第三夜

「うわァァァぁぁぁ!!」

 カボチャ頭に刺さった白い羽が、どんどん数を増し、パサパサ、音を立てて回りながら、ジャックを覆い尽くす。

「ジャック!!」

 何が起こっているのか解らないけど、とにかく羽を除けよう! ジャックに突き飛ばされて、尻餅を付いた道路から立ち上がり、私は彼に駆け寄った。

「ダメです!!」

 腕がぐんと後ろに引っ張られる。振り返ると天使さんが、私の腕を掴んでいた。

「あの羽は幽霊を消す力があります。近づいたら貴女まで消えてしまいます」

 彼は切羽詰まったままの声で、顔を強ばらせ、私にぐいと詰め寄った。

「アレは数百年前に悪魔を騙して、死んでも地獄に落ちないように契約したものの、行いの悪さから天国に行くことも出来ず、そのまま現世をさまよっている、言わば悪霊です。貴女は悪霊に騙されていたんですよ」

 そう言いながら、ちらりと羽にすっかり白く覆われ、どんどん悲鳴が小さくなっていくジャックを見る。

「これで悪霊から貴女は解放されました。さあ、天使になりましょう……」

「うるさい!!」

 パァン!! みなまで言わせず、私は開いている右手で、彼の頬をひっぱたいた。

「はあ!?」

 腕を離し、呆然と頬を押さえる彼に怒鳴る。

「悪霊が二回も人を助けるわけないでしょ!!」

 しかも、自分を犠牲にして。

『危なイ!』

 ジャックはあのとき、確かに私を咄嗟に突き飛ばした。私の頭に、二時間前、迫る車から女の子を助けたときのことが浮かぶ。

『危ない!!』

 無意識に身体が動いていた。あんなこと損得を計算して、なんて出来ない!

「ウわぁぁぁァァァ……」

 もう声が微かになっている。

「ジャック!!」

 駆け寄り白い羽の中に手を突っ込む。ピシピシ、小さな羽が手の甲に当たる。

「痛っ!!」

 柔らかそうな羽なのに、当たるとひどく痛い。手を引っ込めて、見ると指の辺りが少し薄くなっている気がした。血の気が一斉に引く。

「ジャック!!」

 このままじゃ、彼の言うとおりジャックが消えてしまう! なんとか羽を払おうと、止める天使さんに構わず、両手を突っ込む。すると、突然、羽の中からケタケタケタ……と笑い声が流れた。

「なァ~ンてネェ~」

 パアン! また手を叩く音がする。ザワザワザワ、再び、あの羽虫のような悪霊を追い払ったカボチャの蔓が地面から湧き出す。蔓は四方からジャックを覆う羽を取り囲み、緑の大きな葉っぱをワシワシ揺らして、羽を次々と払い、地面に落としていった。

「コンナの平気だヨォ~」

 全部の羽を払い落とし、ザッザッと御丁寧にアスファルトの上に落ちた羽を、道路の隅の一カ所に纏める、カボチャの蔓の向こうから、ニタニタ笑いながら彼が現れた。

「……そんな……幽霊に天使の羽が払われるなんて……」

 唖然とする天使さんに、彼の口が更にニマァと曲線を描く。

「コのカボチャの蔓ハ、ボクの友達ノカボチャの精霊ネェ。だカラ天使の羽は効かナインだナァ」

 ジャックは天使さんを指した。

「Trick or Treat!!」

 ワサァ!! カボチャの蔓が一斉に天使さんに襲い掛かり、彼を雁字搦めに縛り上げる。

「うわぁぁ……!!」

 足から胴体、口までぐるぐるに縛られると、天使さんは、もごもご言いながら、ゴロンと地面に芋虫のように転がった。

「モウ、大丈夫だヨォ」

 ににっとジャックが、私を見上げて笑う。多分、拍子抜けした顔で、ポカンと見ていたのだろう。私は、力が抜けたように彼の前に膝をつき、彼を抱き締めた。

「……良かった……生きてる……」

「ボク、トッくに、死んでルケドォ?」

 腕の中で戸惑ったような声が聞こえる。でも、ジャックはちゃんとここにいて、小さな身体はほんのり暖かい。

 ぎゅっと力を入れると、彼はカクンとカボチャ頭を傾げた。

「心配シタ?」

「うん。ジャックが消えちゃうかと思って、すっごく怖かった」

 安心したせいか、ジャックがちゃんと暖かいせいか、涙が出てくる。

「……ごめンネェ……」

 彼のカボチャ頭の下の小さな肩に頭を付ける。ジャックは、両手を伸ばし、何度も謝りながら、ポンポンと私の背を優しく叩いてくれた。



「じゃあ、ジャックは、その冥界の蛇の神様、ウロボロス様に言われて、『生き返りの輪』に戻る為に、死神さんのお手伝いをしているんだ」

「ウン、沢山、沢山、成仏させタラ、身体が軽クなッテ『生き返りの輪』に戻レルねェ」

 そして、生き返る人達に重すぎる自分の業を、少しずつ持っていって貰う。それが天国にも地獄にも行けなくなった、ジャックが救われる唯一の方法らしい。

 カバンから出したお煎餅を、パリパリと食べながら、彼は良いことを聞いた小さな男の子のように、無邪気な笑い声を上げた。

 でも……それってどのくらい掛かるんだろう……?

