旅館

千馬章吾

旅館

これは、数年前に友人が体験した、中学時代の修学旅行での出来事を小説にした、本当の話である。



 バスにて九州北部を横断するような旅で、二日目のその日は長崎県のとある旅館に泊まる事になっていた。

 緑の多い郊外の大きな旅館に到着してすぐにフロントで受付を済ませた後、それぞれ班ごとに分かれて小部屋で休む事になる。窓からは線路と小さな駅が見えた。小部屋へ運ばれて来た料理を皆で世間話を口々にしながら食べた後、入浴を済ませ、そろそろ就寝時間が近付いて来る。

 消灯時間は十時だった。この日、健史たけしは一緒のメンバーより遅く寝付いた。

「なあ健史、御前も今日は疲れただろ。漫画読むのも良いけど、早く寝てはどうかな。」

と大だいが言う。

「ああ、それもそうだな。明日に差し支えるかもな。」

「さて。じゃあ俺はもう眠れそうだから寝るよ。午後二時頃、缶コーヒー飲んだから、カフェインがボチボチ切れて睡魔が一気にどんと戻って来る頃さ。ああ、だりい。瞼が重い。それじゃ、御休み……。」

と部屋の隅からは隆たかしが言う。



 やはり健史はトイレに目が覚めた。就寝する三十分前にビタミンガードの残りを飲んでしまったからまだそれが残っていたのだろう。真夜中の二時頃だった。

 トイレを済ませて安心して床に戻り、再びうつらうつらとしたのは二時半頃だった。

 するとその時、微かにコンコンとノックの音がしたかと思えば、自分の部屋を叩く音だとすぐに分かった。ここで、この部屋の名前は「髪の毛部屋」と言った。再び目を覚ました健史は、蒲団から出てドアの前まで行く。健史が出ると、何とそこにはこの旅館の職員らしい、白に花柄模様が疎まばらに付いたような着物を着た、髪が長くて若い女性が立っていた。するとその女性はこう聞いて来たのだ。

「あのう、シーツ替えますか?汚れてましたらシーツ、取り換えませんか?」

と。

「え?シーツですか?いえ、結構ですよ。汚れてませんし、明日の朝僕達は帰りますから。」

「そうですか。」

「はい。」

女性は言うとそのまま静かにドアを閉めて去って行った。

何だってこんな時間にシーツなんか……?と健史は不思議に思ったが、そのまま平然と布団に戻る。

三時頃に、またノックの音が聞こえる。健史が出てみる。

「はい…。」

「ええと、あのう、シーツ取り替えましょうか?」

「は?いえいえあのう、どれも大して汚れてないので結構ですって。三十分前も同じ事を聞いて来られませんでしたか?」

夜間で洗濯とかするぐらいならまだ解るけれど、シーツなんて普通は替えに回ったりなんてするものだろうか?そもそも同じ部屋を二度回るなんて………。

「そうですか。失礼致しました。ごゆっくりどうぞ。」

「あ。あのう、右側の額から血が出てますけど、大丈夫ですか?」

「あ、これですか?大した事ありませんわ。ではどうも失礼致しました。」

健史は女性の額の出血に気が付き、尋ねると、その女性は傷口の箇所らしい部分を前髪で押さえながら答えると、再び部屋を去って行く。

 どうしたのだろう、今の人、……怖くなって来たけど、まあ布団に戻ろうか。



次にノックの音がしたのは三時半頃だ。二時半より三十分おきにまたあの人が来るようで、健史がまた起きてドアへ向かう。

「シィィーーツゥゥ、替~えま~す~かああ~~~?」

「ええ、う、うわああああああああ!!」

思わず健史は奇声を挙げてしまった。

 その女性の額全体、両もみ部分から大量の血が流れていたのだった。頭部は血塗れと言って良かった程だろう。

「け、結構です。」

そのまま健史は急いで布団に潜り込み、そのまま覆い覆い被さるようにして朝まで怯えていた。

「ん?何の騒ぎだ?」

と既に寝ていた生徒が起きて眠い目のまま部屋を見回した頃には、もうその女性の姿はなく、血一つ床には落ちてもいなかった。

それから健史だけは一睡も出来ずに朝を迎えた。



 翌朝、朝食後にフロントにて、ここの主人らしい五十歳ぐらいの細い女性は皆にこんな話を聞かせた。

「皆さん、どうも。昨夜はよく眠れましたでしょうか?ええとですね、あそこの踏切にお地蔵様と花束を置いてありますけど、今から二十年前の昨日に、ここへ社員として務めていた若い女の子がいてね、その子がうちへ来ておよそ一年目ぐらいにあそこの列車に跳ねられて亡くなったんです。二十年前のここの制服は白い花柄の着物でしたので、その着物の下にはバラバラになった彼女の身体と、取れた首は向こうに転がっていたと言う事です。もうすぐ結婚する恋人が泊まりに来てくれた時には、夜中に会いに行ってついでにシーツ替えてあげたりとかしていたそうなんです。ですので今から私、その場所へ御供えを持って行くところなんです。はい。」

 すると、あの昨夜の白い着物を着た女の人はやっぱり、……。そうに間違いないだろう。今ここで働いている職員は皆、青や紺に近い着物を着ている。ではあの人が……あの人が…………………。

 これが、初めての心霊体験だっただろうか。

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旅館 千馬章吾 @shogo

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