名取モノガタリ 北降 藤原実方朝臣中将

白取よしひと

第1話 名取モノガタリ

 竹林のほの暗い細道を歩むと近在に民家のある事も忘れてしまい、自ずと路の先を見詰める僕は厳粛な心持ちになる。み入る風で葉が揺らぎ時折見せる木漏れ日と、そのささやれ音で人の訪れを奥へと伝える。

 この先にあの方が居る。えんがありその縁を探り、ここに至れた事に胸が高鳴りながら歩を進めた。

- すずめに。

脳裏をかすめたあの一言が僕をここに導いたのだ。


 初春の浮き立つ心も冷めやらぬ吉日に、ここ宮城県名取市文化ホールは多くの人出で賑わっていた。会場に敷き詰められた畳へ両膝をつきかえるにも似た前屈みの姿勢で集中する。

「あけぬれば -

詠上げが始まるや否や方々からバタバタと札を弾く音が会場に響き渡った。小倉百人一首競技会である。この日の為に研鑽けんさんを積んだ強者達が集っている。まず一首目は僕が獲った。

「夜をこめて -

指先の差で対峙たいじする女性に弾かれた。清少納言だ。心を静めよう後に引き摺ってはならない。

「かくとだに -

僕の指が先んじた。弾かれた札は高らかに舞い上がりヒラリと回りながら光を返す。

- 雀に。

何故かその言葉が脳裏を掠めた。


かくとだに えやはいぶきの さしも草

さしもしらじな 燃ゆる思ひを  

藤原ふじわら実方さねかた朝臣あそん中将ちゅうじょう


 協議会の結果は散々で初戦敗退である。相手が一枚も二枚も上手だったのは確かでそれが全てだが、実方の札を獲ってからどうも集中力を欠いてしまった。

- 雀に。

その言葉が頭を反芻はんすうして止まないのだ。その前後に雀の歌など詠まれなかった。ではどうして雀なのだ。納得出来ない僕は、帰宅して実方の半生を辿る事にした。

 彼の記事はすぐにネットで見つける事が出来た。しかし記録が少ないのかその内容はどれも大差ない。大まかにはこうである。

 およそ今から千年の昔。実方は平安時代の貴族で藤原家に生まれた。中でも摂関家と呼ばれる北家出身であり今で言う生粋のエリートだ。血筋に加え容色に優れており、中古三十六歌仙に選ばれる程歌才に恵まれていたので宮中の女房達に絶大な人気があった様だ。

 しかし順風の実方も父の死を境に陰りが見え出す。 慕っている花山はなやま天皇の失脚や同じ北家の道長兄弟の台頭により、その立ち位置が揺らぎ始めたのだ。道長寄りの人物で書家三蹟さんせきに数えられ、清水寺の額で有名な藤原行成ゆきなりとの確執ははなはだしかったらしい。

 ある日、宮中での口論がきっかけで行成のかんむりを実方がしゃくで弾いたところをみかどに見られてしまった。それが元で奥州多賀城たがじょう国府こくふ左遷させんされる。現在の宮城県多賀城市だ。赴任後、しばらくは歌枕の地を訪れたりしていた実方だが現在の名取市を訪れた際、笠島かさじま道祖どうそ神社の前を過ぐろうとすると、郷の者から下馬を勧められたがそれを無視した結果、突然馬が狂乱し落馬した。かなりの重傷だったのだろう。国府に戻る事なく名取笠島の地に葬られる。

- 名取市!

 地図で探すと意外にも自宅の近くに実方の墓があるではないか。僕は俄然がぜん興味が湧き、彼の事を調べ始めた。女性歌人として有名な清少納言との恋の痕跡こんせき。ライバルとされた藤原行成も清少納言の元に通ったらしい。京都石清水いわしみず八幡宮の臨時祭では、遅参して頭に付けるしきたりの飾りが足りず、傍らにあった呉竹くれたけを折りそれを付けると参拝者は元より天皇からも喝采を浴びた事。そして新天皇に子女を送り続けた事により権力を掴み始めた藤原道長に誰もがなびく中、不利と知りつつ前花山天皇を終生慕い続けた事。その人となりを知るにつけて郷土で命を落とした実方を好きになった。


桜がり 雨は降りきぬ おなじくは

濡るとも花の 陰にくらさむ

- 桜狩りの最中さなか、雨になった。どうせ濡れるなら花の下で雨止みしよう。

実方らしい粋な歌だ。どうせ流されるなら花山帝に寄り添うと感じるのは僕だけだろうか。行成はこの歌を聞いて実方は馬鹿だと笑ったそうだ。斜陽明らかな前帝に従うなど馬鹿としか思えんとも聞こえる。


 彼の伝承を調べていくと驚くべき記述があった。実方は死後、都に戻りたい気持ちのあまり雀と化し宮中に戻ったと言うのだ。そして内裏だいり台盤所だいばんしょへあげられた食物をつついたと言われる。それは入内雀にゅうないすずめと呼ばれたそうだ。

恐らくこの言い伝えが元になっているのだろう。京都を中心に実方の雀伝承ゆかりの寺や塚が数多あまたあり驚いた。

-雀に(なって戻りたいなのだろうか)

僕は脳裏に湧いたこの言葉を思い。実方の墓所に向かう事を決めた。


 竹林がざわめき騒ぐ中、墓所を木柵に護られ中将の墓はあった。宝塔は崩れ跡形も無く微かに土盛りの名残を残すばかりだ。かつ西行さいぎょう法師が訪れ歌を残している。

朽ちもせぬ その名ばかりを とどめ置きて

枯れ野のすすき 形見かたみにぞ知る

また奥の細道の際、松尾芭蕉は雨による泥濘でいねいでこの墓所に参る事を断念した。残念に思った芭蕉はこの歌を詠んでいる。

笠島かさじまは いづこ五月の ぬかり道


 あなたは都に帰りたいと願いながらも北の地で土となった。しかし中将の歌は都どころか日の本の至る処で歌われ続けています。千年の時を超え、そしてこれからもずっと。

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