55.Sな彼女とNな彼

「ちょっと待っててな。ごめん」




彼はジャケットを羽織りながら


席を立った。




ごめんって……。




怖くて顔を上げられない。




手が震える。




営業スマイル、営業スマイル。




社会人になって身に付けた


生きるためのスキル。




口角を上げて深呼吸を一回。





よし、大丈夫。





「深呼吸すんの好きやな(笑)」




戻ってきた彼は背後に立ったまま笑った。




「そうですね」




ニッコリと微笑みを返した。




「ほな、行こっか」






店を出て前を歩く彼の後を追う。





いつもお喋りな彼が何も話さない。





沈黙が怖い。





「あっ! 私、お会計してません」




怖くて彼のジャケットの裾を掴んだ。




「俺が払ったから食い逃げはしてへん、って気付くの遅いな(笑)」




席を立ったのは支払いをするためだったんだ。




「今日は私がおごる約束です」




「そうやったっけ?今日はデートの約束やろ?」




「えっ、ち、違います」




デートはしないと断っている。




断ってるのは私のくせに。




「ほな、おごる約束は次でええから」




次?




「また食事に行くってことですか?」




「うん。あかん?」




その約束を嬉しいと思ってしまう。




「あかん……くないです」




「何やそれ(笑)。今は次より今が大事やから」




彼が裾を掴む私の腕をつかんだ。




「ちょっと急いでんねん。駐車場まで走るで、マミヤちゃん」




目で私に合図を送ると



広いショッピングモールを



駆け抜けた。










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