第四夜
「このクッキー、イワンさんにあげようか?」
「ア、それボクに頂戴ヨォ~」
三人で通りのラーメン屋で、遅い晩ご飯を食べて、私達はまた歩行者天国の中に戻った。そろそろお酒の入った酔っぱらいも多くなったのか、周囲に構わず、大声を出して、ゲハゲハと笑っている仮装グループもいる。そんな人達に絡まれないように、私達は通りの隅の暗がりに身を寄せて、死神さんを待つことにした。
カバンから友達にあげる予定だった、手作りのカボチャのクッキーを出す。ジャックに初めて会ったとき、彼が二番目に食べたヤツの、もう一つの包みだ。
「ウロボロス様はイツモ甘いケド、辛クレ、苦いボンボンばかり食ベテいるネェ。ダカラ、甘い、甘イ、お菓子ヲあげるト喜ぶヨォ」
そのボンボンの中に、死者の悲しみや苦しみが詰まっていて、ウロボロス様はそれを飲んで浄化しているらしい。イワンさんがジャックの説明を補足して、教えてくれる。
ジャックが楽しそうに、蛇の神様と分け合って、クッキーを食べている様子が浮かんでくる。
「じゃあ、ジャックにあげるね」
「ワァ~い!!」
ジャックは、カボチャのクッキーを大切そうに、上着のポケットにしまった。
「そろそろ、戦いの方もカタがついてきたようですね」
私にはよく見えないが、死神さんと対峙している天使や悪魔の数が、もうわずかになっているらしい。イワンさんが上空を見て呟いたとき……。
ボオン!!
大きな耳を突く音がして、オレンジと黄色の火の玉が、ビルに区切られた夜空に広がった。
「えっ!?」
どうやら、この音は普通の人には何も見えないし、聞こえないらしい。通りの多くの人々は、なんでも無い顔で道を歩いていく。しかし、中には『視える』人なのか、驚いた顔で上を見上げて、空を指差している人がいた。
「なっ……何!?」
「解りません! でも、戦いで何かあったのではないでしょうか!」
イワンさんが慌てた顔で、ジャックに尋ねる。
「ジャック、貴男は冥界への道を開けますか?」
「ウン、旦那に前に教えテ貰ったヨォ」
ジャックも、不安そうに空を見つめている。
「旦那ァ……」
「大丈夫ですよ。天国にも地獄にも、その名の轟く腕利きなのですから。でも、ちょっと危険そうなので、鞠亜さんを先に冥界に連れて逝ってしまいましょう」
「うん、解っタネェ! デモ、ここデハ、開けナイヨ」
ジャックが周囲を見回す。周囲はまだまだ人も多く賑やかだ。24時間営業の店も並んでいる。冥界は死と静寂と闇の世界。明るくて生気に溢れた場所では道が開けないと、ジャックが困った顔でカクンと首を傾げた。
「じゃあ、こっちに行こう」
私が近くの路地を差す。この路地を抜けると商社なんかが多い、ビル街に出るはずだ。多分残業している人がいて、真っ暗ではないけど、ここよりは静かで暗いはず。
「コッチね!」
ジャックが私の手を引いて走り出す。
「うん!」
店と店の合間の、ゴミ箱や段ボール箱の置かれた狭い路地を抜ける。イワンさんが私の背中を守るように、後ろから着いてくる。
次の通りに出、更に信号を渡って、もう一つ向こうの通りに向かう。
……でも……。
何故か、何かが私達に着いてきているような……そんな悪寒が、私の背中に張り付いてた。
冷たい秋の夜風がビルの間を音を立てて、吹き過ぎていく。ポツン、ポツンと立つ街灯の灯りの下には、何かがうずくまったようにも見える、低いこんもりとした植え込み。誰もいない交差点で、青の歩行者用の信号機がチカチカと瞬いた後、赤に変わった。
静かなオフィス街のビル群は、まだ明かりが着いている窓があるが、しんと静まり返っている。明かりもビルの上の階ばかりで、冥界への入り口を開けるのには支障が無いようだ。私達は街灯の光の届かない、ビルとビルの間の暗がりに立った。
ジャックが白い手袋に包まれた両手を前に突き出して、何か呪文のようなものを唱えている。その後ろではイワンさんが、首を左右に振って、辺りを伺っていた。
「開いたヨォ~」
振り返って、ニッと笑う。
私は彼の前を見た。暗い路地いっぱいに、周囲の暗がりよりも更に暗い、洞窟の入り口のようなモノが、ぽっかりと開いている。
「これが……冥界の入り口?」
「そうダヨォ」
真っ暗……これが真の闇というやつなのだろうか。余りの暗さに躊躇う。二、三歩、後ずさった私の手をジャックが握った。
「大丈夫。冥王様モ、ウロボロス様も優しいヨォ」
ジャックの手は、やはりほんのり暖かい。この手の彼が、いつもはいる場所で、彼の好きな人がいる場所なのだと思い直す。
「うん……そうだね」
大きく息を吸って吐いて、一歩踏み出す。
「イワンさん」
「はい」
イワンさんとも手を繋ぐ。二人の温もりが伝わってくる。
「三人一緒なら大丈夫だよね」
「ウン」
「はい」
小さく笑い合って、歩き出す。が……。
ヒユュュュュ……。突然、地面の上を滑るように、さっきの身を切るような冷たい風が足下を吹き抜けた。
「これッテ!?」
「鞠亜さん!!」
イワンさんが覆い被さるように私を抱き締めてくれる。ジャックも私の足に後ろからぎゅっと抱き付いた。
冷たい風は近くのビルの植え込みの、葉っぱの落ちた木の枝を揺らして、ビュー、ビュー吹きすさぶ。道路や歩道の落ち葉やゴミやチリを巻き込んで、四方八方から私達に向けて吹いてくる。まるで、台風の強風域に入ったような強い風に、守って貰っていても、隙間から砂粒が頬に当たる。息をするのも辛い。
何、これ……!!
