97.Sな彼女とNな彼

大阪出張は月曜から金曜。




「ハロウィンナイトまでには帰る予定だけど、当日の準備よろしくね」



朔くんには何度も念押しをして


私の代理は北山さんにお願いした。


総務の皆も直前準備は協力してくれるから


きっと大丈夫。



「任せてください」



「イレギュラーな事が起きたら北山さんに相談して、課長に許可取ってね」



「実結さんに連絡入れますか?」



「やー、大阪の店舗が今揉めてて。ハロウィンの話なんてできないからいいよ。朔くんに任せる」



「わかりました」





きっと大丈夫。





持って行く資料をバッグに詰めて会社を出ると



「マミヤちゃん、おはよう」



声を掛けられた。



「おはようございます。今日は西川さんは午後からでしたよね?」



「午前中に変更してもらってん」



「そうですか」




気の重い出張に向かう前に


顔が見られて嬉しい。




「駅まで車で送ろっか?」



「誰かに見られたら困ります」



「そうやな。ところでマミヤちゃん……」



彼が自分の首元に手を当てている。



「何ですか?」



「もしや気付いてへんの?」



今度は私の首を指先でつついた。



「なっ、何するんですか?」



「まだアザが残ってるけど」



「虫に刺されたみたいで治らないんです」



数日前から気になっていて


襟で隠れる服を着るようにしていた。




「それ本気で言ってるん?」




「本気で……あっ!」




あの時は肉まんやら何やらで


頭がパニックになっていて


強く吸われた事を忘れていた。




キスマークだ、これ。




「気付くの遅すぎやろ(笑)」




見えづらい場所だけど


気付いた人もいるかもしれない。




「何てことしてくれたんですか?!」




「今さら?(笑)」




「当たり前でしょ!」




「俺のシルシやから大事にしてよ」




「無理ですよ」




すぐに消えてしまうのに。




「バレッタなら大事にしてくれてるのになあ」




彼がサイドに留めてある蝶に目を細める。




「か、可愛いから着けてるだけです」




しばらく会えない時には


お守り代わりにしていた。




「なら、クリスマスにはもっと可愛いやつをプレゼントするから」




私には貰う権利がない。




「いりませんよ。本当に、それは、困ります」




「ええから。ほら、いってらっしゃい」






彼に送り出されて大阪に向かった。






本当は新店舗のオープンのお手伝いに


一泊で行く予定だった。



ところが


新店舗の店長に決まっていた馬場さんから


先週になって妊娠したと報告があり


悪阻で仕事を休んでいる。



馬場さんが今後のことも考えて


店長は辞退したいと申し出があったけれど


新しい店長はまだ決まっておらず


店の開店準備が遅れている。




つまり、すごく忙しい。



陳列や内装の仕上げを話し合いながら


アルバイトスタッフたちの研修。



初日の深夜遅くにホテルに戻る頃には


満身創痍。


すぐに眠りについた。




翌日


馬場さんは菓子折りを持って


店にやってきた。



「間宮さん、ご無沙汰してます」



前に少しだけ同じ店舗で働いたことがある。


私の三つ下の後輩。



「体調は大丈夫?」



「今日はマシですけど、二十四時間船酔い状態で食事と睡眠ができないんです」



「大変だね。無理はしないでね」



「すみません。会社のパソコンとUSB持って来ました。それからアルバイトの子の注意点なんですけど……」



取扱注意の子や接客に不安のある子のこと


様々な事情ごと引き継ぐ。



「オッケー。大丈夫だよ」



「間宮さんが新しい店長になるんですか?」



「他に誰もいなかったらあり得るね」



「私は間宮さんがいいです」



「ありがとう。あ、結婚おめでとう」



「ありがとうございます。まだ籍は入れてないんですけどね」



妊娠発覚と同時に悪阻が始まって


結婚すると決まってはいるけど


プロポーズはされていないらしい。



「お腹に赤ちゃんがいるんだよね」



馬場さんはすっかり痩せていて


妊婦さんとはわからない。



「まだ実感ないですけどね。エコー写真見ますか?」



「いいの?見たい」




黒い小さな写真。


まだ二センチほどの大きさしかない命は


既に頭と体と手足が写っている。




「宇宙人みたいですよね」



「可愛いね。これからどんどん育つんだね」



「間宮さんはご予定ないんですか?」



パッと浮かんだのが西川さんの顔で


慌てて否定した。



「ないよ。しばらく仕事頑張るつもり」




結婚して子供を産むのは近い未来の話だと


この夏までは思ってた。



今は上手く未来を描けない。





「間宮さーん、こっちお願いしまーす」




今はここで頑張るよ。




「はーい。馬場さん、ありがとう。ゆっくり休んでね」




今はここで頑張るしかない。






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