102.Sな彼女とNな彼

「着替えてきますね」




「そうやな」




名残惜しく離す手を



ずっと握っていられたら



もっと素直になれるのに。






更衣室を出ると


イベントから戻ってきた人たちと


すれ違った。




パーティー会場の片付けは終わっていて


わずかに残骸が散らかっているだけ。




フロアの片隅で


私の王子様は囲まれて


皆の王子様に戻っていた。




同じナース服の谷本さんは


モデルみたいなスタイルで


女から見ても本当にセクシーだと思う。




彼と腕を絡ませて写真を撮る姿を


ぼんやりと眺めていると


隣に三鷹さんが立っていた。




「間宮さんの歌、悪くなかったよ」



「ありがとうございます」



「一曲目から王子が歌った方が良かったけど」



「私もそう思います」




西川さんがいると知っていたら


そもそも私はステージに上がっていない。



三鷹さんも二人の様子を見ている。




「谷本さんと王子って何かあるとか聞いてない?」



「いえ、何も」



「そう。間宮さんは二人で食事に行ったりはしてないの?」



「……ないです」





嘘をついた。





嘘を本当にするために



自分の気持ちに嘘を重ねる。




デスクに戻って帰る準備をした。




すっかり冷めたコーヒーの下に



『先に帰ります』とメモを挟む。




八時を告げる鐘の音が聞こえる。





帰ろう。






「実結さん!」




エレベーターを待っていると


着替え終わった朔くんが追い掛けてきた。




「あ、ごめんね。後片付け任せちゃったね」



「全然。本当に急なお願いをありがとうございましたっ」



「いいえ。西川さんがいたなら私いらなかったね(笑)」



「そんなことないっすよ。あの歌は実結さんの方が良かったと思います」



「あはは。ありがとう」




朔くんが先に乗り込んだ後に続く。




「実結さんは帰るんですか?」



「帰るよ」




魔法が解けたお姫様は


召し使いに戻るしかないから。




「お腹空いてますよね?」




ライブ前は緊張して


食べ物は殆ど喉に通らなかった。




「うん、でも……」




「駅前のラーメン屋の割引券が今日までなんです。行きません?」




ラーメン、と聞いて


考えるより先に「ぐぅ」とお腹が鳴る。



朔くんがニッコリ笑った。



「オッケーの返事ですよね(笑)。行きましょう」






西川さんから何度か着信があったけど


見ないふりをした。




ラーメンはとても美味しくて


チャーハンや餃子まで平らげた朔くんが


隣で満足そうにしてる事にホッとする。




「帰ろう」って言った時に


「実は」と彼女と別れた話を聞いて


スッキリしたいとカラオケに誘われた。




もちろん二人でエリシマムを歌う。





『Erysimum』




逆境にも変わらない愛。




城壁から堕ちた恋人たちの



跡に咲く花。




駆け落ちの合図。








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