その風が突然止んだ。しんと、今までの空を切る音と、ゴミや落ち葉の舞う音が嘘のように静寂が舞い降りる。
「……強い魔の気配が……」
「ウン」
二人が私から離れると、背に庇うように、ジャックの開けた冥界の入り口の方を向いた。
ゾクゾクと、あの『……ミツケタ……』という、奇妙な声を聞いたときに感じた、悪寒が背中を這い上がる。
そこには、さっきまでのぽっかり開いた入り口は無かった。代わりに、背の高い誰かの影のようなものが佇んでいる。黒いマントをぐるぐると全身に巻いたソレは、人のモノでは無い、大きな黒い顎を持つ、昆虫のような頭をしていた。
『冥界への入り口は閉じた』
大顎がカシャカシャと動き、しゃがれた声が夜闇に流れる。紫に光る大きな複眼が私をじっと見た
『……なるほど……極上とまではいかないが、実に人間らしい良質な魂だ……』
この声は、あの声に間違い無い。もしかしたら、随分前から、既につけられていたのかも……。身を堅くすると、男の大顎がまた動いた。
『……このくらいが嬲るには丁度良い……』
悪魔というのは、信心深い善良の魂を力の糧とする一方で、そこまではいかないが良質な魂を、自分達の退屈まぎれのおもちゃにすると、イワンさんが小声で教えてくれる。
ゾゾワッ!! 悪寒が背筋を走る。イワンさんは、私を彼の複眼の視線から遮るように、前に立ってくれた。
「鞠亜さんを悪魔のおもちゃにはしません!」
「ソウなのネ!」
ジャックが彼の隣に立ち、手を挙げる。ザワザワと彼の友達のカボチャの精霊の蔓が、アスファルトの上を大量に這い始める。
「ふ……」
それを見て悪魔がピッっと触角を振った「あの死神すら倒したオレを、たかが幽霊と下っ端天使で、どうにか出来ると思っているのか?」
ちょんちょん……。ジャックのカボチャの蔓が、イワンさんの羽根の間の背中をつついている。
「解りました……」
イワンさんが頷いた。
「思ってイるヨォ!!」
ばっとジャックが両手を挙げる。大きくうねってカボチャの蔓が大量に重なり、太く蛇のようにのたうって、一気に悪魔に向かって突進する。
それを見て、悪魔はシャカシャカと顎を動かす。馬鹿にして笑っているのか。が、更にジャックは叫んだ。
「ウロボロス様カラ、危ないトキに使いナサイと、貰っタンだヨォ!!」
ジャックの頭の上に掲げた手に、無数の鱗が現れる。それは黒々と街灯の明かりを反射して、カボチャの蔓を覆った。
「何っ!?」
カボチャの蔓の集まりが、巨大な黒蛇へと変わる「私も!!」イワンさんが両手を前に広げた。
バサァ!! イワンさんの背中の翼の羽が大量に抜けて、手の間に集まる。どんどん、彼の翼が小さくなっていく。
「イワンさんっ!!」
「どうせ、辞めるんですから、有効に使わせて下さい」
なくなっていく羽に思わず声を上げると、彼は振り返って笑った。
「行きなさい!!」
両手に集まった白い羽を黒蛇に向かって、投げるように放り上げる。白い羽はイワンさんの意志を汲むように、バサバサと黒蛇の元に飛ぶと、蛇の背にくっついて純白の翼を象った。
「モウ、一ツ!!」
ジャックが更に声を上げると、黒蛇の頭に黄色いカボチャの花がポンと咲く。
「これは……ウロボロス……!?」
悪魔が驚く。王冠を被り、背中に羽根を生やした黒い蛇。それが冥界の蛇神、ウロボロス様。
「そっくりに形作ることによって、より、本人に近い力を宿すことが出来ます」
荒い息を吐きながらイワンさんが言う。大きな黒蛇が目を開けると、そこにはつぶらな優しそうな瞳があった。
「所詮、ハリボテがぁ!!」
悪魔が顎を鳴らして、青い炎を打ち出す。それを黒蛇……ウロボロス様(仮)は、あっさりと尻尾で空に弾き飛ばした。
「何っ!!」
更に驚く悪魔に、ウロボロス様(仮)が、ぐっと頭を近づける。二つに割れた舌を伸ばすと、それを彼に巻き付けて、そのままゴクンと飲み込んだ。
「の……飲んじゃった……」
「飲んジャッタねェ」
「それが、ウロボロス様のお仕事ですから」
ジャックとイワンさんが、私の手を左右から取る。
「今のうちに逃げましょう」
「えっ!? でも……」
「アノ旦那をドウコウ出来る悪魔に、ボク達ガ、敵うワケ無いネェ」
「少しでも時間が稼げれば御の字です。さあ、ここを離れて、別の所で新しく冥界の入り口を開け直しましょう!」
よく見ると、ウロボロス様(仮)の、お腹の当たりがボコボコと動いている。多分悪魔が暴れているのだ。
「高笑イしなガラ、術ヲ破って出てキタ悪魔に『ソ……そんな……馬鹿ナ……』って、ヤリタイなら良いケドォ……」
カクンとジャックが頭を傾げる。
「そんなことしたくないっ!!」
私達は急いで、その場から離れて、夜のビル街を駆け出した。
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