30.Sな彼女とNな彼

お月様、どうか私に力を貸して。




バッグから携帯を出して


彼氏の野本くんにメールを送った。




『明日、会いに行くね。寝る前に電話する』




宛先の『野本行宏』を


指先でなぞる。




送信完了メッセージを見届けて


バッグにしまった。




代わりに手帳を取り出して


挟んである彼の名刺を見つめる。




『西川紀樹』




唇も、体も、じんと熱くなって


胸が高鳴る。




会社の住所が自分の家と近くて


ドクンと心臓が跳ねた。




だから何だって言うの……。




これじゃあ


まるで、彼に恋してるみたい。




「気の迷いだから」




呟いた心の声は


無意識に言葉になっていて


隣に座っていた男の人が


ぎょっとして私を見た。




すみません、と頭を下げて


名刺と手帳をバッグに戻すと


目を閉じた。




美しい月も見ないで


各駅停車の電車に揺られる。




また眠りに落ちる。




切なさの先にあるのは暗闇。




悲しい夢。




頬に伝う涙で目覚めた。




うわ……。




私、情緒不安定??




感情も涙腺もおかしくなってる。




ハンカチで涙を拭う。




あ!




彼に返すつもりのハンカチだ。




すっかり忘れてたな。




だけど




またすぐ会える。




なぜかそんな気がした。





家に帰って


夕飯とお風呂を済ませて


何度も何度も野本くんに電話した。




虚しく鳴り響くコール音が


繰り返されては


留守番電話に切り替わる。




「実結です。メール読んだかな? 明日そっちに行きたいんだけど、予定はどう??」




一件だけメッセージを残して


携帯を置いた。




もうすぐ私の誕生日なのに……。




野本くん、会いたいよ。




会えばきっと迷いも何もかも


消えるはず。




野本くんの顔も声も温もりも


もう上手く思い出せないよ。





休みの間中


何回も何十回も


携帯を鳴らし続けた。




何かあったんじゃ……?




急に不安になってきて


『ちゃんと生きてる?!』と


生死確認のメールを入れた。




しばらくすると


『大丈夫。忙しいだけ』と


シンプルな返事が来た。




メール読んでるじゃん。




『会いたいよ』




その一言には返事は来ないまま


休みが終わった。










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