと外に出て空を見上げるんだよね! 私も号泣したよ~!」
あまりの嬉しさに仕事中だということを一瞬忘れて熱く語り合ってしまった。お客様が近くを通りかかるのに気付いて慌てて二人とも口を閉じる。チラリと目をやると坂木くんと目が合い、テヘッという共犯者めいた笑いを交わす。
ごめんなさい、つい嬉しくって。いえ、俺も。
意外な共通点もあって、打ち解けた私たちは次にレジの練習をした。居酒屋でバイトをしていただけあって、坂木くんは操作方法を覚えるのが早かった。最近の子らしく、彼も機械に強いようだ。
「そうそう、こう……カードは両手でお返しして、おつりはお客様から見やすいようにして一緒に確認するの」
「こうですか?」
「うん、上手! そして、お客様にいただいた現金は、清算が終わるまでレジに入れないように注意してね。千円札で支払われたのに、お客様が勘違いして一万円札を出したのにおつりを貰ってないって後から言われることもあるから」
「そんなこともあるんですね。分かりました」
坂木くんは重要なポイントをメモ帳に記入しながら、分からないところは自発的に質問をしてきた。メモも取らずに何度も同じことを聞いてくる人もいるから、メモ帳を持参しているだけで好感度が高くなる。
その後、事務所で就業規則など簡単な教育をしてその日は終了となった。
「じゃあ、明日から普通にレジしてもらうから、よろしくね」
「はい。十七時からということは、その十五分前くらいに来れば大丈夫ですか」
「そうね、そのくらいで大丈夫だけど、ギリギリだと更衣室が混むかも。それと、授業で遅れそうな時は必ず早めに連絡してね」
「はい、分かりました」
帰る準備を整えた坂木くんは、何故か出入口ではなくDVDレンタルのコーナーの方へと歩き出す。
「あれ、帰らないの? 出口あっちだけど」
「あ、いえ。榊さんと話してたら『コバルトブルーの空に』をもう一回見たくなってしまって。今から借りて帰ろうかと」
「ああ、私も借りて帰ろうと思ってたのに!」とは口に出さない。だって大人だから!
でもどうやら表情に出てしまったらしい。
「榊さんも見たかったですか? 俺、今夜見る予定なんで、明日でよければ持ってきますけど。明日も出勤ですよね」
「え、ほんと?うん、遅番……いや、いいよいいよ。私のことは気にせずにゆっくり見て」
年下に気を遣わせてしまった……反省。坂木くんは「そうですか? では、お先に失礼します」と軽く会釈して去っていった。ほんと、今時珍しいくらい礼儀正しい子だ。
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