56.Sな彼女とNな彼

「あのっ、どこに行くんですか?」



真っ赤なスポーツカーの前で


右側にある助手席に座るように促された時


息を整えながら彼に聞いた。




「ナイショ。しっかりシートベルトしてな」




少し伸ばしたシートベルトを私に握らせて


彼は運転席へと回った。




「行くで」




マフラー音を響かせながら走り出した車は


私の家とは反対方向へと向かって


進んでいく。





信号待ちで止まった時


もう一度聞いてみた。




「どこに行くんですか?」




「別に連れ去ったりはせーへんよ(笑)」




教えるつもりはないよね。




「それから、あの……」




「んー?」




彼は洋楽のボリュームを下げて


私の方を見た。




「エンジン音がうるさいです」




「音は車のロマンやろ」




「私にはわかりません」




「なんでやねん(笑)」




笑いながら彼は前に向き直った。




「いつもの車と違いますよね?」




「あれは社用車。これは私用車やから」




信号が変わる。




ロマンとやらの振動が


疲れた体にはとても心地いい。




洋楽を口ずさむ横顔を


じっと見つめていても


彼は気付いてないのか


何も言わない。




いつもなら私の視線には


敏感すぎるほど敏感なのに。





泣きそうになって俯いた自分に



目を閉じて呪文のように繰り返す。





大丈夫。大丈夫。大丈夫だから。





何も始まってないんだから。





大丈夫。大丈夫だよ。










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