「早く戻れると良いね……」

 思わず願いを込める。

「……で、これどうしょう?」

「ドウ、しようカァ?」

 道端に転がされ、口までカボチャの蔓に覆われて、うんうん言いながら、モゾモゾ動いている天使さんを、私達は見下ろした。

 さっきの一連の出来事は端から見て、パフォーマンスに思われてしまったらしい。周囲に人だかりまで出来てしまい、私達は慌てて、その場を離れ、人気の無い路地に天使さんを運んだのだ。

 小さな雪の結晶を描いた青いネイルアートを施した手を目の前にかざす。目立ってしまったので、私はジャックに仮装を変えて貰った。さっきの希望どおり、可愛い白のお姫様のような膝下までのフレアスカートのドレス。雪の女王をイメージしたのか、雪の結晶を飾ったティアラに、ネイルアート。ネイルアートなんて学校では勿論禁止で、今までしたことがなかったから、すごく嬉しい。

「旦那ニ渡すノガ、一番かナァ?」

 ジャックがカクンとカボチャ頭を傾げると、天使さんがすごい勢いで、首を左右に振ってうんうん呻く。何を言っているか解らないので、口の蔓だけ外してあげる。

「ごめんなさい! 勘弁して下さい! あの死神、冥界でも一、二を争う腕利きで、化け物みたいに強くて、厳しいって天国でも有名なんですぅ!!」

 ぼろぼろと泣きながら、必死に頼んでくる。

「そうなの?」

「ウン。旦那、死んだ人ニハ優シイけど、ソレ以外にはスゴク怖いネェ。ボクも初メテ会ったトキは、あの鎌デ追い掛ケられたヨォ~」

 ケタケタ、ケタケタ、腹を抱えて大笑いする。

「お願いします! 私もなりたくて天使になったんじゃないです!! 私も死んだ途端、今は上司の天使に言いくるめられて……!!」

 ノルマがどうとか言ってたし、この人はこの人で、いろいろ事情がありそうだ。

『迷ったら、判断する前に、相手の話をよく聞け』

 お父さんの言葉が頭をよぎる。

「取り敢えず、お話、聞かせてくれる?」

 腕と羽根を縛る以外の蔓を外して貰う。彼は地面に座り込んで、ぼそぼそと話し出した。



 天使さんは、人間のときはイワンさんという名前だった。孤児で、赤ん坊のときに、教会の前に捨てられていて、そのまま、教会で育ち、修道士として、ずっと働いていたのだという。そんなイワンさんは、ある寒い冬、風邪を拗らせてしまい亡くなってしまった。そのとき、冥界からのお迎えを待っている彼に、一人の天使が現れて言ったのだ。

『イワン、貴男は教会で今まで信心深く、真面目に働いてきました。その功労を称えて、貴男を天使にしてあげましょう……』



「ア~、昔よく流行った『天使にしてあげるあげる詐欺』ニ引っ掛かッタんだァ」

「……はい」

「何、それ?」

 おせんべいを食べ終え、もの欲しそうにカバンを見ているジャックに、今度はポテトチップスの小袋を渡す。彼は嬉しそうに袋を開けて、ポテチを口に放り込んだ。

「む~カシ、昔はネェ~。今ナラ何でモ無いことデ、死ヌことが多くテ、それはヨク、悪魔のセイになってイタンだネェ~。だから、信心深イ、人も多クテ、そんな人ガ死ぬと天使ニしてアゲルって、天国に勝手に連レテ行くコトガ沢山アッテ、困ったッテ、旦那が言っテいたヨォ」

 パリパリと小気味良い音を立てて食べながら話す。

 そういえば、昔、新大陸発見のとき、ヨーロッパ人が運んだ病原菌で、免疫の無い原住民の人が沢山亡くなって、それを悪魔の仕業にして、キリスト教を広めたって、世界史の授業の先生の雑談で聞いたことがある。

 それの天使バージョン?

