第2話

すごく当たり前な事だけど夏は暑い。しかし走りこめば、全身を駆け巡る血液は溶岩の如く熱くなり、夏の熱気を簡単に上回る。

 張り詰めた集中力は、限界まで引き伸ばされた弓の弦。甲高いホイッスルの音ともにトラックに飛び出す。

 25メートルなんて距離をあっと言う間に通り過ぎる。ものの数十秒で100メートルのトラックを走りきった。

「すごいチリちゃん!記録更新したよ!」

「本当に!?」

 同年代の女子陸上部のツバサがタイマーを持ってニコニコ笑いながらやってくる。

「去年は県大会でまでしか行けなかったもんね!今年はもっといけるんじゃない!?」

「あっ!」

「どうしたのチリちゃん?」

 新記録が表示されたタイマーの数字が、視界に入る前に違うものが目に止まった。

「ごめん、ちょっと待ってて!」

 部活動をしている他の生徒に邪魔にならないように、気をつけながらグラウンドの端に向かっていき、グランドと駐輪場を隔てるフェンスに、もたれ掛かっているシオネの前にやって来た。

「どうしたのシオネ?こんな所で、そうそうシオネも部活とかやればいいのに!」

「興味がないわ!」

「泳ぐの得意だよね。水泳部とかむいてるんじゃない?」

「得意と言っても人並み程度よ。それよりチリに話があるの」

「そうなの?」

「このままでいいの?」

 シオネがそう言うと、風が彼女の肩のところで切り揃えられた、髪を優しくなびかせた。

「何が?」

「泳げないままでも」

「私、水は駄目だけど………」

「誰よりも早い脚があるから大丈夫って言うんでしょう泳げる泳げないとか、そういう問題じゃない!」

「………シオネ、過去に囚われちゃいけないってわかってる」

 そうわかっている。トラウマを、自分を乗り越えなくちゃいけないって、しかしそれを克服するには一歩を踏み出す勇気と覚悟がいるが、私にはその2つの要素を持っていなかった。

「チリ………」

 そっとシオネは私の手を取る。

「別に一人でなんとかしろって言ってるんじゃない。一緒に特訓しましょう」

「と、特訓!?な、何をするのかな?」

「夜のプールに忍び込むのよ」

「えー、それって校則違反通り越して違法行為なんじゃ………」

「あの、チリちゃん」

 振り返るとタイマーを持ったツバサがいた。

「ごめん、シオネ。部活戻るね」

「今夜、迎えにいくから」

「う、うん」

 我ながら曖昧な返答をして部活に戻る。

「チリちゃん、誰と話してたの?」

「小学校からの友達。シオネっていうの!」

「………ふーん」

 バットにボールが当たった、小気味いい音が耳に届く。見上げると、朱色に染まりつつある、夕暮れ前の空に向かってボールが昇っている最中だった。

「仲良いんだね」

「うん!」

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