 はぁ~、イワンさんが深い溜息を吐く。

「天国では『終末のラッパ』が鳴る日までに、少しでも神を信じる者と天使を集めるのが使命ですから……」

 いつ鳴るか解らないラッパの音に、延々とノルマを果たし続ける。そんな日々に口ベタで勧誘下手のイワンさんは、段々落ちこぼれていき、自分を天使にした天使からも『お前を天使にしたのは間違いだった。お前は『無欲』ではなく『無能』だったんだな』と呆れられるようになってしまった。

「天国で死んだ方のお世話をするのは好きだったんです。でも、もう一つの大事な仕事が全く上手くいかなくて……。それで上司から、自分達が死神の相手をしているうちに、落ちこぼれのお前が鞠亜さんを天使にして連れて来い、これが最後のチャンスだと言われて、つい……。さっきは本当にすみませんでした」

 イワンさんは、丁寧に私とジャックに謝った。

 ……相当追い込まれていたんだなぁ……。

 私は彼の蔓を全部外して貰うと、出店でココア二つとコーヒーを買ってきた。

「はい」

 ココアは一つはジャックに、一つはイワンさんにあげる。

「ありがとうございます」

 彼はふうふうと吹いて、一口啜って微笑んだ。

「甘くて美味しいです……」

 しみじみと呟く彼の横顔は穏やかで、すごく優しい。きっとお世話をしている天使の彼は、本当は良い人に違いない。

「ソレって、天国でナキャ、ダメ?」

 ジャックがカクンと、カボチャ頭を傾ける。

「どういうことですか?」

「冥界デモ、亡くなッタ人のオ世話は出来ルヨォ」

 ジャックの話だと、特に彼が仲良くしているウロボロス様の館に来る死者は、辛い過去や悲しい過去を経験した人達ばかりで、ウロボロス様に、それを全部飲んで貰うまで、館で生前の記憶を消し貰って暮らしているのだという。

「亡き人同士デ、お世話シ合ってイルだヨォ」

 ジャックは反対側に、カボチャ頭をカクンと傾げた。

「天使、向いテナイならヤメちゃって、亡き人ニ戻ったラァ~」

 そうすれば、イワンさんは、また『生き返りの輪』に戻れるという。

「で……でも、私、天使になるときに契約を……!」

「天使にナル、デメリットの説明、受ケテないんデショ。だっタラ、契約時の悪意の説明不足ってヤツでヤメラレルよォ~」

 ……クーリングオフってやつ?

 ジャックの話にイワンさんが目をパチパチさせた。

「辞められるんですか……?」

「うン」

「……本当に……?」

「ウん」

「……でも……」

 イワンさんがココアの入ったカップの、揺れる液面に目を落とす。

 私はポテチを食べ終わったジャックに目配せした。ジャックが口の周りに付いたカスを拭って、ニッと笑う。

「旦那ニハ、ボクから話しシテあげるヨォ」

 ジャックが、彼の空いている左手を掴む。

「だからさ~」

 私も、その手首を掴んだ。二人で彼を引っ張り起こす。

「え……?」

 呆然としているイワンさんに、私達はニヤリと一緒に笑った。

「だから、一緒に冥界に行こう!」

「……はい!」

 イワンさんの目が潤む。次に彼が微笑んだとき、涙がつうと頬を伝って落ちた。



 更けた街は親子連れが去り、大人達の喧噪へと変わっていく。仕事帰りのコスプレイヤーが次々やってきて、イワンさんの翼を見て、作り方を聞いていく。

「すみません。企業秘密です」

 イワンさんが照れつつも断ると、彼等は彼を褒めて、去っていった。

「旦那、遅いナァ」

 私が買ったクレープを頬張りながらジャックが、街の明かりに押されて、ほとんど星の見えない夜空を見上げる。

「いつにない、良質の、しかも若い女の子というプレミア付きの魂ですからね。天国でも地獄でも、これを逃すまいと沢山集まってきているのでしょう」

 少し心細くなったのか、心配そうなジャックをイワンさんがなだめた。

「何、それ?」

 プレミアって何よ~。むっと顔をしかめて文句を言うと

「ダネェ~」

「ですね~」

 二人は、顔を合わせて楽しそうに笑う。

「まあ、良いけど……」

 なんとなく顔が赤くなるのを押さえて、私はカバンを開けた。ほとんどジャックに食い付くされたお菓子は、まだ少しだけ残っている。お財布のお金もまだ残っている。

「じゃあ、もう少し、遊んでいっても良い?」

「ウん」

「はい」

 三人で、まだまだ賑やかな雑踏を歩き出す。そのとき、ふっと始めに私が悪霊に襲われたときと同じ、身を切るような冷たい風が足下に吹いた。

 ……ミツケタ……。

 地面を這うような気配に、低い唸るような声が続く。

 ……えっ……!?

 でも、先に行くジャックとイワンさんは、なんでもない顔をして、仲良くおしゃべりしている。

 ……空耳……?

「早く行コうヨォ」

 私は、この場から逃げるように、足早に二人を追い掛けた。

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